第29話:凍てつく怒り

「――ッ!!」


 忠義の術式がいくら強力でも、所詮は霊術格の術式でしかない。気脈操作で解除できる範囲だ。私は無理やり拘束を解き、刀を構えようとする。


 だが、それより先に忠義の拳が入った。


「がはッ!」


 避け切れない。

 分かっていても、反応が追いつかない。

 八部衆二人との連戦、二度の術式使用――私の身体は、もう限界に近かった。


「おいおいそんなもんかァッ!!」


「ごがぁッ!!」


 連撃。私は地面に打ちつけられる。口の中が切れて、錆びた鉄のような嫌な味がした。


「くそ……」


 しびれる身体を無理に動かし、私は間合いをとって態勢を立て直す。

 だが、神気切れの頭痛、脇腹の傷、殴打の余波が、私に次の一手を許さない。


 忠義から撒かれる霊符。かすかな詠唱。放たれる光弾。受け切れない。

 私は再び、大地に突っ伏した。


「六尊さまっ!!」


 悲痛な顔で小娘が駆け寄ってくる。

 そして、私の前に立ちふさがった。


「なんだい嬢ちゃん、やる気か?」


「……もう、やめてください!」


 震える声で、小娘は叫ぶ。

 だが、何のつもりだ。コイツには、戦う力も知恵もない。そもそも、私を助ける義理すら無いというのに。


「来る……な!」


「いやです! だって、六尊さまは――」


 その時だった。私の視界の端に、嫌な笑みを浮かべる忠義の顔が映る。


 まさか、コイツ――!


「まあ良いや。まずは、殺りやすい方から」


 再び撒かれる霊符。忠義は術式を使うつもりだ。小娘には避ける身体能力も、受け止める術式もない。あの炎だって、ここでは何の役にも立たないだろう。


 発動する術式。光弾が、いやにゆっくりと見える。もう、間に合わない。


「待――」


 どすんと、鈍い音がする。そして、べチャリと、生温い液体が私の顔を濡らした。


 ぽっかりと空いた穴から、曇った空がよく見える。小娘は、何かを言おうと僅かに口を動かすが、掠れた息が漏れて消えていった。


「……は?」


 地に伏す彼女は動かない。流れ出す血の勢いは留まらず、辺りを赤く染めていく。


 致命傷。

 それは、火を見るより明らかだった。


「……ぁ」


 蘇る記憶。

 五年前の、あの雨の夜。


 私は、何も守れなかった。

 ただ、何も出来ずに蹂躙された。何もかも奪われ、私は全てを失った。


 それは、ひとえに私が弱かったからだ。

 だから、鍛錬を積んだ。

 奴らに報いを与えるため、そして、二度と何も失わないため――私は、絶対的な強さを求めた。


 だが、この程度だ。


 八部衆如きに苦戦し、かような小物に出し抜かれ、挙句、小娘一人守ることすら出来なかった。


 またか。

 また私は失うのか。


「……っ」

 

 そんなことあってはならない。


 私は、もう何も失いたくはない。何人たりとも、私から奪うなんてことは絶対に許さない。誰であろうと、どうであろうと、絶対に、許さない。許さない。


 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。


 だから。


「……ろす」


「あ? 声ちっさくて何言ってんのか分か――」


「……殺す」


 その瞬間。忠義の右肩から下が突然凍りつき、そのまま砕け散る。


「……は?」


 目を見開く忠義。どうやら、何が起きたか理解出来ていないらしい。だが、その理解は痛みによって訪れたようだ。


「あ……あぁあぁぁぁあああッ!!!!」

 

 忠義が叫んでいる。ぐちゃぐちゃな傷口からは、真っ赤な血が吹き出していた。


 あれは、私がやったのか? 


「ぁ……はぁ……お、おいッ……なんだよ……なんなんだよそれッ!!」


 喚く忠義に向かって、私は静かに歩み寄る。その時ふいに、ぱきりと、氷を割るような音がした。

 いや、現に氷が割れている。いつの間にか、辺り一面を白い氷が覆っていた。


「ひッ!!」


 だが、どうでも良い。


 今はただ、コイツを消す。それ以外はどうでも良い。コイツは小娘を手に掛けた。私から奪う者は、何人たりとも許さない。

 

「ま、待てッ! お、俺が悪かった! だからぁ!!」


「死ね」


 私は、感情の赴くまま手を振り下ろした。


 再び、氷が砕ける。

 その音は、誰もいない空へと静かに響き、白い息とともに消えていった。

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