第50話:黒幕と種明かし

 真っ白な、何もない広間。

 床はあるが、天井も壁もない。自分の吐息、心臓の鼓動の他には音もしない。

 なんとも言えない居心地の悪さだ。


「やあ!」


 突然、後ろから聞こえた声。

 そこには、顔を布で隠した黒ずくめのの男が一人、椅子に腰掛けていた。

 この世界には似つかわしくない、異様な装いと異質な雰囲気。


 私は即座に思い至る。


「……お前か」


「?」


「五年前、私の命を拾ったのはお前か」


「へーぇ。相変わらず良い勘してるじゃん」


 男は不気味な笑みを浮かべる。そして、いつの間にか現れた茶器を手に取ると、おもむろに口を付けた。


「うん。そうだよ。僕が、君を助けた」


 男は、茶器を台に置いて頬杖をつく。いちいち気障ったい、いや、演技じみた所作だ。


「まぁ、お茶でもしながらゆっくり話そうじゃぁないか?」


 男が指を鳴らすと、茶器がもう一つ現れる。彼は私にそれを差し出した。


「……いらぬ」


「そう、つれないなぁ」


 けたけた笑って、男は茶器を手放した。茶器は、床に吸い込まれるように消えていく。


「にしても元気ないなぁ。何かあったのかい?」


「……」


「って、これは意地悪だったね。謝るよ」


 そう言って、男は苦笑した。


 正直、どうでも良い。ここが何処か。この男が何者か。この男が何を思って私に構うのか――そんなことなど心底どうでも良い。

 私は、全てを失った。復讐も果たせず、皆の思いも無駄にし、伊奈を救うことも出来なかった。もう、私が生きている意味など――


「ふふ、絶望するにはまだ早いよ」


「……っ」


 穏やかな声で男は告げる。


「まだ、物語は始まってすらいない。僕の引いた運命線は、これからが見どころなんだ」


「…………………………は?」


 物語? 運命線? コイツは、一体何を言って……いや、待て。


「まさか、お前が仕組んだのか」


「うん?」


「お前は、こうなることを分かった上で、あの日私を助けたというのかっ!!」


 思わず、私は男の襟首を掴んだ。

 我ながらあり得ないとは思う。そんなこと、神でもなければ不可能だとも思う。


 いや。


 師忠は言ったのだ。私を救った存在は、祀ろわぬ神、あるいは亡霊だと。ならば――


「そうさ。君の復讐劇も、灼天の死と再生も、全て僕が仕組んだ。そうなるよう運命を誘導したのは、他ならぬ僕さ」


「っ!!」


 さらりと。事もなげに男は告げる。

 彼は手を広げて、


「悪いとは思ってるよ? でも、必要なことなんだ。ハッピーエンドの裏には、幾つものバッドエンドがある。このお話もその一つさ。僕が目指すべき運命のための尊い犠牲として、この結末には意味があったんだよ」


 意味が、分からない。皆の犠牲も、伊奈の思いも、コイツにとっては踏み台に過ぎなかったとでも言うのか?


「……ざけるな」


「?」


「ふざけるなァァァッ!!」


 怒りが身体を突き抜ける。

 魂の励起、権限の発動。空間の氷結が、男を砕かんと放たれる。だが――


「まだこの段階か」


「ッ!!」


 神気は発散する。男にはかすり傷一つ付かない。何が起こった。男は何をした。分からない。分からないが、格が違う。それだけは分かる。


 男はニコリと笑って、


「ああ、別に気落ちすることじゃないさ。僕の知る素戔嗚は、こんなものじゃなかった。才能の問題じゃない。シンプルに練度が足りないんだよ。君にはまだ伸び代がある」


 煽るような口調ではない。そこには一切の悪意がない。ただ、純粋な助言として、親切心から発せられた言葉。それ故に、私の心はざらつく。


「お前は……何なんだ。何だんだよ……」


「僕は古都主ことぬし。しがない国つ神さ」


 男は気障ったく手を胸に当てた。酷く手慣れている。まるで、何度もこうして名乗ってきたかのような澱みない所作。気味の悪さすら感じる。


 彼の言葉が嘘か真かは分からぬ。だが、腑には落ちる。全ては神の悪戯。こんな地獄も、悪夢も、人には理解できぬ考えが生んだただの気まぐれだというのだろう。


「く、くふ……」


 何と馬鹿らしい。いや、馬鹿だ。結局私は何をしていたのだ。私はこの男に踊らされ、勝手に怒り、勝手に良い気になって、勝手に破滅した。無垢な少女を巻き込んで、あのような顔をさせておいて、国を討つだのほざいておいて、種が割れてみればただの道化に過ぎなかったのだ。


「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」


 何と無様で滑稽なことだ。もはや怒りすら湧いてこない。ただ、無力感と虚無感が、意味のない乾いた笑いを絞り出す。私は理由も分からず声を上げ、嗚咽が喉を締めるまでこの腐った現実を呪った。


「うぅ……あぁぁあああ」


 処理しきれない感情が、脈絡もなく堰を切ったように溢れ出す。まるで赤子のように、抑えることが出来ないありのままの心が、人目も憚らずに際限なく流れ続けた。


「ふふ、随分と情緒不安定だね」


 古都主は、軽い調子で告げる。


「でもまあ、仕方ないか。君はそんなに強くない。幾ら優れた異能を持ち、人の道を外れた力を持とうとも、君の精神性は限りなく人間に近い。特に今はそうだ」


「……」


「失うことに慣れることが出来ない。捨てるという選択が出来ない。それでは、また繰り返すだけだ。一番大切なものを、また失うだけだよ」


「……」


 知ったことか。私は全てを失った。家族も、仲間も、愛する人も。

 また失うだと? 笑わせる。もう私には何も残されていない。失うものが、失えるものが残っては――


「そんな君に一つ朗報だ」


 不意に。古都主は妖しい笑みを浮かべる。胸騒ぎ、そうとしか形容できない妙な感覚。私のぼやけた思考の全てが彼に向いた。


「ふふ」


 古都主は、指を立てて静かに告げた。


「彼女は……伊奈はまだ生きているよ」


「――ッ!?」


 思わず私は目を見開く。

 驚愕、歓喜、困惑。自分でも分からない感情がごちゃまぜになる中、古都主の笑みは凶悪に染まっていく。


「さぁ、ここからが本題だ!! 君は理想を望み、挑み、破れた。それは偏に、全てを拾おうとしたからだ。捨てることが出来なかったからだ。でも、答えは二者択一にして理想と現実は常に二律背反。何かを拾えば、何かを取りこぼす。全てを拾うことなんて出来やしない。それは君もよく知っているだろう! だけど、今回君は幸運にも残した。リベンジの機会を残したんだ!! なら、考えるべきはただ一つだろう?」


 手を広げる国つ神。

 そして、彼は言い放つ。


「君は一体何を選び、何を捨てる?」


 突如突きつけられた究極の問い。私は言葉に詰まる。伊奈を救うために捨てるべきもの――それは、一体何だ。


「でも残念。そろそろ時間だ」


「っ!!」


 ふいに崩れる足場。踏むべき大地を失って、私の身体は落ちていく。古都主は私を見下して、意地の悪い笑みを浮かべた。


「じゃぁ、また逢う日まで。君の選択を、僕は肯定しよう。たとえそれが、如何なる結末に至るものであろうとも」


 手を伸ばすも届かない。古都主の姿は遠ざかっていく。そして私は、この空間から放り出された。

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