第21話:囚われの皇子

 冷たい床、かびの生えた壁、知らぬ天井。

 そして、両の手に掛けられた手錠。

 察するに、ここは牢獄か。


「……ぅッ」


 身体中が痛む。左肩から右脇腹にかけて、かなりの血が滲んでいた。肋も数本折れているだろう。満身創痍。そんな言葉が似合う、惨めなザマだ。


 だが、致命傷には至っていなかったらしい。我ながら大した堅さである。


 いや、これはそうじゃない。

 誰かが、私に治癒術式を掛けたのだ。


「あ、起きたかい少年!」


「……っ!」


 妙に気分の良さげな声。

 やはりな。


「……何のつもりだ。『夜叉』」


「えへへー」


 コイツだ。

 八部衆の参『夜叉』橘頼遠。

 コイツが私を治したのだ。


「いやー、一応皇太子殿下からは君を殺すよう命は受けてるんだけど、また別件で三宮殿下から頼み事をされててねー。一つ確かめといてって」


「何?」


「君、皇子さまなのー?」


「……!」


 何故、コイツは私の出自を知っている。


 いや、そうじゃない。

 何故、第三皇子はもう勘付いている!!


「へえー、ホントにそうなんだー! お姉さんびっくり!」


「チッ……」


「あら、つれない。でも、正直そんなのあたしにはどうでもいいんだー」


 『夜叉』は愉快そうな表情で歩み寄ってきた。そして、私の目の前で立ち止まると、腰を下ろして目線を合わせる。


「あたし、可愛い子好きなんだよね。君って綺麗な顔してるじゃん? それに、若い子特有の反抗的な目! たまらないねー!」


「っ!」


「このまま殺すの勿体ないなあって思っちゃったのー。だから、あたし決めたんだ!」


 彼女は、思考がまとまらない私の顎をクイと上げ、恍惚こうこつとした笑みを浮かべる。


「君、あたしの傀儡おもちゃにならない?」


「ふざけた……ことを!」


「そう。じゃー」


「!?」


 『夜叉』は霊符を私に張り付ける。

 直後、ふいに身体の力が抜けていった。


「何を……!」


「えー、さっきもやったじゃん!」


 ニコリと微笑む『夜叉』。彼女は地べたに這いつくばる私を見下しつつ言う。


「霊符ってね、術式と起動用の回路が合わさって出来てるんだけど、これにあえて術式を付与しないとどうなると思うー?」


「……は?」


「分かんないかー。まあそうだよね。あたしだって細かいことはよく分かんないもん」


「御託は……いい!」


「まあそう焦んなって!

で、どうなるかっていうとねー」


 『夜叉』は「ふふん」と自慢げに鼻を鳴らすと、立ち上がってくるりと一度翻った。


「霊符の容量いっぱいまで、神気を吸い上げ続けるんだよー!」


「!?」


 霊符にそんな仕様があるのか!?

 いや、これは仕様というより不具合だ。


 しかし、辻褄つじつまは合う。


 先ほど私の術式が不発に終わったのも、霊符によって神気が吸収され、術式陣が崩壊したからか。


「てわけで、抵抗は無駄だよ。この独房にも霊符が沢山貼ってある。術式は使えないし、お得意の気脈操作も役に立たない。さあ、観念して私の傀儡に」


「なるか馬鹿め」


「ちぇー」


 不服そうに唇を尖らせる『夜叉』。

 子供じみた態度だが、私より年は一回りは上であろう。しゃくに障る。


「まあ良いやー。力ずくでも出来るんだけど、それじゃあちょっと面白くない。君の心が折れるまで、あたしはのんびり待つことにするよー」


「ほざけ。私がこの程度で屈するとでも? それか、拷問でもやるつもりか?」


「勘違いしないで欲しいなー。別にあたしは君を傷付ける気はない。せっかくの可愛い顔が汚れたら勿体ないからさー」


「は……?」


 意味が分からない。


「お前は、何を――」


 言い終える前に『夜叉』は私の唇に指を当てる。そして、気味の悪い笑みを浮かべた。


「だから、丙号ちゃんのほうをいじめることにしたんだー!」


「っ!!」


「あは! 心配なんだー! やっぱり、君にとってあの子は大事な人なんだね!」


「戯言を……!」


 コイツは何を言っている。

 別に私はアイツなど――


「でも残念。あたし、女には興味ないからさー。正直、あの子がどうなっても良いんだよねー。まあ生け捕りとは言われてるけど」


 『夜叉』は再び座り込み、私と目線を合わせるようにして言った。


「あの子、まだ幼子おさなごだけど、綺麗な顔と良い身体してるじゃん? いくら化け物といっても、やっぱりモノ好きっているからさー」


「!?」


「奥手そうな君は、どうせまだ手を出してないんだろうけど、そういう盛った男どもに与えたらどうなると思う? どんなヒドいことされちゃうんだろうねー!」


「……ぃッ!!」


「あ、効いてる効いてる! あはは!」


 『夜叉』は腹を抱えて肩を震わせる。

 なんと邪悪な笑みだ。コイツは、ただ、私の心を折るためだけに、小娘一人の尊厳を粉々にしようとしている。


「ふざけたことを……!」


 別に、私だってあの小娘などどうでも良い。どうでも良いのだが、私の伺い知れるところで不幸になられるのは気分が悪い。


 それに、目の前にいる『夜叉』は、己の下らぬ欲求のために他者を弄ぶ外道。そんな奴に、あの善人が穢されてたまるか――ふいに、らしくもない感情が私の心を支配した。


「……お前は、必ず私が殺す。あの小娘にも手出しはさせぬ」


「あはは! なら今度は、ボロボロのグチョグチョになったあの子も連れてきてあげないと! ひひ! じゃあまたねー!!」


 場違いな笑みを浮かべると、『夜叉』は手をひらひらと振って独房を後にした。


▼△▼


「……」


 厄介な状況だ。


 八部衆が二人。町の人間は全員敵。私は重傷を負った病人で、小娘の身柄も拘束されている――不都合な要素がこれでもかというほど積み重なっていた。


 また、この部屋も面倒だ。術式と気脈操作を封じられ、手錠まで掛けられている。そして、外には見張りが二人いるようだ。簡単には出られそうにない。

 

 だが、あまり時間はない。早く小娘を見つけ出し、八部衆どもを倒さなくてはならぬ。


「さて」


 どうやって脱出しようか――そう考えた時のこと。私はあることに気付く。


「……ん?」


 気脈の違和感。外にいる見張りは、二人とも傀儡術式によって操られた人間のはず。

 だが、片方だけ微妙に何か雰囲気が違う。


 いや、これはまさか――


「おい、見張りの男よ」


「……」


「答えよ。そこの折烏帽子おりえぼし


「……」


 ソイツは答えない。ピクリとも動かず、ただ虚ろな目で突っ立っている。


 だが、間違いない。

 やはりコイツはそうだ。


「お前、『夜叉』の――」


 そう言いかけた刹那のことだった。


「ッ!?」


 ゴッ! と、突然、男は隣の見張りに肘鉄ひじてつを食らわせ、首筋を力強く叩く。

 そして、気を失いぐったりとした見張りを床に横たえると、男はため息を吐いた。


「まったく、少しは気を付けろクソガキ。傀儡の耳からあの女に聞かれたらどうする」


「心配ない。傀儡術式はそこまで器用なことは出来ぬ。それより答えよ」


 私は、輝きを取り戻した男の目を見据えて問うた。


「お前は何故、『夜叉』の術式に掛かっていない?」

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