第4話:南都八部衆

 朝堂院ちょうどういん――上皇の御所にある、南の都の政治中枢。

 もう日が暮れるというのに、廊下では官吏かんりが慌ただしく行き交っている。

 彼らは、昼間に起きた重大事件の処理に追われているのだ。


「少将がやられた? それに、丙号もまだ見つからぬというのか」


 朝堂院の、ある広間。その一番上座に座る若い男は、ひざまずく中年の官吏に向かって不機嫌そうに言い放つ。

 翡翠ひすいのような深緑の瞳に射抜かれ、中年の官吏は深々と頭を下げた。


「誠に申し訳ありませぬ、皇太子殿下!!」


「チッ」


 皇太子は脇息を殴りつけると、二つ隣の席に座する少年を睨んで言う。


「兄上。貴方のせいで頗る面倒なことになったぞ! 三年前に『蒼天そうてん』を失った我らが丙号まで失えば、どうやって北の都に対抗するというのだ!!」


「心外だな、皇太子殿下」


 そう口を尖らせるのは第三皇子。皇太子の異母兄にして、皇国屈指の術式学者だ。

 不老の術式を編み出した彼は、自身の身体を十四歳の状態に保っている。


 第三皇子は一つため息を吐き、海色みいろの瞳で皇太子を呆れたように見遣った。


「これは僕だけの過失ではないだろう。そもそも、あの牢獄からどうやって丙号を連れ出すというんだ? 契神術けいしんじゅつ造詣ぞうけいがあるお前なら、それがほぼ不可能であることくらい分かるはずだろう」


「なら、何故こうなったのだ!」


「内通者がいたに決まってる」


「内通者だと!?」


 バン! と、皇太子は拳を叩きつける。


「有り得ぬ! 私は五年前、刑部卿ぎょうぶきょうとして謀叛の疑いのある者をことごとく粛清した。怪しい者も、怪しくない者も、悪き芽を摘むために片っ端からな!!」


「なら討ち漏らしがあったか、新たに寝返ったか……いずれにせよ、五年の間に色々緩んだのだろう。お前も刑部卿としての職務がおろそかになってはいまいか?」


「まさか。そんなことは断じて有り得ぬ!!」


「そうか。まあ正直そこはどうでも良い。いくら言葉を並べようと結果が全て。この状況を、他の仮説で説明出来るならやってみろ」


「……」


 悔し気に奥歯を噛みしめる皇太子。


 彼にも分かっていた。

 内通者無しで今回の事件は起こりえない。


 伊奈を収容していた牢獄、その警備は必要以上に厳重だった。並大抵の術師では伊奈を連れ出すことはおろか、彼女に辿り着くことすら出来ない。並大抵でない術師なら、そもそも南の都に入る前に弾かれる。

 言うまでも無く、伊奈が自力で脱走することもあり得ない。


 そうなれば、内部の者が伊奈の脱走を手伝った以外の仮説は消える。


「つまりはそういう訳だ。ところで……」


 第三皇子は頬杖をつきながら、ふと思いついたように顔を上げる。


「生き残りの報告にあった、今回丙号と一緒にいたという小童……薄橙の髪に紺碧こんぺきの瞳というではないか」


「それが何か?」


「いや、そんな奴がいたな、と思ってな」


「……?」


 発言の意図を汲みかねて、皇太子は首を傾げる。

 第三皇子は、皇太子を小馬鹿にするような笑みを浮かべて、


「忘れたか? お前が五年前に討った、源右府げんうふの娘……その息子だ。一応、我らの弟にあたるが、術式も扱えぬ出来損ないだった。確か討ち漏らして、今も消息不明と言うではないか」


「……それがどうした」


「今回の事件、ソイツが絡んではいまいか?」


「は?」


 どこか楽しげに告げる第三皇子に、皇太子は困惑したような表情を浮かべる。


「まさか。アレはもう死んだに決まっている。齢九つの幼子、それもほぼ死に体が、たった一人で生き延びられるはずがない」


「一人なら、そうだろうな」


 第三皇子は顎に手を当て、ニヤリと微笑みながら告げる。


「だが、あの出来損ないは突然消えたのだろう? 転移術式により逃がされたとみるのが自然ではないか? そして転移で出来損ないを逃がした奴が、今回の内通者という……」


「そういうことか」


 皇太子はため息をついて、呆れた顔で首を振る。


「馬鹿を仰るな。それについては、とうに結論が出たはずだろう」


「そうだったか?」

 

 とぼけたように、第三皇子は首を傾げる。

 皇太子は長い息を吐いて、


「あの屋敷に、転移術式の残滓ざんしは無かった。結局あれは自然現象。気脈の乱れが生んだ突発的な転移。珍しいが、稀にあることだ」


「にしては、少々出来過ぎだと思うがね」


「妄言も程々にして頂きたい」


 皇太子は第三皇子の仮説を一蹴いっしゅうし、苛立たしげに舌打ちする。

 第三皇子は、ニヤニヤと嘲るように口角をつり上げた。


「まあ、状況証拠だけで判断するならそうだ。別にお前の推論に瑕疵かしはない」


「なら、この話は終わりだ」


「そう結論を急ぐなよ。確かに、お前の推論には妥当性がある。だが、それはどこまでいっても推論に過ぎない。言ってしまえば仮説、想像の域を出ないということだ」


「……何が言いたい」


「あらゆる可能性を考えておこう、って話だよ。刎ねた首を検分した訳でもない以上、あの出来損ないだって生きているかもしれない。そいつが、今回の事件に絡んでいる可能性だって無くはないさ」


「下らぬ」


「ああ、下らない。それは僕だって分かってる。でもさ」


 第三皇子は、邪悪な笑みを浮かべて言う。


「面白いとは思わないか?」


「何?」


「母を殺された出来損ないが、五年の時を経て復讐の為に立ち上がる……良いじゃないか。それを、僕らがぐちゃぐちゃに叩き潰す。ああ、良い。きっと絶望に歪んだ良い顔が見れる。もしこの妄想が現実なら、これ以上ない暇潰しになるだろうさ!」


 まるで、新しい玩具を手に入れた子供のような、無邪気な笑み。

 だが、第三皇子が玩具とするのは人の運命そのものである。自らの知的好奇心。そして、ある男への対抗心。そのためだけに、第三皇子は幾多の命を消費してきた。


 彼にとって、人間など使い捨ての道具でしかない。

 それは、実の弟であっても同じことだ。


「くくっ!」


 今、この状況を第三皇子は楽しんでいる。お気に入りの被検体が行方不明というのに。それによって南の都の戦力が大きく削がれたというのに。その危機感よりも、高揚感が勝ったというのか。


「……兄上は妄想がお好きなようで」


 皇太子は、理解できないものを見るかのように言い捨てた。

 そして、付け加えるように告げる。


「だが、そもそもだ。仮にアイツが生きていたとして、一体何が出来る」


「知らん。ただ、五年というのは案外長い。近衛の武者を倒すくらいなら、アレにだって出来るようになるやも知れぬぞ?」


「戯言を……あの無能に限って有り得ぬ。それに、あいつは五年前に死んだ。これで話は終わりぞ」


 素っ気なく返す皇太子。

 第三皇子はくすくす笑みを浮かべている。

 

「まあ、お前がそう思うなら構わんよ」


「……」


「だがいずれにせよ、僕らはこれから丙号を相手にしなければならぬのだ。アレは三年前に、北の都を焼き尽くした化け物。暴走すれば手が付けられぬ。出し惜しみなど無用であろう?」


「それについては同意だ」


 皇太子は、少し考え込むように俯く。


 彼は、別に第三皇子の妄言など真に受けてはいない。だが、内通者の存在、協力者の少年、丙号が暴走する可能性――あらゆる懸念を考慮し、対応策を練る。


「……」


 そして、行き着いた結論。

 彼は扇を開き、口元を隠して言った。


八部衆はちぶしゅうを出す」


「「ッ!!」」


 官吏たちは目を見開く。

 皇子たちの会話を邪魔しまいと息を殺していた彼らですら、皇太子の言葉を聞き逃すことは出来なかったのだ。


 広がる動揺。

 堪えかねた一人が、思わず口を開く。


「そ、そこまでなさるのですかっ……!」


「無論だ。丙号は必ず連れ戻す。そして、逃走の協力者は確実に捕らえて撫で切りにする!」


 八部衆――南の都が誇る、凄腕の術師集団。並の兵たちでは対処不能な事態に動員される、精鋭中の精鋭。北の都との戦では、一人で百の兵に匹敵すると評された、南の都の中核戦力だ。


「しかし、八部衆……八部衆ですか……」


 また、全員が奇人、狂人の集まりと評されている。官吏たちにとっては頼もしい味方でありつつも、いつ自分の首を取りにくるか分からない恐怖の対象でもあった。


 丙号、そして、彼女を連れ去った少年。

 その追跡に、彼らを派遣すると皇太子は言ったのである。


「流石にそれは……」


 過剰戦力。この場にいる官吏たちは、誰もがそう思ったであろう。

 だが、彼だけは違った。


「大きく出たな。だが良い。丙号……いや、『灼天しゃくてん』を連れた小童が一体どれほどのモノか。お手並み拝見といこうじゃないか」


 ただ一人、ほくそ笑む第三皇子。

 彼は心底愉快そうな調子で静かに告げる。


「精々、この僕を楽しませてくれよ?」

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