第10話:八部衆の力
烏帽子の男が手を振るう。
即座に私は横に跳んだ。
キイッッ!! と、軋むような嫌な音を立てて火花が散る。射線上のものは切り刻まれ、屋敷の庭は見るも無残な様相を呈した。
「っ!?」
ふいに何かが、私のすぐそばを
つうと伝う生暖かい血。
斬撃……いや違う。
「鋼の糸か。珍しい技を使う」
「お前もそうだと聞いたが?」
再び振るわれる腕。
わずかに遅れて、屋敷の壁が爪痕のように抉られる。
月明かりが照らす夜空を舞う私に、烏帽子の男は語りかけた。
「詠唱もない肉体強化。触れただけで人を殺める異能……いくつかタネに心当たりがある。もっとも有り得るのは気脈操作だ。お前が使っているのはそれだろう?」
「だったら何だというのだ」
ゴウッ!! と。巻き上げられる砂煙。
気脈を感じる限り、烏帽子の男は、まだ術式を一度も行使していない。
使えないのか、使わないのか。
いずれにせよ、術式無しでこの強さ。
並みの武者ではあるまい。厄介だ。
「気脈操作なら、間合いさえ保てれば大したことはない」
「やってみろ」
私は脚に神気を集中させる。根の国でやったのと同じことだ。神気による身体能力の底上げ。それによる神速の足運び。
砕け散る土壁を蹴って、私は烏帽子の男に
月夜に
烏帽子の男は、凶悪な笑みを浮かべた。
「その程度で俺に勝てるとでも?」
ぴりり、と。
肌を刺すような感触が訪れる。
「この感触は……!」
「
響く詠唱。
術式――気脈を用いて陣を構築し、神の
限られた才のあるものしか扱えぬ、朝廷祭祀の秘儀だ。
「ふははははッ!!!!」
走る電撃。
それは鋼で出来た糸を伝い、光の届く範囲全てを標的とする。その密度は烏帽子の男に向かうにつれて濃密なものとなっていた。
「……チッ」
今、私は彼から五、六
これ以上近づけば、私の身体は武神の雷に焼き尽くされるだろう。
「どうした小童! もっと
一段と煌めきが増す鋼の糸。
なんと長い発動時間だ。
「……!」
その時、ふと思い出した
私は、この術式を知っている。
いや、聞いたことがある。
「小野春章……南都八部衆の捌、『摩睺羅伽』か」
「俺を知っているのか、小童よ!!」
神気の量、術式の練度、身のこなし――どれをとっても、春章はかなり高い能力を兼ね備えている。皇国中に恐れられ、百の兵に値すると評されるのも大げさではない。
にしても。
上皇は八部衆まで動かしてきたか。
小娘の奪還に、よほど躍起になっているものとみえる。
だが、八部衆は個人主義者どもの集まり。連携とは無縁の連中だ。
恐らくコイツも単独行動。それに、八部衆でも序列が最下位となれば、功を独り占めしたいという余計な欲が働くことだろう。
どうせ上に連絡もしていない。
「それなら」
ここで口封じしてしまえば万事解決。
「何を澄ました顔をしている! お前はただでは死なせん。丙号の居場所を吐かせたのち、たっぷり苦しませてから殺してやるからなぁ!!」
幸い、春章とやらは私を見くびっているようだ。今使っている術式も、四段階ある出力の中でもっとも弱いもの。
その程度で十分だと思っているのだろう。
「そう思うのもやむなし」
目の前にいるのは術式も使えぬ小童。
対して春章は、南都主力、八部衆の一角。
左腕に傷を負っていても、絶対的な実力差があると確信している。
この上なく好都合だ。
「何を笑っている! 気でも触れたか? お前は今わの
「貴様こそ、何をもう勝った気でいる」
「はぁ?」
怪訝そうに顔を歪める春章。
私は再び地を蹴った。
「死ぬのは貴様だ。八部衆」
「寝言は寝て言えッ!」
春章は再び手を振るう。
まるで生きているかのように、自由自在な動きで糸が向かってくる。当たれば、人の身体ごとき容易く両断する鋼の糸だ。
「だが、それはもう知っている」
「な!!」
刀に神気を込め、一閃。
糸は弾かれ、荒ぶったまま空を裂く。
「チッ。少しはやるようだな。だが」
ばっ、と。
振られた袖から取り出されたのは
神気と術式の込められた札だ。
「霊術『
春章の詠唱が響く。再びの術式発動。
彼はニヤリと笑みを浮かべた。
「さあどうする小童!!」
護法結界――二百五十年前に術式を編み出した男、
気脈を正し、超常の力を消し去る神の壁だ。気脈操作程度の出力では、到底打ち破れぬ高等術式である。
これを打ち破るには――
「術式だ。術式しかない。さあ使ってみよ!!」
「……っ」
「ああ、そうか。使えぬのだったなあ! 悪い悪い、折角
糸は網のように広がり、迷い込んだ魚を逃さないように退路を断つ。
「術式なしで俺に勝てると思ったか? 雑魚の分際で図に乗るな! くく、ふはははははッッ!!」
勝った――そんな確信を抱いて、春章は嘲笑する。弱者をいたぶる、そのこと自体に快楽を覚える異常者。
彼はこうして、これまで
私には理解できぬ人間性だ。
「小童よ。身の程を弁え、丙号の居場所だけ吐いて死ね!!」
コイツは確かに強い。
全力を出されては、今の私でも手に余る程度には卓越した戦闘能力を持っている。
それに、私に術式の才能がないというのは紛れもない事実だ。
だが。
一つ。そして、致命的。
春章は、大きな勘違いをしている。
「いつ、私が術式を使えぬと言った」
「は……?」
集約する神気。鳴動する空間。
乱れていた気脈が、整然と一定の模様を描いていく。
「ほう……使えるのか。しかし、たかが小童の術式。八部衆であるこの俺が……」
春章の言葉が詰まる。
その表情は、見る見るうちに動揺へと変わっていく。
「なァッ!?」
ようやく気付いたか。
私の神気は、元々かなり多い。それに、神気は鍛錬により増やすことが出来る。
「あれから五年。私が遊んで暮らしていたとでも?」
神気の量は、そのまま術式の規模、威力に直結する。いま私が込めた神気は、春章が込めた神気の数倍。
護法結界を破るには、十分すぎるほどの出力だ。
「なっ!? ば、馬鹿なァッ!!」
「自らの力量を過信し、第三皇子に乗せられ、私を必要以上に侮った……それら全てが、貴様の敗因だ」
術式の構築は完了している。
私が扱える、唯一の術式。数百とある術式の中で、私が扱えたのはこれ一つだった。
応用も利かない、純然たる破壊。
三貴子の一柱たる、祟り神にして英雄神が振るった、ある神器の模倣。
術式が発動するその刹那に限り、どこにでもある鈍刀は、本物の神器の力を宿す。
「
振り上げるように放った一閃。
青白い光条。
鋼の糸は、蒸発し、光の壁は霧散する。
「ま、待て! こ、こんなのありかよォォォおおお!!!!」
春章の断末魔が虚空に響き、遅れてやって来た轟音に掻き消された。
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