第35話:笛の音と祭囃子と

 しゃんしゃんと、鈴の音が祭囃子まつりばやしに乗って屋敷の外から聞こえてくる。時節も秋となれば、南都に無数にある社のどこかは祭りをやっている訳だ。


「まったく」


 思わずため息が出る。

 何故、世人はこうも催し物が好きなのだ。連日夜も騒がしくて敵わない。


 そんな時のこと。


「六尊さまは、祭りがお嫌いなのですか?」


「ん?」


 見ると、一人の女が立っている。

 コイツは確か治部じぶと言ったか。母上の侍女であった気がする。

 私は目を伏せて言った。


「ああ、嫌いだ」


「何故です? 楽しそうで良いではありませんか」


「どれ程楽しげでも関係ない。私は下らぬ騒ぎが嫌いだ」


「まあ」


 治部は呆れたような顔をする。

 当然だろう。


 我ながら、餓鬼のくせに捻くれた奴だと思う。同じ年頃の子なら、貴賤を問わず喜んで祭りに加わったはずだ。


 だが、無邪気な餓鬼を装うのに、私の世界は窮屈過ぎた。


「……どうせ、私は外に出られぬ」


「……」


 私は一応皇子だ。勝手な行動はできない。どれだけ父や兄から疎まれようと、血のしがらみからは逃れられぬ。


 せめて元服げんぷくの後であれば、父の許しなど無くとも多少は好きに出来るのだろうが、まだ私は八つ。子供に自由などない。

 故に私は、外から流れてくる声をうとましげに聞き流すことしか出来ない。


「では、早く大人にならねばなりませんね」


 新たな声が飛んでくる。

 おもむろに振り返ってみると、見慣れた笑顔で立っている人影が一つ。


「……母上」


「六尊。祭りは案外良いものですよ?」


「そうでしょうか」


「ええ。昔見た賀茂社かもしゃ葵祭あおいまつり。あれはまあ素晴らしいものでした。いつかまた、私も祭りを見に行きたいものです」


 遠い目をして、母上は昔を懐かしむ。

 その微笑みは、どこか寂しそうに見えた。


「……」


 私は、いつかは外に自由に出られるようになるだろう。いずれ元服し、無品むほんの親王になるか臣籍しんせきに下るかでもすれば、父も私をこんな屋敷に閉じ込めたりはしまい。


 だが、母上は違う。

 きっと、彼女はこのままだ。


 母上がこの屋敷から出られる日は、きっとこのままでは来ない。

 上皇はそういう仕打ちを平気でやる男だ。


 誰かが強く働きかけ、あの男を説き伏せねば母上はここを出られぬ。

 あるいは、無理にでも連れ出してしまうか――いずれにせよ骨が折れる。


「……なら、いつか私がお連れしましょう」


「本当?」


「ええ。十五になり元服した暁には、母上を連れて何処の祭りにでもお供いたします。祭りが本当に良いものか、ともに吟味いたしましょう」

 

▼△▼


 軽やかな笛の音色が、私の意識を現実に引き戻す。どうやら外で祭りでもやっているらしい。笛の他にも、太鼓やら笙やら管弦の音が聞こえてくる。


 にしても、古い記憶だ。まだ皆が穏やかに生きていた、遠い日の一幕。恐らく、これらの音が呼び覚ましたのだろう。


 結局、果たせぬ約束であった。


「……」


 身体を起こすと、月明かりが御簾の隙間から差し込んできて、私の顔を照らした。


 妙に体が軽い。

 気付けば衣も綺麗なものに変わっている。


「……」


 国弘は一体何をした。

 いや、それよりあれからどれほど経った?


「三日だ」


「!!」


 見下すように、私を眠らせた張本人が枕元に立っている。

 気配など無かった。一体いつから……!? 


「そういうまじないだ。悪いとは思っているぞ? だが、色々とそっちの方が都合が良かったんでな。許せ」


「心にも無いことを」


「ほう? よく分かったな」


 悪びれもせずに、感心したような表情で国弘は告げる。なんと図太い奴だ。

 いや、単に私が舐められているだけか。忌々しい。実際、それだけの実力差があるのが歯痒はがゆい。


「だが、都合が良かったというのは事実だ」


「何?」


「町の往来は見ただろう?」


 ニヤリと笑みを浮かべ、国弘は目線を合わせるようにしゃがみこむ。

 そして、屋敷の外の方を見遣った。


「ちょうど今は神在祭かみありさい。特に一昨日くらいまではやることが山ほどあった。ゆえに、貴様らの応対をしている時間はあまり無かったのだ。だから、落ち着くまで眠って貰った」


「……実際は?」


「へぇ、存外によく人を見ている」


 上から目線。

 いちいちしゃくに障る物言いをする。

 国弘は再び私の目を見て、


「だが、嘘などついていない。今のは理由の三割だ。残りの七割は別にある」


「は?」


「貴様ら、無茶をし過ぎだ」


 ふいに、国弘は目を伏せた。呆れるような、諭すような口調で彼は続ける。


「良いか? 貴様らは神子で神気も多く治癒力も人並み外れて高い。とはいえ、人間である以上限度はある。身体の異常を無理に補いながら気脈を回せば、契神回路けいしんかいろはすぐにガタがくるぞ。実際、貴様ら二人の契神回路は悲鳴を上げていた」


「……」


 契神回路。確か、体内における神気の通り道みたいなものであったか。


「自覚は無かったが」


「当然だ。あれは五臓六腑のうちに入らぬし、痛覚などあるはずもない。知らぬ間に回り、知らぬ間に壊れるような物だ。そして、一度壊れるとその後遺症は長引く。治癒術式で治せるものでもない」


 国弘は一つ息を吐いた。

 そして、頬杖をつきながら片目を開く。


「だから、無理にでも休んでもらった」


「……」


 確かに、話の筋としては通っている。

 私たちの意思を思い切り無視していることを除けば、コイツの言う通り全ての都合が良い。だが――


「なら、なぜそうと言わなかった。あのような卑怯な真似をする必要が何処にある」


 抗議の意を込めて、私は国弘に問うた。

 しかし、彼は一切悪びれることなく、私を鼻で笑う。


「下らぬ問いだな。仮に私がそう言ったとして、貴様は私の言う通りにしたか?」


「は?」


「答えは否だ。何故かは知らぬが、貴様は何かに追われるように先を急いでいる。故に、休むなどという提案は決して受けなかっただろうよ」


 確信したような口ぶりで継げる国弘。

 まるで、私という人間の全てを理解しているかのような言い方だ。その自信の根拠が分からない。


 それに、彼の言葉が当たっているのが尚更気味が悪い。

 確かに私は、恐らく休むなどという選択は取らなかっただろう。


 一体どうなっている。

 コイツは何故……


「そう怪訝な顔をするな。俺はただ、そうなると知っていただけだ」


「どういうことだ」


「どうもこうもない。運命線を占えば、少し先の出来事くらい容易く見ることが出来る」


「っ!?」


 先の世を見るだと……

 そんなふざけた芸当が人間に出来るのか!?


「何をそう驚いている。術式理論に通じ、ある域まで達した者なら出来て当然の技術だ。お前の兄とて、やれば出来るだろうよ」


「……私の素性も運命線とやらで見たのか」


「いや、これは師忠から聞いた」


「……」


「とにかく、貴様の知らぬことなど幾らでも有るということだ。元より、それを知るために出雲へと参ったのだろう?」


 そして彼はニイと笑みを浮かべる。

 自信に満ちた顔。私の苦手な表情だ。


 国弘はそのまま立ち上がり、御簾を掲げて軽く手招きする。


「来い小僧。これは詫びだ。町を案内してやる。神在月の出雲は面白いぞ?」

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