第46話:壱の実力

「ッ!!」


 鈍い痛みが右腕にのしかかる。幾度となく飛んでくる斬撃に、私は防戦一方だった。


「どうしました? 貴方の力はその程度なのでしょうか?」


 隙がない。明王丸は水のように変幻自在な動きで、私の攻撃の機会を潰していく。


「くっ!」


 体術、術式、駆け引き――その全てに秀でている。常に先手を取り続け、私を徐々に削っていくような、極めて堅実な戦い方だ。


「もう少し、楽しませてくださいよ」


「チッ……」


 コイツは予想以上に手練れだ。このままでは押し込められる。何とか距離を――


「させませんよ」


「!?」


 直後、私の背後で霊符が炸裂する。

 これは、置き玉か!?


 思わず怯んだ脚。その一瞬の隙を、明王丸は見逃してはくれない。


「契神「武甕槌命タケミカヅチノミコト」御業『葦原中国平定あしはらなかつくにへいてい』」


「!!」


 神速の居合。青い閃光。

 高天原最強の軍神の霊威が、雷速で天を焦がす。私は苦し紛れに身を捻り、神気を込めた太刀で迎え撃った。


「ぐふっ!!」


 やはり、受け切れない。貫くような痛みと吐き気が、腹綿の中を掻き乱す。衝撃をもろに受けて吹き飛び、私は大地に転がった。


「こんなものですか? 皇国最強の神子とやらは」


「く……」


「そんなはずはありませんよね。私の知る蒼天は、もっと優れた力を持っている。この前戦った時よりはマシになってはいますが、完全にはまだまだ程遠い」


 にこやかな笑みを浮かべたまま、明王丸はゆっくりと歩み寄ってくる。


「それとも……貴方、まだ手の内を隠しているのでしょうか。でも、それでは私にすら勝てませんよ?」


「……ほざけ」


「しらを切るつもりですか。なら、力ずくでも引き出すまで」


 再び構える明王丸。私は刀を支柱に立ち上がった。身体中が痛むが、そこまで大きな傷はない。まだ戦える。


「さあ、全力を見せてください!」


 爽やかな笑みを浮かべ、明王丸は大地を蹴った。直後、散る火花。気を抜けば持っていかれそうな緊張感は緩まない。


「まだまだ、これからです」


「……っ!」


 連撃に次ぐ連撃。明王丸の攻撃は留まる気配がない。このままではやられる。何か突破口は無いか――私は思考を巡らせた。


「……」


 明王丸の神気量自体は、見る限りそれほど多くはない。その証拠に、今の一撃の威力も術式の割には控えめだった。


 だが、術式の運用効率がずば抜けている。まだ、彼の底は見えない。恐らく、あと最低十回は術式を行使することが出来るだろう。

 いくら威力が控えめといえども、並の人なら十分殺せる術式。何度も食らえば、先に私の限界が来る。


 となると、神気切れ狙いの持久戦は望みが薄いか。ならば、やはりこちらから打って出るしかない。


「契神「素戔嗚命スサノオノミコト」神器『天羽々斬あめのはばきり』!」


 隙がないなら作ってやる。

 力技で、明王丸の動きを崩しにかかった。


 だが、


「霊術『天津禊あまつみそぎ』」


 明王丸の詠唱。直後、素戔嗚の神威は消失する。これは出雲でも見た術式だ。素戔嗚の力のみを弾く結界――その他一切の術式に効果を持たないという縛りで、蒼天の力にすら対抗している。発動も速い。これを崩すのは骨が折れる。


「チッ」


 厄介だ。何か工夫がいるな。

 

 策が無いこともない。だが、出来れば温存したい策だ。しかし、悩んでいる暇も無い。このままではジリ貧だ。


「くっ……」


 状況が迫る二者択一。

 だが、それより先に明王丸は動く。


「契神「品陀和気命ホンダワケノミコト」御業『胎帝三韓征伐たいていさんかんせいばつ』」


 彼の放った霊符が、光の玉となって分裂、飛翔する。一発一発が人間を肉塊に変える威力を持った術式が、情け容赦なく降り注いできた。


「……っ!」


 広い。それに、数も多い。

 受け切るのは難しいだろう。


 では、どうする。


 防御術式はまだ使えない。あれは並の神話体系から外れた術式理論に基づいている。

 今私に使えるのは、幼少の折に見聞きした朝廷神話。そして、国弘邸で学んだ出雲神話に属する術式のみだ。


「やむを得まい」


 なら、その範囲で対抗してやる。

 出し惜しみは無しだ。


「契神、大綿津見命オオワダツミノミコト――」


「!?」


 気脈の収束、空間の鳴動。最適化された契神回路が生む、僅かばかりの高揚感。十四年の人生で初めて行う、一日四度目の術式発動。そして、新たな神の御業。


「神域『海神宮わだつみのみや』」


 吹き荒れる神の暴風は、凪いだ水の気脈にかき消される。大海を統べる大綿津見の宮殿を擬似的に再現する術式――その効果は、水属性以外の術式の強制解除。


「まさか……」


 術式を相殺された明王丸は、私の領域内で一瞬動きを止める。


「何故、蒼天が素戔嗚以外の術式を……!」


「さあな」


 一瞬。だが、致命的な一瞬。

 明王丸に、初めて隙らしい隙が生じた。


 私は脚に神気を込め、大地を蹴る。刹那、詰まる距離。私は再び詠唱する。


「契神「素戔嗚命スサノオノミコト」神器『天羽々斬あめのはばきり』」


「!!」


 蛇龍を滅した英雄神の宝剣の力が宿る。標的は目の前。回避も防御もさせはしない。


「終わりだ」


「ふふ、やはり蒼天は強いじゃないですか」


 空間の歪曲と轟音。明王丸は空虚な笑みを浮かべ、諦めたように手を広げる。そして、眩い光に消えた。


 ▼△▼


 一人目の刺客は倒した。警護の兵たちも、しばらく帰ってこないだろう。八部衆はここに来るまでに粗方消した。私を阻む障壁はもう殆どない。上皇の御所はすぐそこだ。


 あと少し。あとほんの少しで、五年に渡る悲願が――


 そう、思った時だった。


「!?」


 突然、私の身体が宙に浮く。いや、巻き込まれたのだ。予期せぬ閃光と轟音に、私の五感はほんの一瞬麻痺する。


 砂煙の中で私は思案した。

 これは、私が使った術式と同質のもの。

 恐らく、天叢雲剣の霊威……!


「明王丸を倒すとは、やはり腐っても蒼天……出来損ないにしてはやるではないか」


 突如、砂煙の中から響いた声。


「兄上の勘も当たるものよのう。まさか本当に生きているとは。少し驚いたぞ」


 その声を、私は知っている。あの日、あの夜、私の屋敷を襲い、家人を殺め、母を討ち取った張本人。思い出したくもないその声が、その記憶を鮮明に呼び覚ます。


「……何故、貴様がここにいる」


「兄を貴様呼ばわりとは随分と偉くなったな。死に損ないめ」


 そこに立っていたのは第五皇子、皇太子清棟きよむね親王。私が憎み続け、恨み続けてきた宿敵だった。

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