第51話:夢と現の狭間に

 飛び込んできた、淡い蝋燭の光。

 生きている。怪我もない。どういうことだ。あれからどれだけ経った。


 いや、そんなことはどうでも良い。


 もし古都主とやらの言葉が真実なら、伊奈はまだ生きている。こんな所で寝ている場合では――


「急いては事を損じますよ」


「ッ!!」


 男の声。それも、聞き覚えのある声だ。そして、薄々予想していた声でもある。


「……何故、高階が私を助けた」


「深い意味は有りませんよ。ただ、私がそうしようと思ったから、それに尽きます」


 彼は穏やかな笑みを浮かべてそう言った。

 北の都の神祇伯、高階師忠。相変わらず腹の底が読めぬ男だ。


「……訳が分からぬ。私は南都の皇子。お前たち北都の人間からすれば敵であろう。こんなことが許されるのか」


「そうですねぇ。確かに、摂政殿下からは小言を言われそうな気はしますが、陛下は多分何も言わないんじゃないでしょうか」


「何?」


 完全に予想外の言葉が飛んできた。暫く思考が止まる私に微笑みかけ、師忠は続ける。


「なにせ、陛下は全てを見ていらっしゃるので。というか、貴方を助命するよう無言の圧をお掛けになっていらっしゃいましたから」


「は……?」


「陛下は、貴方を気に掛けていらっしゃるのです。それはそれは大層なことで」


 理解が追いつかない。


 陛下、すなわち朱雀帝すざくてい――齢八にして即位し、皇国の頂点たる『神裔しんえいの神子』として君臨する北都の盟主。


 そんな奴が、何故私を助ける義理がある。


「ふふ。まあ、色々とあるのですよ」


「貴様らの思惑など知ったことか」


 別に、朱雀帝や高階が何を考えているかなどどうでも良い。私が彼らの言いなりになる義理はないのだ。


「私は一刻も早く南都に戻らねばならぬ。八部衆が壊滅し、第五皇子が動けぬ今やらねば、いつやるというのだ!!」


「勝算はあるのですか?」


「出来る出来ないは問題ではないッ!」


 逸る感情に任せて声を荒げるが、師忠に動じる様子はない。彼はただ、困ったように眉をひそめるだけだ。


「そうですか」


 師忠は呟くと、御簾みすを掲げて月明かりの照らす庭に目をやった。

 そして、一つため息をつく。


「……端的に言いましょう。今の貴方では、南都には勝てない」


「何……だと?」


「これは戦力の問題ではありません。運命線が示す未来、それを覆す力を、貴方は持ち合わせてはいない」


 冷たい笑みで師忠は告げる。

 異論の余地は認めない――そうとでも言いたげな表情だ。腹立たしい。運命の代弁者でも気取るつもりか。私に、運命に逆らうなとでも言うつもりか。


「……っ!」


 ふざけるな。


 ここまできて引き下がれだと?

 伊奈を見捨てておめおめ逃げ帰れだと?


 出来る訳がない。

 諦められる訳がない。


「運命線がなんだ……そんなこと……やってみなければ分からぬだろうがッ!!」


 激情に合わせて冷気が析出する。

 畳は凍り、御簾は砕け、師忠の長い前髪に霜が吹く。だが、彼は微笑を崩さない。


「別に、貴方の思いを否定するつもりはありませんよ」


「ならば、知ったような口を――」


「ですが、貴方自身もお気付きのはずです」


「!!」


「何かが足りないと。このままでは繰り返すだけだと」


 師忠は、全てを見通すように告げた。

 いや、事実、コイツには見透かされている。私の焦りが、迷いが、その全てが。


「くっ!」


「彼女を救いたいのでしょう? でも、方法が分からないのでしょう?」


「……」


「決まりですね」


 ふいに、師忠は手を叩く。

 僅かな浮遊感。だが、術式ではない。


▼△▼


「!?」


▼△▼


 結界だ。結界の座標設定が変わり、空間が切り替わったのだ。


 そして、私は見知らぬ空間に立っている。


 真っ暗で何もない空間。上も下も分からず、自己とその他の境界すら曖昧になるような暗闇。師忠はいない。気付けば、ただ私だけが独り佇んでいて――


『よく来たね』


「!!」


 突如暗闇から響いた、少年とも少女ともつかぬ声。直後、パッと燭台に火が灯り、辺りを穏やかな光が照らす。


 そこに、一つの人影が浮かび上がった。


「お前は……」


 年齢は私より下。透き通るような白い肌に、やや赤みがかった白髪。そして、華奢な身体つき。性別はよく分からない。それに、顔は布で隠されている。


 不思議な雰囲気の人物だ。


 この人物は何者か――そんなこと、考えずとも分かる。この膨大な神気、そして、異様ともいえる風格。そして、佇まい。


 間違いない。


「朱雀帝……!」


「初めまして、六尊くん。会えて光栄だよ」


「!?」


 ふいに、朱雀帝は私の視界から消える。いつの間にか、彼は私の真後ろに立っていた。


「師忠から話は聞いている。大変だったね」


「ッ……!」


「そんなに怖がらなくていいよ」


 彼はニコリと微笑み、口元に指を当てる。

 自然体だ。術式や気脈操作などを使った気配はない。にもかかわらず、いとも簡単に背後を取られた。


 どうなっている。

 コイツは、一体……


「さて、本当はのんびりお話したいところなんだけど、そうもいかないみたいだ。だから、手短に済ませてしまおう」


「何を――」


「君が奪った百三十九の命、その数だけ、君に死ぬことを許す」


「ッ!?」


 思考が整理される前に、ぱちりと鳴らされた指。視界は転回し、私は深い闇の底へと落ちていく。


 ▼△▼


 伸ばした手は空を切り、生ぬるい血が顔を濡らす。血濡れの太刀をもたげるのは、真っ黒な瞳に平凡な顔つきをした一人の少年だ。


「ふふ」


 伊奈の桜色の髪を無造作に掴み、彼女の首を掲げるソイツは、どこか気恥ずかしそうに笑みを浮かべる。


「やっぱり二人まとめては無理ですか」 


「…………………………………………は?」


 見覚えのある景色。

 聞き覚えのある言葉。だが、分からない。全てが、私の理解を置き去りにする。


「何をそんなに驚いているのですか?」


「お前は……」

 

 ニコリと微笑む少年。

 彼は袖を振るい、慇懃無礼に一礼する。


「私は源明王丸。一応、八部衆の筆頭とやらをやっている者です。皇太子殿下の命を受け、貴方がたのお命頂きに参りました」


 既視感。いや、それどころではない。これは、確かに見た光景。ほんの三日前、確かに私が辿った足跡だった。

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