第52話:一つの選択
どういうことだ。
時が巻き戻ったのか?
朱雀帝は一体何を――
「……ッ」
いや、そんなことは今どうでも良い。
今は、伊奈を取り返す。今ここで彼女を取り返せれば、全ては解決するのだ。だから。
「!!」
全意識を彼女に集中させ、私は大地を蹴る。目標は明王丸の撃破ではない。伊奈の奪還。ただ、それだけを目指して私は跳ぶ。
「――!!」
目を見開く明王丸。しかし、彼は対応する。振り抜かれた太刀。私は反射的に身を捻り、それを躱そうとする。
いや、待て。
これだけでは足りない。明王丸の攻めは二段構えだった。きっと、もう一発が来る!
「ッ!!」
「おや?」
中段から繰り出された回し蹴りを、私は左腕で受けつつ反動で上に飛んだ。衝撃で腕が痺れているが、やむを得ない。受けなければ腹に食らっていた。
「よく分かりましたね。それに、この状況でもなかなか冷静だ」
ニコリと笑う明王丸。
「やはり蒼天。これは楽しめそうです。いざ、尋常に――」
タン、と、明王丸は音を置き去りに消える。直後、閃光は横薙ぎにやってきた。
「――ィッ!!」
太刀筋が見えない。故に、直感で受けるしかない。散る火花。辛うじて今のは受けたらしい。しかし、すぐに次が来る。
「くっ!」
そこで感じた違和感。
おかしい。前に戦った時より遥かに速い。あの時は手加減されていたとでも言うのか?
……違う。
それ以上にこの身体が弱いのだ。
蒼天の最適化を済ませていないこの身体では、気脈操作なしで明王丸の速度に追いつけない。だが、明王丸は気脈を整える隙すら――
「チッ!」
前言撤回だ。明確に明王丸のキレも上がっている。私の行動が変わったことで、明王丸の動きも変わったのだ。私が明王丸の攻めに冷静に対処したことで、彼は私への警戒度を引き上げたらしい。
つまり今のコイツは、全力で私を狩りにきている。
「がはっ!!」
受け切れない。速さと手数で私の動きを封じつつ、確実に傷を負わせてくる。一気に勝ちにくるような動きではない。じわじわと、嬲り殺しにくるような戦い方だ。故に、反撃の余地がない。このままではやられる。
一体どうすれば――つまるところ、この思考の隙が私の敗因となった。
「契神「品陀和気命」御業『胎帝三韓征討』」
「しまっ……」
生じた空隙。眩い閃光。至近距離から放たれる光弾。防御も回避も間に合わない。視界の端に、失望したような顔の明王丸が映る。
「期待外れです」
刹那、ドン、と、衝撃が走った。その後のことは、私の記憶から欠落している。
▼△▼
「六尊さま、何読んでるんですか?」
「……………!」
上手く頭が回らない。
何だ。また巻き戻ったのか?
目の前にいるのは伊奈だ。伊奈が佇んでいる。あれだけ救おうとした少女が、元気そうに立っているのだ。
「っ!!」
「えっ、ちょ……六尊さまっ!?」
ほとんど無意識に、私は伊奈を抱きかかえた。自分でも、何をしているのだと思う。だが、そうせずにはいられなかった。困惑と混乱。その中で見た光。ほとんど半狂乱になって叫ぶ。
「逃げるぞ!」
「えっ……?」
「ここは危険だ。国弘もあてにならない。どこか、もっと遠くへ行かねば!!」
これはあの日だ。伊奈が斬られたあの時から、ほんの数刻前まで戻ったのだ。ならば、このままではあの未来に辿り着く。明王丸の凶刃から逃れるには、行動を変えなければならない。何処へ向かう? そんなことは分からない。ただ、ここではない何処かへ行かねばならぬ。私は困惑する伊奈の言葉も聞かず、一目散に飛び出した。
だが――
首元に感じた熱。生ぬるい血が顔を濡らす。血濡れの太刀をもたげるのは、真っ黒な瞳に平凡な顔つきをした一人の少年だ。
「ふふ」
三度目のその笑みは、私の思考回路を完全に遮断した。
「やっぱり二人まとめては無理ですか」
見覚えのある景色。聞き覚えのある言葉。伊奈の桜色の髪を無造作に掴み、彼女の首を掲げるソイツは、どこか気恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「な……ぜ、だ」
「何をそんなに驚いているのですか?」
ニコリと微笑む少年。
彼は袖を振るい、慇懃無礼に一礼する。
「私は源明王丸。一応、八部衆の筆頭とやらをやっている者です。皇太子殿下の命を受け、貴方がたのお命頂きに参りました」
▼△▼
結果は同じだった。
伊奈は斬られ、私も落命する。
その後も、同じ。朱雀帝の妖術か、権限か――私は死と同時に巻き戻る。
だが、何度繰り返しても、同じ結果へと収束する。どうあがいても、伊奈の首は落され、南都へと連れ去られる。
二十回ほどの繰り返しののち、私は一つの事実に気付いた。
伊奈の連れ去りは阻止できない。これは絶対だ。阻もうとすれば、その障壁が運命線によって排除される。私が出ても、他の誰を動かそうとも、結果は変わらない。
明王丸を殺めたとしてもだ。繰り返しの中、私は何度か奴を討つことに成功した。だが、それでも駄目だった。結局は、不可解で不可視の力が伊奈を殺す。これは確定事項――それを、認めざるを得なかった。
だから、私は妥協した。
「それでは、南都でお待ちしております。完全な『蒼天』となった貴方と戦える日を楽しみにしていますよ」
空間の歪み、気脈の変化。転移術式の発動。手を伸ばすが届かない。夕闇へと吸い込まれるように、明王丸は姿を消した。
あの日と同じように、私は明王丸に破れ、国弘が介入し、伊奈は連れ去られる。
運命線が引いた道筋に引き寄せられ、結果は収束した。
これで良い。この時点での結果が変えられないなら、その先で変える。
南都を滅ぼし、伊奈を奪い返す。私は――
▼△▼
炎が、全てを呑み込む。
神すら焼き尽くす天の火が、突如創りだした破れぬ壁。私の太刀筋は、目の前の仇敵に届かない。
びちゃりと、生温かい液体が顔を濡らす。
これは、あの日と同じ感覚で――
「か……は……」
朱く、赤い血が流れる。彼女は、光の消えた瞳で血塊を吐き出す。私の振るった太刀は、彼女の左肩から胸までを切り裂いた。
「どうだ? 感動の再会はお楽しみいただけたか?」
やり直した。やり方を変えた。
だが、結局は同じだった。
▼△▼
そこから更に、五十は繰り返した。その度に、同じ景色を見てきた。何度、何回やり方を変えようと、私は第三皇子を倒せない。前のように正面突破ではなく奇襲を行っても変わらない。細かい差異は生まれても、大枠を変えることは出来なかった。
「…………ぁ……はぁ」
感触が、手に残っている。
何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、私は伊奈を斬った。
「ぐっ………………」
その度に、無力感と絶望感が私に押し寄せた。伊奈を救えず、どうにもならず、自らに刃を突き立て巻き戻る。痛みと恐怖と引き換えに、私はやり直す機会を手に入れる。出来るかどうかも分からないまま、救えると信じて私は何度も過去に飛んだ。
何としてでも、私は伊奈を救い出す。
そのためには、この程度の苦痛など何ということはない。
「諦めてたまるか……」
▼△▼
それから、更に先の未来へと進んだ。伊奈を斬り、師忠に命を拾われた後の未来だ。私は南都を滅ぼし、伊奈を救おうとした。
だが、無理だった。
私がどれだけ修練を積もうとも、謀略を張り巡らせようとも、南都を滅ぼすことは出来なかった。
北都の一部を動かし、戦乱を誘発しても、南都はしぶとく生き残る。あらゆる勢力を味方につけ、補給路を断ち、南都を孤立させようとも、どうやっても上手くいかない。運命線が、上皇の味方をしているのだ。
どうにもならぬ。私のやり方では変えられない。神の引いた道筋が、私の策を打ち破る。結局は破滅的な結果に収束する。伊奈の手は穢れ、国は荒れ、私も死ぬ。
「……」
もう何度戻ったか覚えていない。ただ、失敗しては巻き戻り、またやり直すだけの単純な作業。初めのうちは擦り切れていった心も、もはや何も感じなくなっていた。
そして――
▼△▼
『どうだったかな』
少年は、にこりと微笑んだ。
「……」
「あれ? 僕のことを忘れてしまったのかい?」
彼は、困ったように肩を竦める。
誰だったか――しばらく思い出すのに時間が掛かった。
だが……ああ、そうか。
私は戻ってきたのか。
「……」
体感で数十年は経っただろうか。夢か現か、それすら曖昧になるような長い時を漂い、私は再びここに立っている。
朱雀帝は、穏やかな表情で告げた。
「百三十九回、君は繰り返した。つまり、その数だけ失敗し、破れ、命を落としたということだ」
「……」
「これで分かっただろう? 君が南都を討ち、彼女を助けることは不可能だ。彼の神が引いた運命線が、君にそれを許さない。何度試そうとも、必ず同じ結末に収束する」
認めがたい。だが、その通りだ。私が何度繰り返そうとも、結局はそうなった。
だが――
「それは伊奈を諦める理由にはならぬ」
「そう。なら、問うべきことはただ一つだ」
手を広げる朱雀帝。
そして、彼は言い放つ。
「君は一体何を選び、何を捨てる?」
「!!」
この問いを掛けられるのは、今が初めてではない。あの日、あの忌まわしき国つ神が投げ掛けたものと同じ問いを、奇しくも彼は口にした。
「……」
あの日、私は答えを出すことが出来なかった。あの日の私には、答えを出すだけの覚悟と経験が足りなかった。
だが、今は違う。何度も繰り返し、失敗する中で、幾つか当たりはついている。
だから、私は確かめる。
「朱雀帝よ」
「何だい?」
「私が南都を討ち、伊奈を助けることは不可能だと言ったな」
「うん、言った」
「なら、そのどちらかは可能なのだな」
ぴくりと、朱雀帝の肩が動く。
「へーぇ?」
彼はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、私の顔を覗き込む。
「答えは、出たようだね」
「ああ」
私は立ち上がり、袖を振るう。
次の行動は決まった。覚悟はもう出来ている。なら、迷いなどは微塵もない。
私は、全てを捨てる。恥も、誇りも、何もかも。伊奈を救うために、私は全てを捧げよう。それが、自身の破滅に繋がろうとも――
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