第37話:微かな気付きと心変わり

 祭囃子に笛の音。国弘たちに振り回された私は、引き続き伊奈に振り回されていた。


「まだ遊ぶのか?」


「はい! まだまだ見てないところがたくさんあるのでっ!!」


 伊奈は元気よく答えた。彼女は食べ物だけでは飽き足らず、射的に型抜き、金魚掬いと、片っ端から屋台に突撃している。

 それにしても、一体彼女の熱はどこからやってくるのか。甚だ疑問である。


「六尊さまっ! 次はあっちに行ってみたいです!」


 子供のようにはしゃぎながら、伊奈は向こうを指さした。私が返事をするまでも無く、その足は既に前へと進んでいる。

 まったく、仕方のない奴だ。


「六尊さま?」


 先走った彼女は、振り返りぎわに首を傾げる。私は彼女に呆れを込めた視線を送り、


「よく飽きぬな」


「はい! だって、お祭りはじめてなのでっ!」


「それは私もだが……」


「そうなのですか!?」


 衝撃を受けたように目を見開く伊奈。

 彼女はそのまま今度は私の方に駆け寄って来て、ぱっ、と明るい表情を浮かべる。


 そして、ふいに私の手を取った。


「っ!」


「じゃあおそろいですねっ!」

 

 突然の出来事に、私の思考は一瞬の空白を生む。


「えへへ」


 何が嬉しいのか分からないが、伊奈は相変わらずの間抜けな笑みを見せた。


 その時、もやっと、妙な感覚に見舞われる。心拍が上がり、肌が火照るような慣れない感覚。不思議と悪い気はしないが……


「どうしました?」


「……いや、何でもない。気にするな」


 私は伊奈の手を振り払い、彼女から視線を逸らす。特に意味はない。だが、自然とそうしてしまった。


 分からない。

 何だ、この感情は。


「変な六尊さま」


 そう言って、伊奈は再び笑う。

 無邪気で、純粋で、暖かい笑み。ざらついた心が落ち着き、それでいて胸が締め付けられるような不思議な笑みだ。


 分からない。

 私は、この感情の名前を知らない。


 でも、不思議と今の彼女は美しく見える。穢れ、落ちぶれた私には似合わない程に。


 そして不覚にも、私は思ってしまった。

 この時が続けば良いと。これこそ、かつて私が望んだ平穏なのではないかと。


「……っ」


 いや。今の私に、平穏を望む資格はない。

 

 かつての少年はあの夜死んだ。その代わりに産まれたのが私ではないか。希望を捨て、人生を捨て、復讐に生きるとあの夜誓ったではないか。


 なのに、今更何故――


「ほら、行きましょう!」


「!!」


 伊奈は私の手を引く。心の中のもやは、ますます濃くなっていく。心地よい胸の痛みと、それを良しとしない暗い感情が、私の心をぐちゃぐちゃにしてゆく。

 

 ああ、なんだもう。


 やはり、私は祭りなど嫌いだ――そう呟こうとして、私は口を噤む。伊奈に聞かせれば、きっと彼女の笑顔は陰る。それは嫌だ。

 らしくもなくそんな考えが頭に過って、私は奥歯を強く噛み締めた。


▼△▼


「どうだった?」

「楽しかったか?」


 屋敷に戻ると、和加と国弘がニヤニヤとした笑みで問いかけた。

 なんとも腹の立つ顔ではあるが、もはや怒る気力も湧いてこない。

 伊奈はというと、ため息をつく私の横で元気よく肯定的な反応を返し、国弘たちに撫でられている。


「……お気楽な奴だ」


「そう言うお前は貴様は浮かない顔をしているな、六尊」


 ふいに、国弘が私に顔を向ける。


「言ったであろう。私は祭りが嫌いだと」


「行ってみても変わらなかったか?」


「ああ」


「そうか。それは残念だ」


 やけにあっさりと、国弘はからから笑う。あれ程無理やり連れだした割にそっけない。


 結局コイツは何がしたかったんだ?

 さっぱり分からぬ。


 そう困惑する私の肩に手を置くと、国弘は耳打ちした。


「話がある。少し良いか」


▼△▼


 国弘に連れられ、私は夜道を歩いていた。


「一体どこまで行くつもりだ」


「そう焦るな。じきに着く」


 意図が分からないまま、国弘の後をついていく。夜風に乗って潮の香りが漂ってきた。波の寄せる音も聞こえる。


「海か」


「ああ。神代より、海と言うのは常世とこよと通じているという話があってな。この波もあちらの世界から打ち寄せているとかなんとか……まあ、馬鹿らしい話だ」


 そして、辿り着いたのは砂浜だった。

 波の音だけが響くその場所で、国弘は海に揺れる月を眺める。


 彼は、ぽつりと口を開いた。


「……さっきの話だが、悪かったとは思っている。あれは全て俺の悪ふざけ。いうなれば趣味の一環だ。貴様にも楽しんで貰えればと思ったが、余計なお世話だったらしい」


「それは今更だろう。そんなことのためにわざわざ私を歩かせたのか?」


「いや、そんな訳はあるまい。だが、これだけは言っておこうと思ってな。どうやら俺は貴様を見誤っていたらしい。正直、貴様はもう少し理性で動く人間だと思っていたぞ」


「……は?」


 いきなり謝られたかと思えば、今度は罵倒じみた言葉を投げられた。

 

「……脈絡がなさ過ぎる。話が見えぬぞ」


「そうか。だが、別に構わぬ。貴様が分かっていようがいまいが、俺はもう決めたのだ」


「何?」


 そして国弘は長い息を吐き、私の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「貴様に『蒼天』の秘儀を教えるのは止めておく。今の貴様にそれを教える意味はない」

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