第15話:破れぬ壁

 師忠は動かない。ただ、穏やかな笑みで扇を広げ、口元を隠している。

 とても戦闘の最中とは思えない、自然体の立ち姿。まるで、まだ戯れにすらならないとでも言いたげな態度だ。


「どうしました? 振らなければ当たりませんよ?」


「ほざけ!」


 思い切り刀を振り抜く。

 やはり避けない。


「くっ!」


 まただ。すり抜ける。そこにいるはずなのに、掠る気配すらない。

 あれから何度こうしても、結果は同じことだった。

 

「一体、何がどうなっている……?」


「ふふ、悩んでいますね」


「ぃっ!?」

 

 突如襲い来る浮遊感。いや、私の足は大地に付いている。

 これは……空間の歪曲!?


「ぐはッ!!」


 不可視の斥力に押し出され、私は地面に打ち付けられる。

 またしても詠唱はない。


「でも、あまりに考えすぎてはこうなりますよ?」


「ぐ……」


 そうは言っても、このままでは埒が明かない。

 奴の異能の絡繰りを暴かないことには、そもそも勝機が無いに等しい。


 どうする。


 幸い今のところ、師忠は積極的には攻めてきていない。

 品定めと言ったか。奴はこちらの力量を測るために、最小限の動きで圧を掛けている。

 ものを試すなら今のうちだ。


「……」


 すり抜ける異能――あれはおそらく空間術式の転用だ。

 護法結界を始めとして、高階の相伝には空間術式が多い。あれも恐らくその一種だろう。詠唱がないから、そのタネはなかなか分からないが。


 だが、そこまで分かれば後はどうとでもなろう。私が倒れるより先に、そのタネを割ってやる。


「さあ、どうぞ」


「言われずとも!!」


 空間術式――それは、気脈を操作し疑似的に異空間を創出する神の御業。

 大国主おおくにぬし黄泉津大神よもつおおかみ月詠つきよみ少彦名すくなひこなといった、異界の神々との契約により発現する仮想の権限。

 空間ごと切り離された相手には、相互に干渉することが出来ない――これが、空間術式の原則だ。


 つまり、


「ふっ!!」


 師忠の間合いに飛び込み、再び抜刀。

 今度も、師忠は動かない。何故なら、この斬撃は絶対に当たらないからだ。


「無駄ですよ」


 分かっている。分かっていてなお、私は刀を振るったのだ。

 私の狙いは――


「そこだ」


「ふむ?」


 再び爆ぜる空間。

 だが、これは織り込み済みだ。


「……っ!」


 微かに揺れる師忠の袖。間一髪で避けられたが、初めて手応えがあった。

 やはりな。思った通りだ。


「気付きましたか」


「ああ。空間術式は原則相互不干渉……にもかかわらず、お前は私に攻撃を当ててくる。つまり、お前は私に攻撃を放つ瞬間、術式を解いているな?」


「ほう」


「なら、お前が攻撃を放つ瞬間、私も攻めに転ずれば良い。それでお前にも刀が届く」


「ふむふむ」


 師忠は、感心したように幾度か頷く。

 そして、ぱちぱちと手を叩いた。


「ふふ、流石です。このわずかな時間でよくそこまで辿り着きましたね」


 まだ決着はついていない。

 師忠は依然無傷だ。

 だが、これで奴にも攻撃が当たる。

 手数を増やせばいずれ――


「でも」


 奴は、ふいにニヤリと口角をつり上げる。

 先ほどの笑みとは違う、嫌味の込められた笑みだ。


「何が、おかしい」


「いえ。ただ、それだと一つ落とし穴がありませんか?」


「何?」


「私が術式を解かなければ、貴方はどうするんです」


「!!」


 至極単純。

 されど真っ当。

 だが、それ故に見落とした。


「なにせ、別に私は貴方を攻撃する必要性があまり無いんですよねぇ。私が守りに徹すれば、貴方の攻撃の機会は無くなる。そうなれば厳しいですよね」


「く……」


 そうだ。これはただの品定め。

 殺し合いではない。これまでの攻撃は、全て私にそう誤認させるための誘導か。


 だが、どうする。


 これで術式発動の隙を突くのは不可能になった。もう空間術式そのものを攻略するしかない。

 しかし、発動中の術式……ましてや相互不干渉が原則の術式に対して、一体どんな手があるというのだ。


 並みの方法ではどうにもならない。

 その上相手は高階。並みでない方法すら対策済みの可能性がある。


「チッ……」


 何とも厄介な相手だ。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。

 この程度の障壁に阻まれているようでは、上皇を討つなど到底かなわないだろう。


 何としてでも突破してやる。

 その余裕飄々の顔を、ぐちゃぐちゃにしてやる。


「ふふ、良い顔です。さあ、貴方は位相の壁をどう突破しますか?」

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