第31話:軋轢

「……ぁ、はぁ……」


 全身から血を流しながら、『夜叉』は国境の道を歩いていた。

 『迦楼羅』の乱入、忠義の乱行のどさくさに紛れて、命からがら逃げ延びたらしい。


「くそ……あたしとしたことが……」


 六尊から受けた斬撃――あれは、間違いなく致命傷となるはずだった。にもかかわらずまだ息があるのは、用心深い彼女が所持していた霊符の効果による。


 言うなれば、死に至る傷を一度だけ耐える術式。第三皇子が戯れで作った術式の一つだ。『迦楼羅』が一度目の術式に耐えたのも、彼がその霊符を持っていたからである。


 とはいえ、あくまで耐えることしか出来ない。回復を行わなければ傷はそのままだ。

 だが、多数の傀儡を操り、戦闘を行った彼女に神気はほとんど残っていなかった。


 生命維持に必要な、最低限の治癒術式だけを施すので精一杯。

 満身創痍の風体で、彼女は足を引き摺りながら南の都を目指す。


「……次だ。次は手に入れる。あの子は、絶対にあたしが……」


 その時だった。

 ふいに、彼女の足がもつれ、そのまま地面に倒れ込む。


「……!?」


 いや、もつれたのではない。

 足首から滲む血。腱が切られている。


「は……え?」


 激痛。そして、思考の空転。

 一体何が――その答えは、胸から噴き出した血によって訪れる。


「かはッ!?」


 突き立てられた太刀。それをゆっくりと引き抜きながら、返り血に濡れる少年は穏やかな笑みを浮かべた。


 整ってはいるが、特徴のない平凡な顔立ち。だが、それが却って彼の不気味さを際立たせている。


「なん……で……?」


「三宮殿下より許しを得ましたので、私も謀叛人の追捕ついぶに赴くことにしたんです」


 ニコリと、場違いな笑みを浮かべる少年――明王丸。彼は目を見開く『夜叉』を真っ黒な双眸で見つめると、小首を傾げながら楽し気に告げた。


「って、そうじゃないか。何故、貴女を刺したかということですね?」


「……っ」


「簡単なことです。南都に役立たずはいらない。私情を優先して命令無視を繰り返し、下級国司ごときに利用されるような無能は始末してしまえと、三宮殿下が仰せでしたので」


「ぐッ! ……ご……」


 明王丸は柔和な笑みを浮かべたまま、瀕死の『夜叉』を踏みつける。

 彼は、八部衆の中でもとりわけ殺しに特化した存在だ。同僚を手に掛けることに対して、躊躇いや後ろめたさといった感情を抱くことは微塵もない。


「まあ、他に言うことも聞くこともありませんし、手短に終わらせてしまいましょうか」


「!!」


 明王丸は、逆手に持った太刀を大きく振り上げる。

 そして、ひと際明るい表情を浮かべ、まるで稚児に向けるような優しい声色で告げた。


「では、さようなら」


「ちょ……ちょっと待ッ――」


 言い終えるのを待たず、明王丸は太刀を振り下ろす。

 ばしゃり、と、水風船が弾けるような音とともに、真赤な血飛沫が空を舞った。


▼△▼


 南都、朝堂院。


「因幡で八部衆がまた討たれただと!?」


 血相を変え、皇太子は声を荒げる。

 再び飛び込んできた敗報に、彼は平静を装うことすらしない。


 その肩をぽんと叩いて、第三皇子は軽薄な笑みを浮かべた。


「まあそう慌てるな。たかが八部衆の参と陸、何も不思議はあるまい」


「ふざけたことを! 八部衆が二人もやられるなど異常事態だ。相手はたかが小童二人だぞ!!」


「馬鹿か。神子二柱だ」


「は……?」


 皇太子は、目を見開いて固まる。

 第三皇子から告げられた言葉、その意味を呑み込みかねているのだ。


「……待て、どういうことだ」


「ん? 言ってなかったか?」


 とぼけたように小首を傾げる第三皇子。

 彼は手を広げてくるりと回ると、皇太子に向かってニコリと笑みを向けた。


「商都ではちが討たれた時、僕は強大で純粋な水の気脈を観測したんだ。そして僕なりに解析を行い、精査した」


「待て」


「あの水準を超えるのは蒼天以外にない。だから、丙号誘拐事件の首謀者は新たな蒼天だと考えている、そして、師忠の結界を」


「私は待てと言っているッ!!」


 バン、と帳台を叩き、皇太子は怒鳴り声を上げる。わざとらしく肩を竦める第三皇子。皇太子は怒り心頭になって言葉を飛ばした。


「何故、報告しなかった!! 仮に相手が神子、それも『蒼天』ならば、八部衆程度で対処出来るはずがない! 打つべき手も全て変わってくる……場合に拠れば、私や兄上が出る必要すらあるかも知れぬぞ!!」


「ほう」


「これは怠慢だ。いくら親王の身といえど、罰の一つや二つでは――」


 そこまで言いかけた皇太子を、第三皇子は鼻で笑い飛ばす。目を見開く皇太子。

 第三皇子は、光の消えた瞳で告げた。


「勘違いするなよ皇太子……いや、清棟きよむね


「は?」


元平もとひらや兄上たちと違って、別に僕はお前に敗れてなぞいない。なんたって、そもそも皇位を望まなかったからなぁ。だから、別に僕がお前に従う義理もないんだ」


「ッ!!」


「それに、僕が望むのは平和なんかじゃない。混沌こんとんさ。単純な理屈では推し量れない、複雑で難解な混沌だよ」


 ケラケラと、気楽な様子であざ笑う第三皇子。皇太子は彼を睨みつけたまま、


「そのような暴挙と暴論、上皇陛下がお許しになるはずがなかろう!!」


「残念だなぁ。もう既に、上皇陛下からは『好きなようにせよ』と言質はとってある」


 第三皇子は自慢げに語る。

 悔しげに唇を噛む皇太子に対して、彼は追い打ちを掛けるように、


「だから、僕は勝手にさせてもらうぞ」


「……ッ」


 第三皇子は再び笑って、目を伏せながらおもむろに部屋を歩き回った。


「まあでも、当面は様子見だ。今、奴らは出雲に向かっている。そして、明王丸は先刻因幡に現着した。アイツがしくじることはそうないだろう。それでも駄目だったら、その時はその時だ」


 そのまま、彼は部屋を後にしようとする。

 だが、ふいに一度振り返ると、妖しい笑みを浮かべて告げた。


「ああ、最後に一つ。僕は混沌を望むが、皇太子たるお前は秩序を創らねばならない。もし僕の望む結果になれば、それはお前の無能さの証明になる。今回の一件、お前の力量が見られていることは気に掛けておけよ」

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