第17話:夢うつつ

 私は、焼け野原に立っていた。


 砕けた玻璃はりが散らばる大地には石造りの巨大な建物が倒れかかっており、鋼で出来た箱が燃えているこの風景は、到底この世のものとは思えない。それはさながら、地獄のような景色であった。


 見知らぬ町、見知らぬ空、見知らぬ空気。


 だが、これだけは分かる。

 今見える景色、それは、全てが終わった後なのだ。


 理由も分からず、私は大地に膝をつく。

 そして、訳の分からぬ後悔、自責の念に苛まれた。


 だが、何も覚えていない。


 何故こうなったか、誰がこうしたか、そして、何を失ったか――その全てが、今の私には全く分からない。


 それでも、私が確かに何かを為そうとして、結局何も成し得なかったということだけは確かに分かる。ただ、止め処なく流れる涙を拭うことも出来ないまま、情けない嗚咽おえつが喉の奥から溢れ続けていた。


 そんな私の肩を、一人の少年が叩く。


『お前はよくやったさ』


 彼は、震える声でそう告げると、深い深い息を吐いて、天を仰いだ。


『こうなったのは、お前のせいじゃない。全て、俺のせいだ。俺が幾つも選択を間違えたから、こんな結末になっちまった』


 誰だ、この少年は。黒い髪に、黒い瞳。見たこともない衣に身を包んだ、私より少し年長とみえる少年。

 私は、こんな人物を知らない。


『後は俺の仕事だ。☓☓が命懸けで作った最後の可能性……それを活かせるのは俺だけなんだ。まったく、アイツとんでもない置き土産残して逝きやがったな』


 少年は悔しげに唇を噛み、私に向かって親しげな苦笑を浮かべる。

 私には全てが分からない。私と彼との関係も、恐らくは彼の想い人であった☓☓の顔も、何一つ思い出せない。ただ、得体の知れぬ喪失感だけが心を支配している。


 そうか。これは記憶だ。

 それも、私ではない誰かの。


 一体誰の?

 それは分からない。


『さて、最期にいっちょ派手にやってやろうか! **を道連れに地獄行脚あんぎゃといこう!』


 少年は、わざとらしく笑みを浮かべ、拳を握った。


 ああ、あの目は知っている。死ぬ者の目だ。戦場で嫌と言うほど見た、死を覚悟した者の目だ。


 私は彼に手を伸ばす。

 しかし、少年は私の手をとらなかった。


 間違いなく、彼と会うのはこれで最後になるだろう。お互いに全てを失い、勝とうが負けようがどうでも良いような状況でなお、少年は世界の存続を願い、その命を賭した。


 ああ、そうだ。

 彼はそういう男なのだ。


 私に流れる、知らない記憶がそう告げる。

 彼は、◯◯は、最後まで僅かな希望を諦めない男だった。皆が幸福になれるよう、身を削って最善を求める男だった。私の嫌いな理想論――その権化のような男だった。


 動かない身体。神気切れのような目眩と頭痛。輪郭すら曖昧になっていく視界の先で、少年の背中は遠くなっていく。

 

 ああ、これでお別れなのだ。


 絶望、悲嘆、そして、後悔。

 意識を手放す瞬間、最後に思い出したのは、何故か小娘の顔だった。


「すまない、△△。私は、何も……」

 

▼△▼


「っ!!」


 バッと飛び起きる。

 知らない天井。知らない床。

 どうやら私は寝ていたらしい。


「夢……?」


 だが、それにしては妙に現実味があった。

 やはり、あれは記憶なのだろうか。

 だが、あんなものに見覚えはない。


「六尊さま?」


「!」


 ふいに私を呼ぶ声がする。

 バッ、と振り向くと、そこにいたのは――


「……なんだ、小娘か」


「なんだってなんですか! それに私は伊奈です! いいかげん名前で呼んでください!」


 そう不満そうに告げる少女は、傷もなく元気そうである。私は妙な安堵を覚えて、深く息を吐いた。


 頭が痛い。体も怠い。一言でいうと動きたくない。


「……ここはどこだ」


「それは」


「ここは私の屋敷」


「!?」


「厳密には、『裏』の屋敷……その一つです」


 突然後ろから飛んできた声。

 ソイツは、つい先ほどまで私と戦っていた男――高階師忠である。


 何がどうなっている。

 今、一体どういう状況だ?


「そうですね……あの一閃は、確かに私の術式を破ったんですが、直後に貴方は神気切れで倒れましてね。止むを得ずこうして介抱しているといった感じです」


「……っ」


 この男は、時折私の心を読んだような言動をとる。気味が悪い。


「そう嫌な顔をなさらないで下さいよ。それより、随分とうなされていましたが、悪い夢でも見ましたか?」


「今まさに悪夢の真っ只中だが?」


「これは失礼」


 ふふ、と笑みを溢す師忠。やはりコイツの考えていることはよく分からない。


「まあ、冗談はさておき。夢というのも存外馬鹿に出来ないものでしてねぇ。時には大事な示唆を与えてくれたりするのですよ」


「何?」


「ただの夢が、未来の道を示すこともある。神の声を聞くのも、大抵夢の中です。それに、前世の所業を夢で見ることもある。いずれにせよ、起きていては見えないものが見えたりするものなのですよ。貴方が見た夢も、そういった類かも知れませんね」


「……訳が分からん」


 私の答えに、師忠は再び微笑む。


「まあ、戯言はこの辺りで。それより、私に話があるんですよね?」


「!!」


「貴方は私の術を破りました。その功を称えて、気が済むまでお話を聞いて差し上げましょう」


 コイツの方から切り出してきたか。

 好都合。話が早くて助かる。


「では、まどろっこしいことは無しだ。どうせこちらの事情は掴んでいるのだろう?」


「ええ」


「なら、単刀直入に問おう」


 私は一つ息を吸い、真っ直ぐに師忠を見据えて言う。


「上皇を共に討たぬか」

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