第49話:灼天の神子
空間の発火。そうとしか表現できない超常の火。万物を灰と化し、神すら殺める火之迦具土の権限が、蟻すら逃さぬ濃密な密度で向かってくる。
「くッ!!」
蒼天の術式はまだ切れていない。私は太刀を振るった。天叢雲剣の霊威が、神の業火を切り裂く。だが、勢いが止まらない。このままでは押し切られる。炎の元を断たねば、この地獄は永遠に――
「ふざけるなよッ!」
その選択は取れない。それは私が伊奈を斬るということに他ならない。そんなこと認められるはずがない。一体、私は何のためにここへ来たというのだ!!
「どうした六尊、悩んでいる暇はないぞ?」
「!!」
第三皇子が手を振るう。それに呼応して、伊奈はふらりと動いた。業火は勢いを増し、私の逃げ道を奪うように展開する。
「くそ……ならば!!」
再び太刀を振るう。素戔嗚の神威が炎を断つ。そして、私は大地を蹴った。標的は――
「貴様が死ねば良いだけのこと!!」
「へーえ?」
にやりと笑う第三皇子。直後、素戔嗚の力は放たれる。煙火を吹き飛ばし、夜空を穿つ英雄神の一閃。回避も防御も不可能な超至近距離。仇敵は塵すら残さず消え去った……かに見えた。
「なッ……!?」
「なあ出来損ない。僕を誰だと思ってる」
だが、そいつは無傷で立っている。
手応えはあったはずだ。
なのに、何だ。何が起きた。
「アホ面晒すなよ間抜け。お前は
「は……?」
第三皇子は伊奈を指さした。
いや、伊奈だったものを指さした。
「――!?」
肉片。血溜まり。そうとしか言えない人の残骸が、そこにあった。
「ぁ、ぁあ」
困惑。動揺。憤怒。憎悪。
処理しきれない感情が、吐き気となって押し寄せる。
「ぅ……おえぇぇッ!!」
何だ。何だ何だ何だ!!
私は第三皇子を斬った。なのに、伊奈が消し飛んだ。意味が……意味が分からない。
「
「……ぁ?」
「ああ、馬鹿なお前には分かりにくかったか。なら言い換えてやる。契約を結んだ従者に、主人の傷を一方的に押し付けるんだよ。不死身の丙号とは頗る相性が良い。契約が続く間、僕は絶対に傷つかないという寸法さ」
高らかに第三皇子は笑う。その視線の先には、血濡れで再生した伊奈がいる。
やはり、コイツには人の心がない。混じりけのない、純然たる悪だ。
滅ぼしてやる。絶対に滅ぼしてやる。
「ほう?」
あるはずだ。伊奈と第三皇子の契約を断ち、彼女を助ける方法が。探せ。この術式が切れる前に、なんとしてでも!!
「おおおおぉぉぉォォォッッ!!!!」
全力を込め、気脈を集約する。
権限の解放。冷気が炎を押し返す。
再び私は大地を蹴った。
「何をするつもりだ?」
怪訝そうに首を傾げ、第三皇子は無造作に手を振る。まるで糸に引かれるように伊奈が動く。炎は再び勢いを取り戻した。
だが、怯まない。
一つ、考えがある。因幡でやった、傀儡術式の強制解除――気脈操作を応用して、構築された術式を崩壊させる荒業。それを、もう一度ここで試す!!
「――ッ!!」
狙うべきは伊奈だ。第三皇子は何をやってくるか分からない。無暗に近づく危険度が高すぎる。だから、私は燃え盛る彼女目指して空を舞う。
透き通る白い肌。艶やかな桜色の髪。業火の瞳が、虚ろに私を視界に捉える。
届く。
私は思い切り手を伸ばし、彼女の肩を掴んだ。だが――
「がはッ!?」
まるで雷に打たれたような衝撃。私はそのまま吹き飛ばされる。
「はじ……かれた?」
「成る程、出来損ないの割には器用なことをする」
地に伏せる私を見下して、第三皇子はニヤリと笑った。
「気脈操作による術式阻害。悪くない策だ。だが、悪くないが故に想定の枠から出ない。僕が対策を組み込んでいないとでも?」
「な……」
「間抜けなお前に教えてやろう。術式阻害の方法は幾つかあってな。例えば、術式の逆算による気脈回路の切断、気脈介入による術式の編集、気脈回路の再接続による効果の逆転、そして、権限による術式理論外からの介入――どれも高度な知識と理解が無ければ使えぬ代物だが、僕は慢心しない主義だからな。全て対策済みさ。今のお前が贄の術式を破る可能性はほぼない。というか、仮に破れたとしても、その次はもう考えてあるんだ」
ぺらぺらと、得意げに語る第三皇子。
奴は私に歩み寄り、凶悪な笑みで告げる。
「だからな、六尊。お前は最初から詰んでるんだよ。残念だったなぁ、志半ばで命尽き果てるなんて」
「ふざけた、ことをッ!!」
「おっと」
振るった刃が第三皇子の頬を割いた――かに思えた瞬間、伊奈の頬が割ける。
「っ!」
「愛しの少女を傷つけるのか? 薄情な奴」
「人でなしがァァァ!!」
怒りが突き抜ける。
だが、コイツは斬れない。斬っても、伊奈を傷つけるだけだ。
どうする。どうする。どうすればいい!!
「さて、このままでは興が足りないな……そうだ、こうしよう!」
「!!」
手を叩く第三皇子。直後、業火が押し寄せた。伊奈は何かに誘われるように、ふらりと歩みだす。
「何を……」
火は広がっていく。風は南へと吹いている。南にあるのは町だ。何も知らない無辜の民が住まう、賑やかな南都の町だ。
「まさか……!」
「ああ、そうさ。丙号に町を焼かせようと思ってな」
「!!」
「何をそんなに驚いている。三年前もやったことだろう。北都の六万人を焼き殺したのは他ならぬ丙号だ。そんな小娘に今更何を躊躇うことがある。くく、ふはははははッ!!」
狂っている。伊奈は、誰よりも優しく、善人で、人の命を大事にする少女だ。その彼女に、また虐殺をさせようというのか。また、業を重ねさせようというのか。
「どこまで踏みにじる気だ……第三皇子ッッ!!!!」
「丙号の心が折れるまでさ」
ぴしゃりと、当然のことでも告げるかのように第三皇子は言い放つ。意味が分からない。分かりたくもない。思わず私は閉口する。だが、奴は得意げに語り出した。
「丙号は昔から頑固な奴でな。精神を弄っても、どんな拷問を加えても折れなかった。人を殺めることを受け入れなかった。端的にいえば、兵器に向いていなかったんだよ。今みたいに正気を奪えば多少は動かせるが、これじゃあ灼天の潜在能力は半分も引き出せない。それに、安全装置を仕込まないと使い物にならないという代物さ。記憶処理なんかも必要だし、調整が面倒なんだよ」
嬉々として語る第三皇子。その表情は、酷く残酷で、酷く熱の籠った理解しがたい狂気を孕んでいるように見えた。
「だから、僕は考え方を変えたんだ」
そして、第三皇子は手を広げる。彼はぱちりと指を鳴らして、ニコリと微笑んだ。
「精神が変わらないなら、失くしてしまえばいい。人を慈しむ心も、罪を拒む心も、全て壊してしまえばいい。余計なものを全て削ぎ落し、人ではなく神として精神を再構築すればいいんだよ。そうすれば、丙号は南都の切札として大成する。全てを焼き尽くし、破壊する終焉の神子として、彼女は真に完成するんだ。彼女の力があれば、
息を切らしながら、第三皇子は恍惚とした表情を浮かべた。
「だから、とりあえず丙号には町を焼いてもらう。その次にお前だ。正気に戻った時、正気でいられなくなるくらいの罪を重ねさせるんだ」
「……やはり、お前は化け物だ。理解の出来ぬ、人の心のない化け物だ」
私は太刀を奴に向ける。
第三皇子は馬鹿にするように鼻で笑って、
「酷いなあ。これでも血を分けた兄弟だぞ? それに、私の思いを別にお前如きに理解して貰う気はない。父上は理解して下さっている。それで十分だ」
「そうか。やはり上皇も同じ穴の貉……ならば、等しく滅ぼすべき巨悪!!」
「やれるものならやってみろよ?」
煽るような口調。奴は、私にそれが出来ないことを知っている。
しかし、私は彼女を止めなくてはならない。これ以上人を殺させるわけにはいかない。彼女がこれ以上傷付くことなどあってはならない。だから、私は――
「……!?」
その時、ふいに、身体の力が抜ける。
「……ぁ?」
世界が回る。気脈が練れない。神気が集まらない。
私は体勢を崩し、片膝をついた。
「どうした?」
眩暈と頭痛に歪む視界。
この感覚は身に覚えがある。
「ぐ……」
「ああ、神気切れか」
嘲るような第三皇子の顔がぼやけて滲む。
力が入らない。蒼天の術式も切れたようだ。
「……っ」
「つまらん。楽しみはこれからというのに」
第三皇子は、失望したようにため息をついた。そして、無造作に手を振り下ろす。
「気が変わった。丙号、先に六尊を殺せ」
ふらりと、伊奈は動く。そこに意思はない。ただ、第三皇子の傀儡となって、奴の指示の通りに動く灼天の神子として、私に手を向ける。収束する気脈。空間の共鳴。これは権限の発動だ。全てを焼き尽くす神の火が、私を滅するために燃え上がる。
ああ。
駄目だ。ここから勝つ道筋が見えない。どうあがいても灼天の炎を受け切れない。
もはや、ここまでか。
「……」
静かに、目を閉じる。そして、これまでの生涯に思いを馳せ、短かい旅を振り返った。
「……伊奈」
ぽつりと、言葉が口から洩れる。伊奈は私に目を向けた。その目は、私を見ているようで見ていない。虚ろだ。あの、光に満ちた彼女の目ではない。私の言葉は、彼女に届いてなどいない。だが、それでも……そうだとしても、私は言葉を紡ぎ続ける。
「思えば、振り回されていたのは私の方だったな」
「……」
「お前は、誰よりも優しくて、穏やかで、慈悲深くて、私なんかとは比較にならない善人で――全てが、私にとって眩しかった」
「……」
「私はお前に憧れていた。お前のようになりたいと、なれたらどれだけ良かったかと、幾度となく思っていた。思っていたのに、それを誤魔化してきた。私は素直ではなかった。お前の言う通り、理想や、希望といったものを切り捨て、闇を歩もうとしていたんだ」
「……」
「お前は、私の光だった。お前は、私の生きる理由だった。たった数月。されど、その数月は私の人生を変えた。私に新たな道を歩もうというきっかけをくれた」
だから、私は告げる。あの日、言えなかった言葉を。言いたくても伝えられなかった思いを。きっと彼女に届くと信じて、もう逃げることはせずに告げる。
「伊奈……私は、君が好きだ」
返事はなかった。
やはり、届かなかったのかも知れぬ。
だが、その時。ふいに、少女の瞳に光が戻る。私が知っている、あの優しい瞳が、ほんの刹那、蘇ったような気がした。
「……ぁ」
『六尊さま』
そこに立っているのは、丙号でも灼天でもない。私が恋い、憧れたあの少女だ。
「伊奈……!」
『わたしもです。わたしも、六尊さまがすきです』
そう言って、伊奈は笑う。慈しむように、彼女は私に微笑みかける。そこに一切の迷いや恐れはない。全てを私に委ねるように、彼女は笑ったのだ。
『だから、おねがいします』
「……っ!」
私は理解してしまった。
彼女の笑みの意味を。彼女の望みを。私の為すべきことを。
そこで、私は思い付いてしまった。
一つ、方法があるのだ。
彼女を止める方法が。不死身の神子を殺す方法が、ただ、一つだけ。
「……ぅ」
これは、全て私のせいだ。私が無力だから、操られる彼女を止めることが出来ない。私が弱いから、少女一人救えないのだ。
そんな不甲斐ない私を、この期に及んで伊奈は好いてくれている。優しい彼女は、私の手で終わることを望んでいるのだ。他の誰でもない、私の手で。
もはや、次の行動は一つしかなかった。
「……すまない、伊奈」
振り上げた太刀が、業火に焼かれて光る。彼女を地獄に閉じ込め、幸福から遠ざけてきた神の呪いが、未練がましく唸りを上げた。
『いいんです』
「……っ」
『私は、あなたに会えてしあわせでした』
最期に、少女は再び笑う。
真っ赤に染まる視界、ぐちゃぐちゃに乱れる感情。全てが壊れ、空しくて、嫌になって、私の思考はここで途切れる。
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