第43話:蒼天の秘儀
屋敷に戻ると、和加が飛び出してきた。ボロボロの衣を
「どうしたのっ!?」
「……伊奈が南都に連れ去られた」
「!?」
目を見開く和加。その手は震えている。立て続けに飛び込んできた想定外に、思考と身体が追いついていないといったところだ。
国弘はそんな彼女の肩に手を置き、
「
「く、国弘は?」
「俺はコイツを奥へ連れていく」
「っ!!」
私には分からないが、和加にはそれで全てが通じたらしい。彼女は力強く頷くと、足早に屋敷から駆け出していった。
国弘は目を伏せ、息を吐く。
「さて、俺たちも行くとしよう」
「何処へ」
「言っただろう。奥さ」
▼△▼
鳥居をくぐり、参道を進む。血に穢れたままで良いのかは甚だ疑問だが、宮司である国弘が良いと言うのなら良いのだろう。
だが――
「……何処まで行くのだ」
「黙ってついて来い」
もう本殿は通り過ぎた。私たちが進んでいるのは山道である。何処に向かっているのか、とんと見当もつかない。
「……」
気脈が異様だ。恐らく空間が捻じ曲がっている。人為的なものではない。自然の結界だ。一人なら間違いなく迷っていただろう。
そうしているうちに、辿り着いたのは洞穴だった。積み上げられた小石に蒸した苔。入口には鳥居が立ち、注連縄が掛けられている。さながら異界の入口といった様子だ。
「何だここは」
「
「……有効化、だと?」
「ああ。神の声を聞き、契神回路を整えてようやく、神子は神子として開花する。先代の『蒼天』も、二十年前にこの過程を踏んだ」
「先代……」
三年前に死んだ、南都の最高戦力。一応、私の叔父にあたる人物だ。特に思い入れがある人物でもない。顔も知らぬ。ただ、晩年は負けが続き、心を病んで気が触れ、最期は北都の摂政に討たれたらしい。哀れな男だ。
「……」
「何を呆けている」
「……いや」
「ならさっさと中に入れ。そして、神経を研ぎ澄ますのだ。さすれば、素戔嗚は語りかけてくるだろう」
「中には何がある」
「何もない……いや、無いことはないが、それは俺には分からぬ。蒼天たる資格を持つ者のみが感じられる何かがあるらしい」
「そうか」
随分と漠然とした答えである。
まあ良い。入れば分かることだ。
しかし――
「神の声を聞く……か」
結局、師忠が言っていたところに辿り着いた訳である。
これではまるで、全てあの男の思う通りではないか。奴は一体どこまで知っている。いや、どこまで見えている。
「……」
薄気味悪さを覚えつつ、私は鳥居をくぐる。その時だった。
「ッ!?」
歪む視界。襲い来る浮遊感。
転移術式ではない。気脈の収束はなかった。では、これは何だ!?
理由も分からず、私は
▼△▼
何もない、白い部屋。壁も天井もない、だだっ広い部屋。あるいは、それは到底部屋とは呼べぬものなのかも知れない。だが、私はそれを部屋だと認識した。
「……」
とても洞穴の中だとは思えない。
いや、あれはただの入口に過ぎなかったのだろう。私は異界に迷い込んだのだ。
少し歩いてみる。だが、幾ら進んでも変わりがない。出口もなく、窓もない。
どうやら閉じ込められたようだ。
「……チッ」
こんなところで油を売っている暇はない。一刻も早く蒼天の力をモノにし、南都に向かわなくては――そんな焦燥感が胸を焼き、いたずらに思考回路を圧迫する。空転する頭に苛立ちを覚えて、握った拳に血が滲んだ。
その瞬間、ふいに気配を感じて振り返る。
「誰っ――」
思わず、言葉が途切れた。
声が出ない。こんなことはあり得ない。
なんだこれは。悪い夢でも見ているのか?
「………………っ」
そこに立っているのは、一人の青年。
薄橙の髪に、紺碧の瞳。見知らぬ装束に身を纏っていることを除いて、私は彼を見飽きるほどに知っている。
ソイツは、紛れもなく私だった。
「………………ぁ」
『私』は、何も言わない。
ただ、慈しむような、憐れむような表情で佇んでいる。それは決して、私が普段浮かべることの無いような表情だ。
そこで初めて理解する。
コイツは私ではない。
私と同質で、等価なだけの別人だ。私と違う場所で生まれ、私と違う時を過ごし、私と違う最期を迎えた成れの果て。
いや、待てよ。まさか――
「お前が、素戔嗚なのか?」
「……」
ソイツは答えない。肯定も、否定もせず、ただ静かに目を細める。
そして、
「……っ!」
音も無く一瞬で私との距離を詰め、彼は私の肩に手を置く。
刹那、ばちりと、何かが弾けるような感触がした。
「何を――」
『鎖は解いたぞ』
「!?」
ソイツは、私の声で告げる。そして彼は手を離し、去り際に耳元で言った。
『アイツを守ってやれ。お前は、私と同じ過ちを犯すな』
「――ッ!!」
直後、揺らぐ地面、崩れる空間。
私は再び現し世へと弾き出される。
▼△▼
気付くと、私は洞穴の入り口で倒れていた。数刻は経ったと思っていたが、国弘の様子を見る限り一刻も経っていない。あるいは、ほんの一瞬だったのかもしれぬ。
「素戔嗚には会えたか」
「……さあな」
まだ感触の残る肩に手を置き、そのまま
見た目には特に変化はない。だが、一つ明確に変わったことがあった。
「……気脈の巡りが格段に良くなっている」
「蒼天の気脈が最適化されたのだ」
「最適化だと?」
「ああ。そもそも、神子の気脈は並人とは異なる。あれは神の気脈だ。人の身にて扱おうとしても、そのままでは上手くいかぬ。だから、人の身に合うよう手を加える必要があったのだ」
つまり、あの時彼が私に施したのは、その調整というわけか。
……いや、待てよ。そうなると――
「まさか、今まで私が術式の才に乏しかったのは」
「これまでは、合わない回路で無理に術式を動かそうとしていた。合わぬ故に、出来るものも出来なかった。それだけに過ぎない」
さらりと、当然のように言ってのける。
だが、私には
これだけ私を苦しめ、母たちが軽んじられる原因になったものが、そんなに単純なものだったなど――
思わず、私は問い返した。
「本当に……それだけなのか?」
「ああ。それだけだ。術式の知識、気脈操作の技量、権限の行使……貴様は、独力でそこまで辿り着いただろう。それが何よりの証。もとより貴様は無能じゃない」
「……っ」
「ただ、巡り合わせが悪かっただけだ。貴様を無能と言った奴らは、余程軽率だったとみえる」
なんだそれは。
ここまでの私の苦しみは、全て上の勘違いのせいだったというのか?
そんな下らぬ勘違いのせいで、皆は死ななければならなかったのか?
「……これではまるで馬鹿ではないか」
私は、ずっと自分を責めていた。
私に才があれば、上皇は私を認め、母を放逐することは無かった。私が無能なせいで皆が苦しんだのだ――そう思っていた。
だから、私も同罪だと思っていた。上皇と同じように、私も報いを受けるべきだと思っていた。
だが、違った。
これは、ただの理不尽だった。上皇や兄が愚かなせいでこうなったのだ。彼奴らが、この程度のことにも気付けず、その勘違いで我らを冷遇し、あまつさえ手に掛けたのだ。
「ふざけるなよ」
沸々と、怒りが込み上げてきた。
だが、前とは違う。
もう自分を責めることはしない。澄み切った心で、私は奴らに怒りを向けている。
もはや、迷いなどは一片もなかった。
国弘は、そんな私の肩に手を置く。
「ともあれ、これで晴れてお前は『蒼天』だ。皇国最強の名を冠する神子の力を手にしたお前なら、南都相手に犬死することはあるまい。だが、慢心するなよ。前にも言ったが、貴様が南都に勝てる確率は良くて二割だ。引き際は理解しておけ」
「戯言を。戦う前から負けを考えてどうする」
「勝つ気か」
「無論」
「ふっ、ならばやってみせよ」
国弘はニイと微笑み、袖を振るう。
すると、突如現れたのは――
「これ、六尊くんの荷物だから」
「!!」
和加が包を提げて立っている。
「これは……!」
「転移術式。一応、術式陣を記した霊符をお前にもいくらか渡しておく。好きに使え」
国弘は霊符を、和加は荷物を放り投げる。私はそれを慌てて受け取った。
国弘は自慢げに微笑み、東に向かって指をさす。
「ここから貴様を
「!!」
三日……とんでもない近道だ。
やはり、術師としてコイツは何歩も私の先を行っている。
だが、それなら話は早い。
「恩に着る」
「なに。この程度どうということはない」
そう告げて、国弘は霊符を撒いた。
響く詠唱。収束する神気。揺れる空間。
直後、術式は空間を切り裂き、その狭間に遠き地を繋いだ。淡い光とともに、私の身体は彼方へと誘われる。
「……死ぬなよ」
「当然」
これは復讐だ。
母や私だけではない。奴らに奪われた全ての者に捧ぐ復讐だ。
彼女は私に言ったのだ。
私には生きる価値があると。
私は罪を償えると。
誰だって幸せを望んでよいのだと。
だから、必ず成し遂げる。
報われなかった者たちの無念を晴らすため。そして、報われるべき者の未来を消さないため――私は必ず救ってみせる。
これは復讐だ。地獄への片道手形ではない。過去と決別し、前に進むための復讐だ。長く続いた絶望に終止符を打ち、新たな世界を歩むための第一歩だ。
その為なら、私は国だって斬ってやる。
待っていろ、伊奈。
私が必ず、お前を救いに行く。
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