第41話:影は囁く
偉ぶる様子も無く、鼻にかける素振りすらなく、少年はさらりと名乗った。
まるで、肩書などには興味がないとでも言わんばかりの口調。
やはり、この少年は違う。
怒りに狂う六尊でも、それくらいは感じ取れただろう。
在り方からして、明王丸とやらは並みの人間ではない。見るところ、彼の歳は六尊とそう変わらないだろう。そんな若年で八部衆の筆頭まで上り詰めるなど、どう考えても尋常ではない。
だがそれは、今の六尊にとって何の意味も持たなかった。
「……っ!」
明王丸の視界から六尊が消える。
気脈操作。いや、操作などというほど緻密なものではない。感情のままに溢れ出る神気が、暴走しながら身体を突き動かした。神速というにほかない速度で、六尊は明王丸の首を狙う。だが――
「ふふ」
明王丸は対応する。目で追えずとも、豊富な実戦経験と生まれもっての圧倒的なセンスが、彼に刃を届かせない。
「流石は蒼天。皇国最強と名高い神子。ですが」
「ぐふッ!?」
明王丸の回し蹴りが、的確に六尊の鳩尾を突く。六尊はそのまま、受け身も取れずに吹き飛んだ。
「少し粗すぎますね。これでは私に勝てない」
その顔に些かの失望を滲ませ、明王丸はため息をつく。彼は六尊に歩み寄り、彼を見下しながら言った。
「残念だなぁ。私は、皇国最強と戦いにきたんです。でも、これじゃ程遠い」
「がはっ!!」
うずくまる六尊の腹に蹴りを入れ、明王丸はなお続ける。
「蒼天は、もっと狡猾で、冷静で、緻密で、大胆で、目の前の敵を全てで上回り、圧倒的な力で薙ぎ倒さなくてはいけない……先代の蒼天は、そういう戦いをしてきました」
「ぅ……」
「ですが貴方は違う。怒りに我を忘れ、気脈の操作を誤り、先の読まれやすい単純な動きしか出来ていない。これでは台無しです。折角の蒼天が勿体ない」
明王丸はしゃがみ込み、六尊の髪を掴む。
そして、曇った真黒の瞳で微笑んだ。
「たかが小娘一人死んだ程度で、何をそんなに動揺してるんです?」
「――ィッ!!」
一閃。六尊の怒りを乗せた太刀が、大きな弧を描いて明王丸の首を狙う。
だが、速い。明王丸は凄まじい反応でこれを回避し、一瞬で六尊から距離をとった。
「ふふ、まだやりますか」
明王丸の頬に薄く血が滲む。彼をそれを手で拭って、挑発的な表情を浮かべた。
彼の視線の先には、よろめきながらも立ち上がる六尊がいる。
張り詰められた糸のような緊張。収束する気脈、流れ込む神気。この手合は、次の段階へと移行する。
「契神「
「契神「
同時に詠唱が響く。ともに英雄神の用いた神代の宝剣を名を唱え、現し世に超常の力が具現した。
「ふふ、あははッ!!」
今、南の都は北の都と停戦協定を結んでいる。北の都の勢力圏にある出雲で彼らが騒ぎを起こせば、その協定が破棄されかねない。そうなれば、北の都は直ちに南の都へ兵を送る可能性もある。
北の都は師忠を初め手練れの術師を複数有し、『
にもかかわらず、明王丸は白昼堂々六尊たちを襲い、術式を使った。そして、六尊はこれに応えた。
これはもはや、南都勢力の内輪揉めの域を逸脱している。
「――ッ!!」
眩い閃光に沈む町並み。逃げ惑う人々を巻き込みながら、彼らの異能は対消滅する。
だが、戦いは終わらない。六尊は神気切れのはずだが、収まらぬ闘争心と憎悪が麻薬のように彼の身体の枷を外した。すぐさま彼らは刀を構え直し、再び間合いは極小となる。
「滅びよ、悪鬼めッ!!」
「お断りします」
甲高い音が鳴り響き、火花が天を焦がす。
形勢は互角に見えるが、神気切れを起こしている分六尊の方が不利だ。持久戦になれば、確実に命を持っていかれる。
そして、六尊の驚異的な速度も、並外れた出力も、水のように自在な攻防を展開する明王丸の前では無意味だった。
「ぐ……」
片膝をつく六尊。いくら心が燃えていようと、身体には限界がある。神気切れの彼には、これ以上の継戦能力は残っていない。
「さて、終わりです」
明王丸が大地を蹴り、霊符を撒く。
収束する気脈。術式の発動。
「契神――」
その時だった。
ふいに神気が発散する。
「ッ!?」
そして明王丸は即座に気付いた。
「術式阻害……! まさか、国造の結界が!?」
直後、凄まじい数の光剣が降り注ぐ。八千矛神の神威がこもった術式が、暗殺者の命脈を断たんと容赦なく放たれた。
「……」
だが、彼は立っている。流石に無傷とはいかないが、致命傷と言えるような傷は一つも受けていない。
とはいえ、形勢は逆転した。
「随分と派手にやってくれたなぁ、八部衆」
「国……弘」
目を見開く六尊。遅ればせながら登場した国弘は、昏い瞳で明王丸を睨みつける。
「北都との約定はもう終わりか?」
「ふふ、どうせ前から全部バレてますよ。因幡の件もありますし、何より
「開き直りか」
「ええ。分かりやすくて良いじゃないですか」
そう言って、明王丸は穏やかな笑みを浮かべた。まるで、この状況を楽しんでいるかのように。
いや、違う。この笑みに感情はない。
彼は虚ろだ。ただ、条件反射でこの表情を浮かべている。国弘は目を細めた。
(心が読めない。厄介な相手だ)
「ああ、そんなにご警戒なさらず。今回は退くことにしますよ。何せ私は貴方に勝てませんし、勝つ気もありません」
「……何?」
「無論、今は……ですが」
困惑する国弘を嘲笑うように、明王丸は袖を払う。そして、音も無く六尊の真横にピタリとつけた。
「ご安心を。貴方も国造殿も、時が来れば殺しますので」
「――ィ!!」
六尊は刀を横薙ぎに払った。だが、手応えはない。明王丸は六尊と背中合わせになりつつ、明るい声で告げる。
「それでは、南都でお待ちしております。完全な『蒼天』となった貴方と戦える日を楽しみにしていますよ」
「待てッ!!」
空間の歪み、気脈の変化。転移術式の発動。手を伸ばすが届かない。夕闇へと吸い込まれるように、明王丸は姿を消す。
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