第34話:食えぬ男
国弘は、品定めをするように目を細める。
彼はそのまま近寄って来て、私たちの顔を興味深そうに覗き込んだ。
「……」
敵意は感じられない。
だが、意図が読めない。
力量は間違いなく相手が上。
恐らく、コイツは師忠と遜色ない実力を持っている。国弘がその気になれば、私など一瞬で消されるだろう。
自然と身体が強張る。
伊奈は私の後ろに隠れてしまった。
だが、国弘は呆れたように息を吐く。
「何をそんなに怖がっている。俺はそんな野蛮人じゃない。いきなり人を殺めるような真似はせぬ」
「なら、何のつもりだ」
「だからそう気を立てるな。なに、大したことじゃない。ただ、少し感心しただけだ」
国弘は目を伏せる。
今一つ話が見えない。
「感心、だと?」
「ああ。やはり曲がりなりにも神子なのだな、と。穢れていても、これほどまでに純な気脈はそうない」
そう言って、ニヤリと笑う国弘。
彼はそのまま伊奈の方を見て、
「だが、まさか灼天が
「えっ」
「ああ、気にするな。貴様の知るところではない。知る必要も今はない」
くるりと翻り、国弘は再び階段に足を掛ける。そして、彼は振り返りながら言った。
「立ち話もなんだ。中に入れ。一応貴様らは客だ。師忠とはそういう約束だからな」
▼△▼
応接間で、国弘は頬杖をつきながら仏頂面を浮かべていた。
机の上には、淹れたての茶と、見知らぬ菓子が置かれている。
妙な状況だ。国造は、出雲で
その異常さを感じ取ったのか、伊奈も菓子に手は伸ばさない。彼女は落ち着かなさそうな様子で、菓子と私の顔を交互に見ながら困った顔をしている。
国弘は怪訝そうに目を細めた。
「どうした、
「……」
「おかしいな、貴様らほどの歳の者は、みな甘いものが好きと相場が決まっておろうに」
心底不思議そうに首を傾げる国弘。
不気味だ。狙いが全く見えない。
「……何を企んでいる」
「人聞きの悪いやつめ。客人に菓子と茶を出して何が
「……は?」
「いや、洒落ではないぞ」
「……」
妙な空気が流れる。国弘は表情一つ変えない。伊奈は何故か肩を震わせている。
変に場が緩んだ。
私は仕切り直しに舌打ちして、
「可笑しくはない。普通は、な」
「なら、さっさとありがたく食え。折角焼きたてなんだ。冷めては勿体無かろう。それともなんだ? 毒でも怖がっているのか? 馬鹿馬鹿しい。菓子にそんなもの混ぜる訳が無かろう」
唇を尖らせて不機嫌そうに告げる国弘。
彼はため息をつくと、唐菓子を一つつまみ、自分の口に放り込んだ。
「うむ、やはり美味い。流石は俺だ」
自信に満ちた笑みを浮かべる国弘。
彼に異常は起こらない。では茶の方か?
いや、まさか本当に意図など特に無いというのか?
そんな時、伊奈が恐る恐る手を伸ばす。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
「おいっ!」
毒は無くとも、術式的な意味付けはあるやも知れぬ。古来より、食を介した呪いや術式には枚挙に暇がない。
そう容易く口を付けるのは――
「!!」
だが、伊奈は制止も聞かず、サクリと唐菓子を食んだ。
国弘はニヤリと笑みを浮かべる。
やはり罠か!
「……?」
そう思ったが、今度も何も起こらない。
呆気に取られる私を置き去りにして、彼女は気の抜けたような笑みを浮かべた。
「おいしい」
「は?」
「ふふふ、そうだろ? こいつは
国弘は、自慢げな表情で饒舌に語る。
そこに邪気や悪意はない。
私も一つ玖貴とやらをつまんでみる。
確かに美味だ。それに、毒の気配などは一切ない。本当に杞憂だったか。
「……」
「なんだ、口に合わなかったか?」
「いや」
「そうか。なら良かった」
ニコリと微笑む国弘。
そこで、私はようやく理解した。彼は本気で私たちをもてなしたかっただけなのだろう。国弘も伊奈と同じくお人好し、もしくはただの変人ということか。
「……にしても、手ずから菓子まで作るなど、まともな感性とは思えぬ」
「ほう?」
「
そんなこと、都では絶対に無い。
貴族は貴族、下民は下民。はっきりと階層が分かれ、仕事も分かれている。その境界を越えることなどあってはならない――それが、貴族社会の仕来りだ。
だからこそ、上皇や兄達は、母にそのような振舞いを強制した。お前は下人も同然、そうとでも言いたかったのだろう。
陰湿な仕打ちだ。
不思議と母は、嫌そうな顔を浮かべることは無かったが。
「……」
よく分からない。
コイツやあの時の母の精神は、私の知識や経験では受け入れる事ができない。
しかし、国弘はやたらと偉そうに私を鼻で笑った。
「ふふ、分かっておらぬな」
「何?」
「国造も現人神も、所詮は他人から貰った属性に過ぎぬ。そんなものに囚われてどうするのだ。俺の本質は俺が決めるし、やりたいことはやりたいようにやる。だから、俺は菓子を焼くし茶も淹れるのだ。誰の仕事とか心底どうでも良い。あれは俺の趣味だ」
「……」
「それともまさか、下人がやるようなことをして俺の格が落ちるとでも? 笑わせる。逆に菓子作りの格が上がるだけだ」
そう言って、国弘は豪快に笑う。
側だけ上品な貴族は決して見せることのない、自然体の感情だ。
やはり、私にはコイツが分からぬ。
「お前には分かるのか」
「?」
伊奈は首を傾げる。これは問いの意味を理解していない時の顔だ。
まあ良いか。そこまでの興味はない。
ひとしきり笑った後、国弘は再び私たちに目を向けた。
「さて、与太話はここらにしておこう。俺は師忠との約束を果たさねばならぬ。彼奴に借りは絶対に作りたく無いからな」
「借り?」
「ああ、彼奴には色々して貰ってるんでな」
その時だった。
突如、身体の力が抜ける。
「……っ!?」
私だけではない。
伊奈も机に突っ伏していた。
「というわけだ。少し眠っておけ」
「……謀った……のか!?」
「悪いな。毒は入れなかったが、
国弘はニヤリと笑みを浮かべて告げる。
「だが、詰めが甘かったな。お休み、二柱の神子さんよ」
くそ……やられた。
もう頭が回らない。そのまま、私の意識は深い底へと落ちて――
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