第42話:理不尽
「国弘……国弘ォォォッッ!!!!」
「ぐッ!!」
思わず私は、激情に突き動かされて国弘の首を掴んだ。動脈がうねり、彼は掠れたうめき声を上げる。
「お前がヘマをしなければ、八部衆が出雲に入ることは無かった。お前が慢心しなければ、伊奈が死ぬことも無かった。お前が私をあの時引き留めなければ、こんなことにはならなかった。お前が、お前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がッ!!」
「……ぁ」
「今更何のつもりだ。伊奈は死んだぞ。お前が騙ったような、手を伸ばせば届く平穏などやはり無かった。そんな張りぼての幻想に眩惑して、私は何もかも失った。失わないで良いものまで失った!!」
「……っ」
「もう、どうでも良い。やはり、私に明日を望む資格などなかった。私は上皇と刺し違えて死ぬ。もう……どうでも」
その時だった。
「ぁ……早ま、るな、馬鹿者め!」
「……ッ!?」
国弘は静かに、だが力強く告げる。これまでの斜に構えたような口ぶりではない。本心から、私を叱責するように言葉を紡いだ。その気迫に、私は思わず手を放す。
国弘はよろめきながらも、崩れかけの壁にもたれ掛かる。彼はギラギラと光る瞳で私を見た。
「確かに、俺は間違えた。いや、間違えたのではない。勝ち筋を消されてしまったことに気付かなかった……これは紛れもない俺の落ち度、言い訳などするつもりは無い。此度の件の責めは幾らでも負おう。だがな……」
国弘は、一つ大きく息を吸った。
まるで、時が止まるかのような緊張と沈黙。そして――
「貴様は一つ、大きな勘違いをしている」
「勘違い……だと?」
そこで私は初めて気付く。
「ッ!?」
遺体がない。彼女の首も、首を落とされた彼女の身体も、血溜まりを残して消え去っているではないか。
「これは……!」
「連れ去られたのだ。伊奈は……灼天はまだ生きている」
静かに、だが確かに告げられたその言葉。
空転する私の思考回路は、処理しきれない感情で過熱する。
だが、国弘は落ち着き払った声で続けた。
「
「待て、伊奈はまさか……!?」
「ああ。三年前、北の都を焼き尽くした災厄の神子――その本人だ」
「……ッ!!」
そこで、国弘の言葉は私の理解を超えた。
北都焼き討ち――南都によって行われた奇襲策。武官、文官、民草の別なく、六万人が焼死したとされる史上空前の虐殺。南都の人間ですら、言うに
「ふざけたことを言うなッ!! アイツが人を殺めるなどあるはずが」
「ない。それは俺も同感だ」
ぴしゃりと、国弘は私の言葉を遮る。
彼は、私が次の言葉を紡ぐ前に、
「だが、それはあくまで彼奴が正気であればの話」
「何を……」
「皇太子が、それを許したと思うか?」
「!!」
皇太子――私の母を手に掛けた第五皇子。まさか、奴がここでも……!!
「灼天は、純粋な戦闘能力なら蒼天に次ぐ上位の神子。それも、広域
理屈は分かる。分かるが、馬鹿げている。
人を人とも思わず、命を道具としか見ない人でなしの理屈だ。
「くっ……!」
怒りに血が沸き立つのが感じられる中、国弘はさらに続ける。
「それに、方法ならいくらでもある」
「第三……皇子!」
「ああ。アイツが何らかの方法で伊奈の精神に細工を施し、北都を焼かせた。あの男らしい残虐な仕打だな」
「……」
「そして、奴らはまた伊奈の力を欲している。だから、こうして奪い返しに来たというところだ」
握った拳から血が滲む。憎しみ、怒り、軽蔑。様々な感情の渦の中、私は国弘に問う。
「……一つ聞いて良いか」
「なんだ」
「灼天の力は、伊奈が望んで手にしたものだと思うか」
確かめたかった。
これは、彼女の意思なのか。
それとも、世界が課した理不尽なのか。
「……」
暫しの沈黙。
国弘は、瞑目して告げる。
「断言しよう。それは、絶対にない」
「!」
「そもそも、望んだとて手に入るものでもない。伊奈には、稲田姫の気脈が流れている。豊穣神の風の神気だ。断じて、荒ぶる火の神の気脈ではない」
安堵。それに近い感情が雪崩込む。
彼女が私に見せた笑顔は偽りではない――そんな証明を得た気がして、同時により強い怒りが湧いてきて、思考は混線した。
「だが、なら何故……!」
「簡単なことだ。南都の奴らが無理やり植え付けたのだろう。彼奴には、権限の器としての才覚があった。何せ、稲田姫の気脈が流れている程度には、神に近い性質を帯びていたのだからな。いわば、神子のなり損ない――それが、灼天を得る前の伊奈の本質だろう」
「……っ」
「被験体、といったか。あれは恐らく、第三皇子の研究だ。奴の研究は神子の複製。すなわち、権能の再現だ。伊奈は、その実験台になった。そして、灼天の力を押し付けられた、と」
結局は、伊奈も犠牲者なのだ。人を人とも思わぬ第五皇子、命を弄ぶ第三皇子、そして、奴らを率いる邪智暴虐の上皇――そんな人でなしたちの犠牲者。
無論、それでアイツの罪が消えるとは思わない。それ程までに、三年前の事件は凄惨な悲劇だ。
だが、それでも――
「……アイツに、何の非がある」
思わず、心の声が漏れる。
「アイツが一体、何をした。何故、アイツがこんな目に合わなくてはならぬ。アイツは善人だ。世界から祝福されるべき人間だ! 決して、災厄の化け物などではないッ!! 何故、アイツが苦しまなくてはならぬ……何故、南都はアイツを弄ぶッ!!」
パキリと、冷気が大路を包む。蒼天の権限――忌まわしき八部衆には届かなかった力が、行き場を無くして暴発する。
「こんな理不尽、許されてなるものか! 助ける。助けてやる……絶対に!!」
次の瞬間、私は何も考えずに走り出そうとした。その直後。
「待て」
国弘が私を呼び止める。
丁度、あの夜と同じように。
彼は目を細め、静かに告げた。
「蒼天の秘儀、今の貴様になら教えてやる」
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