第36話:神在祭

「要らぬ」


 私は即答した。

 国弘は少し驚いたように目を見開いたのち、顎に手を当てて、


「何故だ。祭りだぞ?」


「知らぬ」


「おかしいな。喜んで貰えるかと思ったが……ほら、削り氷でも唐梨からなし飴でも何でも買ってやるから」


 馬鹿にしているのか?


「……それも要らぬ。餓鬼扱いするな」


「要らぬ要らぬと我儘わがままな奴め。さては貴様、ひねくれ者だな?」


「否定はせぬが釈然としない」


 煽っているのか根っからの善意か判断しかねる。ただ、コイツは何としても私を祭りに連れていきたいらしい。

 面倒臭いうえに下らん。


「私はそんなことのために出雲へ来たのではない。そもそも祭りは嫌いだ」


「まあそう言うな。行けばきっと良いことがある」


「……良いことだと?」


「ああ、聞いて驚けよ」


 国弘は軽く息をこぼし、何とも憎たらしい自信満々な笑みを浮かべる。

 そこまでの顔をするならさぞ素晴らしいことが起きるのだろうな。


「俺の機嫌が良くなる」


「そうか。じゃあいい」


「結論を急ぐな」


 ニタリと、悪い表情をする国弘。

 食い下がるなコイツ。


「……しつこいぞ。大体、お前の機嫌が良くなって何だというのだ。私の知ったことでは――」


 その時だった。


「ほーん? 貴様、俺を誰だと思ってる」


「!!」


 ふいに張り詰める気脈。その緊張の中心にいるのは国弘だ。まるで、出雲に満ちる神気そのものを動かすが如き膨大な出力である。これは最早人の成せる芸当ではない。


 だが、何だ。どういうことだ。

 訳が分からない。馬鹿げている!

 コイツ、一体何のつもりで……!


「言っておくが、俺が貴様たちを置いてやってるのは師忠との盟約があるからだ。だが、その盟約には貴様らの目的の成就までは含まれていない。俺はただ、貴様らを客として持てなせと言われただけだ」


「……っ!」


「その後は全て俺の気紛れ。つまりだ。俺はいつだって貴様らを出雲から追放することが出来るのだぞ?」


 小首を傾げ、軽い笑みで告げる国弘。

 だが、コイツの周りで渦巻く神気は殺気立っている。国弘が何かすれば、それだけで私は終わる――否が応でもそう思わせる程の、並外れた出力だ。


 国弘は光の消えた瞳で告げる。


「この国に留まり目的を果たしたいなら、俺に好かれておいて損はない。どうだ、これでも行かぬと言うか?」


 再び手招きする国弘。ふざけている。

 これでは拒否権などないだろうに。


「くっ……」


「それで良い。初めからそうしておけ」


 目を伏せる国弘。

 直後、気脈が発散する。


「……化け物め」


「無礼な奴だな。俺は国造。出雲を治め、西国の社をべる現人神であるぞ」


「それは他者から押し付けられた属性だと、お前自身が言っていただろうが」


「ふふ、分かっておらぬな。何事にも方便は大事ぞ?」


 そして国弘は豪快に笑った。

 意味が分からん。師忠もそうだが、高みに至った術師というのは変人しかおらぬのか?


「チッ……面倒臭い」


 かくして私は、渋々町へと繰り出すことになった。


 ▼△▼


 国弘の屋敷を出てすぐのところから、既に人がごった返している。

 三日前より確実に騒がしい。


「何だこれは」


「ん? ああ。祭りの中日なかびには、こうやって出雲中から商人どもが集まってくるのだ。何せ年一番の稼ぎ時だからな、さぞ精が出ることだろうよ」


 何故か自慢げに語る国弘。

 よく分からん。別にコイツが何をしたわけでも無いだろうに。


「取りあえず下りへ向かおうか」


 私たちは人と人の隙間をすり抜けながら、大社とは反対方向に向かって進んでいく。

 そうしていると、


「宮司さま!」


「ん?」


 雑踏の中から、誰かが国弘を呼び止める。直後、一気に人々の視線がこちらに向いた。


「本当だ、宮司様だ!!」

「国造様!」

「国弘様!!」


 笑顔で手を振る商人やら子供やら。

 通りはちょっとした騒ぎになる。


 だが、彼らに平伏する様子はない。

 身分差を考えれば無礼と見られてもおかしくない態度だ。


 しかし、国弘はそんな態度に気を悪くすることもなく、余裕のある笑みで手を振った。


「ああ、励むが良い」


「有難きお言葉!」

「一層精進いたしまする!」


「うむ。だが、少々邪魔だ。悪いが道を空けてくれ」


「「ははっ!!」」


 国弘の一言で人混みが二つに割れ、通り道ができる。商人どもに恐怖は見られない。彼らは好きでこうしているようだ。


「……随分慕われているな」


「ああ。何せ俺は国造。下々の奴らにとっては神に等しい存在だ。あれくらい崇め奉ってくれなきゃ困る」


 やたらと偉そうに語る国弘。だが、実際そうなのだから特に返す言葉は見つからない。


 なんともやり辛い奴だ。

 一緒にいて疲れる。


 屋敷を出て一刻も経っていないが、数日分の疲れが溜まったような気がした。


「はぁ……」


「どうした? 具合でも悪いのか?」


うるさい、少し黙っていろ」


 ▼△▼


 それから少しばかり歩いた頃になると、私は違和感を覚えていた。


「……妙に賑やかだな」


「それがどうかしたか?」


「いや。だが、神在祭は静謐せいひつな神事と昔書物で読んだ。記述とかなり違うが……」


「ほう? 詳しいな」


 国弘は感心したように呟く。

 彼は腕を組みながら、


「確かに貴様の言う通り、神在祭は本来静かで厳粛な祭りだ。鳴物などは一切禁止で、神官以外は皆物忌ものいみしなければならぬ」


「なら、何故」


「簡単なことだ。それでは興が足りん」


「は?」


「興のない儀式などやる気が起きんだろう。どうせやるなら楽しい方が良い」


 相変わらずだがコイツは何を言っている。


「そういう訳で、俺の代からは中三日だけはこうして夜店を出すことを許しているのだ。そのくらいは、神様とやらも大目に見てくれるだろうよ」


 ニヤリと微笑む国弘。

 その程度の理由で伝統と神儀を捻じ曲げるか。とても正気とは思えん。


「不良宮司め」


「案ずるな。自覚はある」


 悪びれる様子もなく告げる国弘。彼はそのまま手を広げて、上機嫌にケラケラ笑った。


 成る程、天才と馬鹿は紙一重とはこのことか。いや、コイツの場合それらを両立している。馬鹿が天賦の才を持っているのだ。

 端的に言って悪夢である。


「はぁ……」


 そんな折、国弘はふいに足を止めた。


「さて、待ち合わせはここらだったな」


「何?」


 振り返る国弘の視線を追う。

 そこに立っていたのは――


「ろ、六尊さま!」


「っ!?」


 燃えるような紅い瞳に桜色の髪。聞き慣れた声で、伊奈は私の名を呼んだ。


「何故、お前がここにいる」


「私が連れてきたんだ」


 新たな人影が、伊奈の肩を抱き寄せる。

 長い黒髪に、よく通った鼻筋。そして、私と同じ程度の背丈の女。どこか雰囲気が国弘に似ている気もする。

 

「誰だ」


和加わか。この不良宮司の従姉いとこだよ!」


 ソイツは私に笑みを向け、自信満々な様子で胸を張った。何がそんなに誇らしいのかよく分からない。


「また変な奴が増えたな……」


「おい変なやつとか言うな!」


 何かほざいているがどうでも良い。

 私は視線を伊奈へ移した。彼女は、三日前までの質素な衣と違って、柄の入った鮮やかな衣を着ている。


「伊奈、その派手な衣はどうした」


「えへへ、着せてもらいました」


 誰に、というのは聞くまでもなかろう。やたら自慢げにこちらを見ている奴がいる。


「ど、どうでしょうか」


 恐る恐る伊奈は尋ねる。まるで何かを期待するような眼差しだ。


 だが、何だ。私に何を望んでいる?


(素直に可愛いって言ってあげたら?)


「!!」


 ふいに和加が耳打ちする。

 いつの間に私の横へ……


「ふふ、伊奈ちゃん喜ぶと思うよ?」


「ほざけ、そんなこと」


「ええー、言ってあげなよー」


「チッ」


「あっ! 舌打ちしやがったコイツ! 国弘! コイツ――」


「はいはい分かった分かった」


 騒ぐ和加を雑に引っ張り、国弘はわざとらしく微笑んだ。まるで子供扱いである。歳は和加の方が上であろうに。


 国弘は和加を抱き寄せながら、


「さて、俺たちと一緒にいては居心地が悪かろう。和加も煩いし人目も気になる。ここからは、貴様ら二人で好きに回ってこい。俺はコイツと屋敷へ戻る」


「は?」


 戻る? 

 急に何を……というか、


「待て、案内すると言っておっただろうが! だからついてきてやったのに帰るだと!?」


「安心して? 出雲は大国主の結界が張られてるし、敵襲なんてそうはないから!」


「違う! そんなこと聞いて――」


「じゃあな。あまり羽目を外すなよ」


「楽しんできてね!」


「待てッ!!」


 そのまま国弘たちは雑踏に消えていく。追おうにも人が多すぎて追えない。

 

「くっ」


 結局私と伊奈は、参道の果てに取り残された。ここから屋敷まではそれなりに距離がある。歩いて一刻半と言ったところだろう。


「どうしましょうか?」


「ここにいても仕方ない。私たちも戻るぞ」


「で、でも」


「ああ、この人混みを抜けるのは一苦労だ。そして恐らく裏道もない。国弘め……」


 半ば無理やり連れて来られたと思ったら、そのまま置き去り。これが嫌がらせで無かったら何だというのだ。


 いや、待てよ。国弘のことだ。彼奴は常人ではない。何か他の狙いがあるのだろう。どっちにしろつくづく迷惑な奴である。


 そんな時、伊奈が私の袖をつまんだ。


「何だ」


「あの……せっかくですし、一緒に屋台を回りませんか?」


「……何?」


▼△▼


 人混みを割りながら、国弘と和加は通りを歩いてゆく。いつの間にか、和加の手には唐梨飴が握られていた。

 彼女はそれを一口かじって告げる。


「国弘って良い性格してるよね」


「ああ、俺程優れた人格者などそういまい」


「皮肉だよ」


「は?」


 目を細める国弘。

 和加はケラケラ笑って、


「まあでも、今回は私も共犯だから人の事言えないなあ」


「共犯とは人聞きの悪い。これは別に悪事では無かろう」


「悪事だよ」


 和加はいたずらっぽく笑う。

 年齢不相応に子供らしい表情だ。

 国弘は呆れたように息をつく。


「……で、伊奈とやらの方はどうだった」


「良い子だよ。素直だし、優しい。あの『灼天』だと信じられないくらいだ」


「……そうか」


 一瞬、国弘は暗い表情を浮かべる。

 和加はそれを見逃さなかったが、あえてそのまま続けた。


「で、六尊くんの方はどうだった?」


「ん? 彼奴か。彼奴は碌でもない奴だぞ」


「え、そうなの?」


「ああ。捻くれてるし、素直じゃない。言葉は荒いし、他者への敬意が微塵もない」


「半分くらい国弘にも当てはまるじゃん」


「ほざけ。俺ほど素直な奴がどこにいる」


「それが残りの半分だよ」


 ジトッとした目で和加は告げた。

 国弘はどこか不服そうである。

 和加はくすりと笑って、


「でも、嫌いじゃないんだよね?」


「……ほう。よく分かったな」


「もちろん。だってそうじゃなかったら、もうとっくに出雲から追い出してるでしょ?」


「さあな。それは俺の気分次第だ」


 国弘は機嫌を直してぶっきらぼうに言い放つ。そして、そのまま天を仰いだ。


「だが、神議かむはかりの真似事……我ながら下らんが、暇潰しには丁度良い」


「不良宮司め」


 そんなやり取りがかき消されるほど、往来は相変わらず騒がしい。

 国弘はこのくらい神は大目に見てくれると適当なことを言っていたが、実際はどうであろうか。それは神のみぞ知ることである。

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