第9話:上皇の追手
「はて……?」
そこにいたのは、一人の青年である。
綺麗な緋色の狩衣姿に、ピンとよく糊のきいた立烏帽子。
見るからに都の貴公子といった様相だ。
白髪の男の店は、貴族相手にも衣を売っている。客本人が出向いてくることは稀だが、無いこともない。
男は、青年をそういう客だと判断した。
だが、もう時刻は丑の刻を周っている。
「すんませんなぁ。もう店は閉めてしもうたんですわ。また明日来てくれはったら……」
そう言って、男は青年を帰そうとした。
だが。
「御老体」
「はい、なんでしょうか」
「ここらに、桜色の髪の小娘と、薄橙の髪の小童は来ておらぬだろうか」
「……!」
ふいに投げかけられた問い。
その答えを、白髪の男は知っている。青年が探しているのは、紛れもなく六尊たちだ。
「……っ」
何故、青年が彼らを探しているのかは分からない。だが、男の直感がうるさい程に警鐘を鳴らす。
六尊たちの居場所を、絶対に教えてはならない――と。
「……知りまへんなあ。そんなに目立つ子らなら、見紛うことはないやろに」
「そうか」
目を伏せる青年。
白髪の男は、彼の反応に安堵した様子を見せると、作り笑いを浮かべて頭を下げる。
「ええ。すんません。もし見掛けたら、そん時はま――」
言い終える前に、ぽとりと。
何かが床に落ちる。
何が?
広がる赤い染み。
その源は、白髪の男の手。
厳密には、その断面だ。
「……あ?」
理解が追い付かない。いや、脳が理解を受け付けない。
ただ、あるはずなのにない――それだけのことを、彼の思考は処理できない。
そんな白髪の男を、冷たい視線が刺す。
「下らぬ嘘をつくな」
「あ、あぁおおおぁぁぁあああッッ!?」
熱、いや、これは痛覚が引き起こす認知の不協和。訪れた理解は、彼に絶望的な事実を突きつける。
「たかが左手。それも手首から先だけ。大袈裟な」
青年は、呆れたような口調で男を蔑んだ。
白髪の男は、すっぱりと綺麗に切れた左手の断面を押さえながら、必死に血を止めようとする。
だが、血は止まらない。
押さえていた右手は血にまみれ、白い石畳が真っ赤に染まっていく。
「……ぅ、あああ……ぁ」
彼の意識は、徐々に遠のいていく。
その中で、白髪の男は力を振り絞った。
「う……お、お前は……」
「俺か?」
青年は顎に手を当て、しばらく思案する。
名乗るか、名乗らざるか――その狭間で悩んでいるようだ。
「まあ良い。どうせすぐに知れることよ」
そして、青年は凶悪な笑みを浮かべた。
「南都八部衆の捌『
「……ッ!?」
目を見開く白髪の男。
当然だ。
八部衆の名は、皇国中に響き渡っている。
それに四年前、商都は八部衆の手によって戦火に巻き込まれたのだ。
この地に住まう人間にとって、八部衆は恐怖と憎悪そのものであった。
「あ、あぁ……」
その八部衆が、いま目の前に立っている。
白髪の男は、恐怖に立ち尽くした。
「貴様に問おう。丙号と、丙号を連れた小童はどこだ」
「ぐ……!」
刀を白髪の男の喉元に付きつけ、凍えるほど冷たい瞳を向ける。
深淵のような、昏い黒。
委縮する白髪の男の首は薄く裂け、刀を血が伝っていく。
「答えろ。さもなくば殺す」
「……っ」
だが、言わない。
白髪の男にとって、六尊たちは命の恩人。
彼らの命を売るような真似は、彼には出来なかった。
「こ……こ、殺したいなら、殺しなはれ!」
威勢よく、しかし震えた声で白髪の男は言い放つ。痺れを切らした春章は、一つ舌打ちして再び告げた。
「これが最後だ。もう一度言うぞ。丙号と、丙号を連れた餓鬼はどこだ」
「絶対に言わん。言う訳にはいかへん!!」
「そうか」
春章はため息をつく。
そして、刀を振り上げた。
「ならば、望み通り死ね」
振り下ろされる太刀筋。迫る明確な死。
白髪の男は、時間の進みが遅くなるような錯覚を覚えながら、霞んでいく視界の中に一筋の光を見た。
ザシュッ!! と。
肉を断つ刃。弾ける血管。飛び散る鮮血が、白い玉砂利に奇異な文様を描く。
だが――
「は……?」
目を見開いたのは、春章だった。
左腕に生じた大きな切り傷からは、真っ赤な血が噴き出すように流れている。
屋敷を濡らした赤。
それは、白髪のものではない。
春章のものだ。
「何が……!」
「やはりな」
「誰だッ!!」
突如現れた人影。
春章の視線の先に立っているのは、薄橙の髪に、絶海のような紺碧の双眸。
そんな整った造形の中に荒々しさを込めた、一人の少年――六尊である。
「貴様の探し人さ」
六尊は、春章の血が付いた刀を振り払う。
そして、冷ややかな目で静かに構えた。
「無駄口を叩く気はない。上皇の手先よ。貴様こそ去ね」
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