第40話:動き出す歯車
寒風の吹く師走の空。
国弘は、国境近くの砂浜を一人歩いていた。出雲の王たる彼が、たった一人でこうしているのには訳がある。
(何者かが結界に干渉した痕跡があった。恐らく南都の奴らだろう。流石にそろそろ嗅ぎつけたか……)
いつも余裕に溢れた彼にしては、珍しく険しい表情をしている。
結界の異常――それは、国弘にとっても誤算だった。というのも、彼は結界術には絶対の自信を持っていたのだ。
(無論、自分の技術が師忠に及ばないこと位理解している。彼奴は別だ。彼奴は皇国における術式体系の特異点……あんな奴に正攻法で勝てると思うほど俺は自惚れていない)
「ただ……」
師忠以外には、絶対に突破させない。そんな自信があった。何せ、結界術はあらゆる術式の根源に位置する技術。高度な結界術は、ある領域まで至った術師であることの証明。
(俺が、師忠以外に負けることなど……)
だが、現に彼の結界は揺らいだ。
その事実に、国弘は些かばかりの苛立ちを覚える。
そんな感情を自覚して、彼は自嘲するように息を吐いた。
「ふっ……らしくもない」
握りしめた拳を開いて、国弘は虚空に掲げる。
「ここだな」
目を細める国弘。
異常と原因を見極めようと、彼は感覚を研ぎ澄ます。
その時だった。
ふいに混じった妙な感覚。具体的な感覚ではない。違和感――そうとしか形容できない感覚。誰もいない、五感はそう告げている。にもかかわらず、気脈は何者かの存在を主張しているのだ。隠匿術式などという次元ではない。これは、もっと――
「……これは、貴様がやったのか」
「へーぇ。君、良い勘してるじゃん」
突如現れる声。そこに立っているのは、一人の男。真っ黒の軍服に
「でも、違うね。僕は見ていただけさ」
「そうか。なら、問い方を変えよう」
「うん?」
「この運命線を引いたのは貴様だな」
煽るように告げ、瞑目する国弘。
相変わらずの口調だが、その胸中はいつもと事情が異なっている。
「ほーぅ?」
今、彼の胸中には諦めにも近い感情が渦巻いていた。
確かに国弘は、神都出雲の気脈を掌握し、大国主の祭主として人外の出力を誇っている。そんな彼に対抗できる人間は、神子を含めても数人しかいないだろう。
それ程までに、国弘は強大な術師だ。
だが、彼は同時に皇国屈指の術式学者である。だから、分かってしまう。
目の前の男の異常さに。
人の域を超えた高度な術式に。
まがい物ではない、本物の権限に。
「貴様は――」
「古都主。しがない国つ神さ」
「ッ!!」
「にしてもよく分かったねぇ。人間の分際で凄いなぁ」
外套を翻し、にこりと微笑む男。
国弘は軽く目を見開き、ひきつった表情で苦笑した。
「そうか……お前が」
国弘は気付いている。
五年前に六尊を救った謎の術師。目的、所属、素顔、全てが不明の存在。それは、いま目の前にいるこの古都主という男だ。
やれやれと手を広げ、国弘は憎らしげに告げる。
「で、その国つ神様が俺に何の用だ。神在祭の礼なら要らぬぞ?」
「あはは、君面白いこと言うねぇ! でも残念。外れだ。僕の目的は君の足止め」
「足止めだと?」
「うん。ほんの二分。でも、致命的な二分だ。この物語がバットエンドで終わるように、君には少し寝てて貰うよ」
あっけらかんと言い放つ。
だが、無論受け入れるわけにはいかない。
出雲の結界は、国弘の状態と繋がっているのだ。彼が正常な状態にあれば、結界は悪意ある存在の侵入を拒み、出雲を絶対安全圏に維持することが出来る。
逆に彼が戦闘不能になり、術式行使が不可能になれば、それだけで出雲の守りは大幅に削がれる。南都の侵入を防ぐことも難しくなるだろう。古都主の狙いはそこにある。
「君、強すぎるんだよ。君がいると、南都は出雲に手が出せない。それじゃぁ僕の筋書きが進まなくて困るんだよねぇ」
「貴様の事情など知ったことか」
故に、国弘は迷わなかった。
「へぇ、やるんだ」
共鳴する空間、緊張する気脈。集約する膨大な神気は、天地を歪めるような錯覚すら引き起こした。まさに現人神の威光。神代より続く名門の血が、
「契神「
直後、空を覆うように現れた無数の光剣。その一つ一つが、悪神を滅ぼすのに十分な威力を有している。逃げ場などない。防ごうにもこの物量。
大国主命との同一化、大社の気脈の掌握、疑似的な権限――それら全てが合わさり、初めて可能になる神技。
これこそ、出雲がたった一国で独立勢力を維持し続けられた所以である。
「滅びよ、祀ろわぬ悪神めッ!!」
国弘が手を向けた直後、光剣は一直線に古都主へと向かう。白む空、舞う土煙、抉れる大地。人の領域を逸脱した破壊が容赦なく国つ神へと降り注ぐ。まともに食らえば、塵すら残らないような規格外の火力だ。
だが――
「成る程。確かにこれは、現人神と呼ばれるに値する力だ。でも……もうおしまい?」
穴だらけになった大地から離れ、宙に浮かんだ古都主は小首を傾げる。致命傷はおろか、かすり傷すらついていない。
国弘は苦しげな笑みを浮かべて、
「まだだ。契神「
妖しい光とともに吹き荒れる暴風。幽世より還りし地上の主宰神の霊威がもたらす常識外の異能。それは空間ごと対象を捻じ曲げ、確実に葬り去る神の御業だ。
しかし、古都主は顔色一つ変えない。仮に神であったとしても、食らえば祓われてしまいかねない強大な気脈を前にして、彼は軽くうつむいたまま中空に佇んでいる。そして、
「ッ!?」
古都主はおもむろに口を開いた。
『解けろ』
霧散する術式。だが、術式阻害の気配はなかった。神気や気脈を乱されたわけではない。ただ、術式だけを破壊された。国弘は理解不能の事態に目を見開く。
「何を……!」
「どれだけ高度でも、所詮術式は権限の下位――これは大原則さ。何せ、そういうふうに設計してあるからねぇ」
一瞬で、古都主は国弘の後ろに立っている。音も、気配も、予兆もない。
勢いよく国弘は振り返る。
「貴様は、まさか――」
「多分、その勘も当たってるよ」
舞う外套。ひらめく垂れ布。その奥で怪しい笑みを浮かべて、黒幕は手を伸ばす。
「それじゃぁ、『お休み』」
▼△▼
伸ばした手は空を切り、生ぬるい血が顔を濡らす。何が起きた。理解が、追いつかない。身体から血の気が引いていく。
「い、な……?」
いや、違う。これは現実ではない。幻惑だ。虚像だ。そんなことはあってはならない。こんなこと……
「……嘘だ」
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「ふふ」
血濡れの太刀をもたげるのは、真っ黒な瞳に平凡な顔つきをした一人の少年。
伊奈の桜色の髪を無造作に掴み、彼女の首を掲げるソイツは、どこか気恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「やっぱり二人まとめては無理ですか」
「……ね」
「? どうかし――」
「死ねッッ!!!!」
手を振るう。怒りを、憎悪を、殺意を込めて、伊奈を殺した少年に向けて力を向ける。周りの被害などどうでも良い。私に、それを気に掛けるだけの冷静さは保てない。
ただ、コイツを殺す。
膨大な冷気が、町並みを巻き込んで敵を包んだ。絶対に生かしては帰さない。
コイツは、コイツらは、母上だけでなく伊奈までッ……!!
「あは、すごいな!」
だが、冷気の中心に少年は立っている。堅牢な防御術式。それも、恐らく私の力に特化した一点ものの術式だ。こんなものを編み出せる奴は第三皇子しかいない。そして、奴はあの男の命でしか動かない。
「何処まで……何処まで奪えば気が済むのだ! 上皇ォォォッ!!」
「濡れ衣ですよ。この件に陛下は興味をお示しにならないので」
「なら、貴様は何なんだァッ!!」
「え、私ですか?」
ニコリと微笑む少年。
彼は袖を振るい、慇懃無礼に一礼した。
「私は源明王丸。一応、八部衆の筆頭とやらをやっている者です。皇太子殿下の命を受け、貴方がたのお命頂きに参りました」
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