第19話:遠き国

 北の都を離れ、出雲を目指す。


 甘く見積もっても十五日は掛かるであろう長旅。その前半はほとんどが山道だ。

 代わり映えのない風景を眺めながら、私たちは渓谷を歩いていく。


 時折現れる小さな集落で休息を取ったり、現れた山賊を返り打ちにしているうちに、気付けば十日が経った。


「六尊さま」


「……何だ」


「山ですね」


 それは見れば分かる。

 わざわざ言われるまでも無い。


「……」


 だが、これほど歩いても山しかないのは少し驚いた。

 いや、皇国に山が多いのは知識としては知っていた。都の外は、海沿いとごく一部を除いてほぼ山らしい。それは、書物で読んだことはあった。


 ただ、やはりそれはただの知識に過ぎず、実感を伴ったものではなかったようだ。

 思えば、都を出るのは今回が初めてだな。これまで私が見てきた世界は、余程狭い世界だったらしい。


「私もまだまだ世間知らずということか」


「?」


 不思議そうに首を傾げる小娘。

 そこに何故か、私は既視感を覚えた。

 遠い昔、こんなことがあったような、そんな気がする。


「……」


 いや、そんなはずはない。

 母が殺される前も後も、私は狭い世界に閉じ込められてきた。

 それに、これまでの生涯で友と呼べるような者もいなかった。

 こうして、誰かと二人並んで歩くことなど、あったはずもない。


「チッ……」


 この前見た夢の影響が尾を引いているのだろう。調子が狂う。


 ▼△▼


 しばらくして日が暮れた。

 今日はそれなりの距離を稼げたから、明日には山を抜けられそうだ。


 山を抜ければ、因幡いなばの国府がある。

 話に聞く限り、国府こくふの辺りはそこそこ栄えているようだ。

 一応北の都の国司こくしがいるらしいが、都に比べれば警備はザル。結界も関所もない。

 先の戦乱でも、ここらは戦場から遠かった。そもそも警戒する必要がないのである。


 さて、小娘はどうやらお疲れの様子だ。

 無理もない。あの日以来ずっと歩きっぱなしだったのだ。


 むしろ、ここまで泣き言一つ言わずに付いてきたのが驚きである。一つくらい褒めてやっても良いのかもしれない。


「……褒美だ。くれてやる」


「えっ!?」


 途中の町で買った干菓子を小娘に放り投げてみる。

 彼女は慌てて受け取ると、不思議そうにそれを見つめた。


「あ、ありがとうございます?」


 なんだその反応は。

 もっと有難がったらどうだ。


 ▼△▼


 丁度よい岩屋を見つけたので、私たちはそこで夜を明かすことにした。

 少々狭いのが気になるが、他に良さげなものもない。仕方なかろう。


 しばらくして、雨が降り始めた。


 この狭い岩屋では、二人とも雨を凌ぐのは難しいだろう。外側にいる一人は、どうしても多少雨粒が掛かってしまう。


「……鬱陶うっとうしい」


 眉をひそめて、私はふと小娘を見やる。

 とうの昔に寝入ったようではあるが、あまり寝心地は良くなさそうだ。


「……ん?」


 震えているのか。

 無理もない。山の中は冷える。

 その上この雨だ。私だって肌寒い。


「……」


 そういえば、母も寒がりだったような気がする。女子は寒さに弱いのか?


 まあどちらでも良い。

 コイツに風邪を引かれても面倒だ。


「ありがたく思え」


 私は小娘を奥に追いやり、布を一枚くれてやった。これで多少はマシになるだろう。


「さて」


 存外に神無月の雨は冷たいものだ。

 ただ、根の国育ちがこの程度で体を壊すことはあるまい。私もこのまま休むとしよう。


▼△▼


「六尊さま、大丈夫ですか?」


 明朝。再び山道を歩きながら、小娘は不安そうな表情で私の顔を覗き込む。


「……問題ない」


「でも、咳が」


「問題ないと言っ――」


 言い終えることも出来ず、幾度か私は咳き込んだ。小娘は心底心配そうに私の背中をさすっている。


「六尊さま……」


「勝手に触るな」


「す、すみません。つい……」


 まったく、下らぬことをする。

 別にお前如きに案じられるまでもない。見くびるな。

 それに、少し楽になったのも腹立たしい。


「……」


 おもむろに頬へと手を当ててみる。熱い。

 そういえば、今朝から息が苦しいな。気分も悪い。風邪でも引いたか?


 情けない。


 一夜雨に濡れた程度で風邪を引くとは、私も随分と弱ったものだな。

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