第8話:商都のひと時(三)
白髪の屋敷に戻ると、当然のように夕餉が用意されていた。
一度命を助けてやったくらいで随分と親切である。白髪はよほどお人よしなのだろう。
いや、この町の奴らはみな同じような感じだ。初対面でも馴れ馴れしくて、不可解な親切心に満ちている。少々気味が悪い。
「六尊さま! なんかこのよく分からない魚おいしいです!」
「鯛だ。お前はものを知らぬな」
「六尊さまは物知りですね」
「別に」
「ふふ」
何の笑みだ。
コイツの感覚もよく分からん。
▼△▼
夕餉が終わると、既に
まあ、小娘の機嫌が良いのでそこは大目に見ておこう。
無論、私に入る気はない。
わざわざ自分で隙を作るような真似はしたくないからな。
「……」
だが、小娘には警戒心が無いのか?
湯殿など襲われたらひとたまりもない。私が外で見張っているから良いものの、喜んで入るなんて愚の骨頂だ。
それに、たかが一日ともに過ごしただけの私や白髪相手に、ここまで隙を見せるなど命知らずにもほどがあろう。
やはり、アイツは第三皇子に甘やかされてきたに違いない。あの男は、お気に入りには頗る甘いからな。
というより、
「チッ。さっきから鼻歌が下手だぞ小娘!」
「えっ!」
衝撃を受けたように小娘は声を上げる。
なんだ、自覚は無かったのか。
「六尊さまいつからそこにっ!?」
そっちか。
「最初からいたぞ? 気付かなかっ」
「あっ、あっち行っててくださいっ!!」
何をそんなに慌てている。訳が分からん。
だが、そこまで言うなら少し離れておいてやる。敵襲の気配はない。別にずっと見守っている必要もなかろう。
「まったく、わがままな奴だ」
▼△▼
やることが無くなった私は、白髪の屋敷を散策してみることにした。
にしても広い屋敷である。
庭の池、良く整えられた松と砂。公家の屋敷と比べても見劣りしない。
商人の分際でこれほどとは、白髪は相当のやり手なのだろう。
人は見かけによらぬものだ。
そんなことを考えていると、件の白髪が声を掛けてきた。
「おや、これはお兄さん。湯加減はいかがでしたかな」
「私はまだ。今はあの娘が入っております」
「そうですか。ではまた後ほどお楽しみくださいな。うちのは
「……ご厚意には痛み入りますが、生憎と湯浴みは苦手でしてね」
「あら、それは残念」
愛想笑いの私に向かって、白髪は目を伏せてそう告げる。そして、彼はそのまま、
「まだ、私らを警戒してはるんですね」
「……え」
「違ってたらすんません。でも、なんかそんな気がしましてなぁ」
「……そんなつもりは」
「いや、別にええんです。何か訳ありっちゅうんは分かってましたし、別に詮索するような真似はしやしまへん」
見透かされていたのか?
いや、仕方ない。これは癖だ。
人を信じても碌なことがない。人は裏切るもの、最初から疑ったほうが身のため――そのいつもの癖が、白髪にも悟られた。
ただそれだけのことである。
「でもせっかくのお礼やのに、そないな感じなのは申し訳ないなぁと。もうちょっと信じて貰えるように、私どもも頑張りますんで」
「……」
出来る訳がない。他人を信じるなんて。
そんな真似が出来るのは、地獄を味わったことがない人間のみだ。
打算なき善意などそうはない。稀にはいるが、その末路は揃いも揃って悲惨なものだ。
無暗に人を信じれば、騙され、利用され、挙句には身を亡ぼす。母や、祖父がそうだったように。
信じ、信じられ、互いに助け合う――そんな幻想に、私は幾度となく裏切られてきた。
私はずっと泥の底。今更、そんな善人のような思考には馴染めない。小娘や、白髪のようにはなれぬのだ。
「……お気遣いありがとうございます」
私は微笑んで、心にもない言葉を口にする。白髪は、どこか悲し気な笑みで応じた。
▼△▼
六尊たちが眠りについた後、白髪の男は筆を執っていた。
店の者がつけた帳簿を確認し、今後の商売の策を練っているのである。夜更けに誰の目も向けられぬ中で行うこの日課は、彼の商売繁盛の秘訣であった。
そんな時のこと。白髪の男は、妙な空気を感じて書を止める。
「風が無い……?」
普段なら、この時刻には陸から海へと風が吹いているはずなのだが。
小首を傾げる白髪の男。
聞こえてきたのは、門を叩く音だった。
「なんや?」
客の来るような時刻ではない。
かといって、盗人なら何もせずにこっそり忍び込むだろう。
「……?」
誰が何の用でやって来たのか。
気にはなるが、守衛の者はもう帰ってしまっている。
「しゃあないなぁ」
白髪の男は筆を置き、門へと向かった。
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