第11話:素戔嗚の力

「……ぁ、はぁ……」


 戦いは終わった。

 身体が重い。視界がちかちかする。

 典型的な神気切れの症状だ。


 たった一度の術式使用でこれである。

 並の術師でも一日に十回は術式が使えるというから、やはり私の才能は乏しいらしい。恐らく、神気の変換効率が頗る悪いのだ。


 何とか解決策を見つけたいものである。


「……くっ」


 思うように動かない身体にむちを打ち、私は周りを見渡した。

 庭の石畳は切り刻まれ、敷石も散乱している。整えられていた松も、根元のところで裁断されていた。


 不幸中の幸いだったのは、被害がそれだけで済んでいることである。


 屋敷の損傷はそれ程大きなものではない。

 白髪の男も、気は失っているが無事。他に死人も出てはいないようだ。


 奥で寝ている小娘にも、しっかりと神気の反応がある。というか、この中で寝ていられるとは大した胆力だ。

 無論賞賛ではない。皮肉である。


「……まったく」


 ふと、そう呟く自分の口角がわずかに上がっていることに気付く。

 何の笑みだ。それが自分でも今一つ分からず、私は首を傾げた。


▼△▼


 同時刻。

 南の都、第三皇子の邸宅。


 書物を読んでいた第三皇子は、ふいに妙な感覚を覚えた。


「何だこれは?」


 と言いつつ、彼は直感的にその正体に思い至る。


「膨大な神気の放出……それに伴う気脈変化……?」


 それも、恐らくはかなり遠方。

 到底目視では確認できないような距離で起きたものである。


「だが、そんなことあるか?」


 遠方で生じた神気の放出など、普通感じ取れるようなものではない。

 術師の中でもかなり感覚が鋭いほうの彼ですら、今回の感覚は奇妙に思われた。


 その時のこと。


 床の間に七つ並べられていた水晶玉の一つが、突如眩い光を放つ。

 ちょうど商都で六尊が放った、あの一閃と同じような青い光だ。

 

「お……そうか、そういうことかっ!!」


 その意味を、第三皇子は瞬時に理解する。

 彼は歓喜に満ちた表情で、輝く水晶玉を高々と掲げた。


「ついに現れたか! あれから二年……そこそこ掛かったな!! くく、あははははは!!」


 はしゃぐ第三皇子。その彼に、穏やかな視線を向ける少年が一人。


「三宮様。お楽しみのところ申し訳ないのですが」

 

「おい明王丸みょうおうまる。お前いつからそこにいた?」


「つい先程から」


 ニコリと。明王丸と呼ばれた少年は微笑む。そこに悪びれる様子は一切ない。


 第三皇子は顔をしかめて、


「言っておくが、ここは僕の屋敷だ。お前の家ではないぞ。入るときは一言くらい声を掛けろ」


「これは失礼いたしました」


 上辺だけ取り繕った笑みで、明王丸と呼ばれた少年はすまなさそうに頭を下げる。

 第三皇子はため息をついた。


「まあ今更だ。それで、何の用だ」


「取り急ぎお伝えたきことがございまして」


「奇遇だな。僕もちょうど今、それが出来たところだ」


 意味深な笑みで、第三皇子は告げる。

 彼は扇で口元を隠しつつ、


「お前のから先に聞こうか。申してみよ」


「恐らくですが、春章が死にました」


「ほう…………何?」


 ぴくりと、第三皇子は眉を吊り上げる。


「もうやられたのか、八部衆が」


「ええ。先刻より彼の神気が感じられません。商都にて何かあったのかと」


「商都、とな」


 ニヤリと笑みを浮かべる第三皇子。明王丸は目を細め、怪訝そうに首を傾げる。


「何か思い当たることでもおありで?」


「ああ、大アリだよ。僕の話もそれさ」


▼△▼


 北の都。

 碁盤の目のように区画された巨大都市。

 そのどこでもない座標に、彼の屋敷は建っている。


「ふむ?」


 和綴わとじの本をぱたりと閉じて、青年は南の方角に目を向けた。彼は思案するように俯いて、顎に手を当てる。


「これは少々……」


 少し青味がかった黒髪に、長身。

 色白の肌に、すっと通った鼻筋。月並みだが、美丈夫という言葉が似合う容貌。

 歳は、二十手前といったところだろう。


 彼の名は高階師忠たかしなのもろただ


 術式を編み出した人物、浄御原帝の末裔にして、その秘儀を継承する高階家の長だ。

 南の都を見限った彼は、現在若年の身にして北の都の高官を務めている。


 そんな時、ふと彼の視界の端に、一人の少女が映った。


「おや。仁王丸におうまる、まだ起きていたのですね」


 師忠は困ったような顔で、仁王丸と呼ばれた少女の頭にポンと手を置く。

 まだ十にも満たない少女は、「ふゆっ」と気の抜けた声を漏らすと、どこか不服そうな目をした。


 師忠は、そんな彼女をたしなめるように、


「もううしの刻を周っていますよ。早く寝ないと背が伸びません。良いのですか?」


「それは……いやですけど……」


「なら、もう寝なさい。鍛錬は程々に。身体を壊しては元も子もありませんよ?」


 穏やかな笑みで告げる師忠。

 仁王丸は渋々といった顔で自分の部屋へ戻っていった。


「さて」


 師忠は再び思案する。

 先ほど、ほんの一瞬だけ感じた神気。


 彼は知っている。


 純粋で、膨大な水の神気。

 並の術師が扱うのとは、全く異質の気脈。

 その正体を。


「皇国でただ一人しか扱えない素戔嗚すさのおの気脈……しかも、先代より更に純度が高い」


 彼は懐かしそうな笑みで独りごつ。


「まだまだ未熟。不完全も不完全。でも……ふふ、そうですか」


 浄御原帝が設定した、術式理論の特異点。

 皇国祭祀の核心にして、超常の力を操る七柱の存在。


 人は彼らを神子みこと呼ぶ。


 その中でも、隔絶した神気と戦闘能力を持ち、最強と称えられる存在こそ――


「序列第二位、蒼天の神子。もう復活していたのですね」


▼△▼


 どこでもない、何も無い場所。


 殺風景なその場所で、軍服に外套マントという奇怪な装いの男は、意味深な笑みを浮かべる。


「蒼天……ようやく目覚めたか」


 彼がポンと手を叩くと、現れたのはテーブルと椅子。男はマントをひるがえして椅子に腰掛け、脚を組んだ。


「やっぱり彼だった。まあそうだよねぇ。だって、顔そっくりだったもん」


 男の視線の先の空間には、モニターのように映像が映し出されている。

 そこに映っているのは――


「六尊くん。やっと力の使い方を覚えたんだね。良かった。あの時助けてあげた甲斐があったよ」


 そして、ニヤリと。

 男は告げる。


「精々頑張ってくれたまえ。僕の目的のためにも、ね」

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