第5話:山道を往く
あれから数刻。私たちは山の中にいた。
日はすっかり落ちて、宵闇は夜の
都から見て、西にある山。そこを越えた先にあるのは
追手から逃れるため、ひとまず私たちはそこへ向かうことにした。
その後のことは何も考えていないが、まあ向こうで考えれば良かろう。今は南の都から離れることが先決だ。
「さて」
私は後ろを振り返ってみる。
そこには、ムスッとした様子でついてくる小娘がいた。
伊奈。根の国で拾った復讐の道具である。
「……」
こうしてみると、ただの小娘にしか見えない。髪と瞳の色は奇妙だが、それ以外は平凡そのものだ。気性も穏やか過ぎるほどに穏やかである。いや、結構我は強い方か。
ただ、第三皇子の被検体である以上、コイツがただの小娘であるはずがない。
実際、根の国でコイツが使った力は尋常ではなかった。
私は、小娘の正体をそう考えている。
上皇の治める南の都は、帝の治める北の都と十七年に渡って戦をしてきた。
北と南、どちらが正統かを争う不毛な戦。その決着はついぞ付かず、今は一時停戦ということになっている。
本来、兵の数で劣る南の都が、これ程長く戦えるはずはない。
にもかかわらず、それを可能にして来た
皇国に存在する、七柱の
神子がいるから北の都は
南の都にいる、二柱の神子――
『蒼天』と『灼天』。
おそらく、小娘は『灼天』の方だろう。『蒼天』は三年前に死んだらしいからな。
にしても。
「そろそろ機嫌を直さないか?」
「……」
小娘はあれ以来、ずっと不機嫌なままだ。よほど私の行いが気に食わなかったらしい。
何を言っても黙ったままである。
「チッ」
まあそれでも自分の立場は理解しているらしく、私から離れるそぶりはない。
それなら、当面の間は良しとしよう。
「野盗でも出たら面倒だ。急いで抜けてしまおう」
「……」
相変わらず返事はない。
私はため息をついて、辺りを見渡した。
恐らく、あと二、三刻で山を抜けられるだろう。山さえ抜ければ、商都まではずっと平地だ。やや距離はあるが、厳しい道のりではない。
ここまで追手の気配もなく、これといった問題も生じていない。
順調な旅路。
そう思った時のことだった。
「!!」
突如響いた馬の
ここからそう遠くはない。恐らく一本下の山道で何かあったのであろう。
そんな折、ふいに小娘が口を開く。
「今のって……」
「十中八九、野盗か何かに襲われた旅人であろう。まったく、こんな闇夜に山中を行くとは命知らずめ」
と言ってから、自分も似たようなものだと気付いて妙な気分になる。
まあ、こちらは野盗ごときにどうとでも対処出来るのだから、その点は――
「助けないと!!」
「は?」
飛び出す小娘。
「馬鹿かッ!」
一間先も怪しいこんな真っ暗闇の中で、しかもたった一人で向かうなど無謀にもほどがろう。谷底に落ちたらどうするつもりだ。
「あいたっ!」
そんな声が響く。
木か何かにぶつかったらしい。
ほら言わんこっちゃない。
「世話の焼ける奴め……」
こんなところで死なれても困る。
非常に面倒だが仕方ない。
「ふっ!」
小娘から漂う神気を頼りに、私も夜の山を駆ける。
彼女は存外に足が速いらしい。こうしている間も、どんどん距離が離されていく。
……いや、これは滑落しているのでは?
「くそっ!」
治癒術式は苦手だ。大怪我を負えば私には治せない。どうか程々の怪我でいてくれよ。
「さてと……ここか?」
そうして辿り着いた別の山道。
積荷が散乱したその様子は、案の定野盗に襲われた後だった。
だが、まだ人の気配はある。
ここから一
それなら、急げば皆助かるやも……
「いや、私は何を考えている」
私の目的は小娘の回収。
それ以外はどうでも良い。旅人がどうなろうと私の知ったことか。
人助けなど偽善者のすること。
私の柄ではない。
旅人の命なんて、どうでも……
▼△▼
「ほんまに助かりましたわ! 感謝してもしきれまへん!!」
頭を深々と下げるのは、白髪頭の男。そして、その仲間とみえる若い男数人だ。
みな傷を負っているが、命に絡むようなものではない。
「貴方がたが来てくれはらへんかったら、私どもは今頃どないなってたことやら……」
これは成り行きだ。別にお前らを助けるために動いたのではない。小娘を回収する過程で結果的にそうなっただけで……
いや、待てよ。この状況は悪くない。
昼間の私は、無闇に武者を殺めて小娘の機嫌を損ねた。だが、あれは相手も相手だった分、まだ言い訳の余地がある。
これは挽回の好機だ。
ここで善人を演じ、小娘の態度を軟化させる……そうすれば、この先アイツを懐柔しやすくなるだろう。
「ふふ」
野盗たちを
「いえいえ。このくらい大したことじゃないですよ。それに、人の命は大事ですから」
「なんと慈悲深い……ほんまにおおきに」
白髪は再び深々と頭を下げる。
ああ、そうだ。私はお前らの恩人。
存分に恩に着るが良い。
「……」
そこで私は小娘に視線を移した。
ぽかーんとしている。なんだその表情は。
まるで信じられないものでも見たかのような顔をしている。
それはそれで心外だ。
「……まあ良い。お前が無事で良かった」
「あ、あの……わたしは……」
申し訳無さそうな表情で、小娘は私から目を逸らす。成る程、自分の愚かな行動を悔いる程度の頭はあるようだ。
私は穏やかな笑みを作って、
「安心したまえ。別に責めるつもりはない」
などと優しく放言してみる。小娘はそれを見て安心したような顔を浮かべた。
だが正直、小言の一つくらいぶつけてやりたい気分である。
なにせコイツは真っ先に飛び出していった癖に、あっさり野盗に捕まっていたのである。大した怪我は無かったから良いものの、本当に手間の掛かる奴だ。
「さて、これからどうしたものかな」
そう呟いた時のこと。
白髪の男が口を開いた。
「行くアテが無いんでしたら、私の屋敷に来るっちゅうんはどないですか?」
「え?」
「お二人には、是非ともお礼をさせて頂きたいなぁと。一応私は商都でしがない
旅人ではなく商人だったか。
道理で積み荷が多いと思った。
「……なるほど」
礼をしてくれるというなら結構なこと。
普段なら受けてやらんでもない。
だが。
商都の商人には、南の都と深い繋がりを持つ者が多くいる。考えもなしに関われば、上皇に私たちの動きを悟られかねない。
ここは適当にあしらっておくのが吉か。
「申し出はありがたいのですが、私たちは」
「貴方がたの装いをみるに、ただの旅人っちゅう訳でも無いんでっしゃろ?」
「っ!?」
ばっと、自分たちの衣を見てみる
私のは、ほつれに継ぎ接ぎ、汚れに染みと、完全に浮浪者のそれだ。というより実際そうである。
そして小娘も、先程山を駆けたせいで泥まみれ。あと、返り血か何かで赤黒い染みがついている。町に出るような装いではない。
確かにこれでは、何か訳ありと思われても仕方なかろう。
いや、実際訳ありである。
「もし良かったら、替えの衣をご用意いたします。そのままでは、悪目立ちしてかなわんでしょう?」
「それは……」
白髪の言う通りだ。
確かに、ある程度綺麗な衣のほうが何かと都合が良い。
「だがな……」
「六尊さま! 行きましょうよ!」
小娘は、とても嬉しそうな顔でそう言う。
能天気な奴だ。
よほど替えの衣が欲しいらしい。
「うーむ」
南の都に知られる危険を避けるか。
それともこの好機を活かすか。
悩むな。
ただ、かくも都合の良いことはそうあるまい。それに、ここらで小娘の機嫌も取っておいて損は無いだろう。
何かあればその時はその時だ。
「はぁ……」
ある種の諦めに近い感情を抱きつつ、私は白髪に告げた。
「では、お言葉に甘えて」
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