第五話 こっくりさん

 休憩時間は終わったようで、ピアノがまた曲を奏で始める。宙子は踊りの輪の中に戻ろうとしたが、郁子に腕をとられた。


「ねえ、お友達のしるしに、おもしろいことをしませんこと?」


 宙子より身長の低い郁子は、底意地の悪そうな上目遣いで見上げた。隣の早紀子を見ても、同じような目をしていた。


「でも、今日はダンスをしに来ましたので……」


 宙子が体よく断ろうとしても、郁子は腕を離さない。


「練習会は来週もありますわ。それに、宙子さまは練習がいらないくらいお上手ですよ」


 宙子は郁子に聞こえないようにため息をつくと、口の両端を無理やり上げにこりと笑う。


「おもしろいことって、何ですか?」


 宙子の言葉に、郁子の目が獲物を捕らえたようにいやらしく細められた。


「まだ内緒です。あちらの部屋に行きましょう」


 郁子は宙子と早紀子を従え、舞踏室から出ると、左へ折れ小さな部屋の前で足を止めた。


 扉を開けるとそこは控室のようで、赤い絨毯が敷かれた上に椅子が三脚と小さな洋卓がある。その上に宙子が見たこともない、装置としかいいようのない奇妙なものがおかれていた。


 三本の竹の棒が組み合わされその上におひつの蓋が被せられている。


「よかった。誰もしてないわね。さっきまで、ここに人がいたから」


 郁子は、洋卓に近づいていく。


「なんです? この風変わりなものは」


 宙子が訊ねると、郁子は忍び笑いをもらし教えてくれた。


「これはね、こっくりさんというものですよ。最近巷で流行っているの。ご存じない?」


 宙子は名前を教えられても、その正体がわからない。宙子の困惑した顔を、どこか馬鹿にするように郁子は話し出した。


「これを三人で囲んで、片手を蓋の上に乗せるのです。そしていろんな質問をすると、神さまがお答えくださるの。とっても当たるのですって」


 自信満々に答える郁子に、宙子は半笑いで相槌を打つ。


 神さまがそうそう気軽に、巫女でもない人の元に降りてくるのかしら。神さまを語る変なものじゃないでしょうね。


 宙子は郁子の言葉は疑っていたが真っ向から否定もせず、この遊びに付き合うことにした。


「まあ、怖いわね。でも、少しおもしろそう」


 宙子が乗ってきたので、郁子は得意満面な顔で早紀子と宙子を椅子に座らせた。宙子の右隣に座った早紀子は、一言も言葉を発さず青い顔をしている。


 なぜわざわざわたしを誘ったのかしら。あの場には、手持無沙汰にしていた女性はたくさんいたのに。


「では、みなさん。右手を蓋の上にそっとおいてください。けっして力を入れてはいけませんよ」


 郁子は生徒に教える教師のような口ぶりで、こっくりさんの説明を始めた。


 郁子の説明によれば、こっくりさんに質問を投げかけそれが『はい』の場合、蓋が傾いたり回ったりするそうだ。半信半疑で、宙子は右手を蓋の上においた。


「さっそく、わたくしから質問いたしますわね」


 郁子は、こほんと咳をひとつしてから質問を発した。


「この三人の中で、男の人に浮気される人はいますか?」


 ……これって、わたしに向けられた質問よね。


 三人の中で夫を持つものは、宙子だけ。郁子と早紀子に婚約者もいなさそうだ。宙子はあきれ返り、天井をちらりと仰ぎ見た。


 すると、手を乗せている蓋がゆっくりと動き始める。


「嫌だわ! 誰が浮気されるのかしら」


 郁子の芝居がかった声に、宙子は大きくため息をつく。蓋を動かしているのは、あきらかに郁子だったのだ。郁子の手を見ると、指がかすかに動いていた。


 なるほど、わたしに対する嫌がらせのために、こっくりさんに誘ったのね。


 馬鹿馬鹿しくも、手の込んだ意地悪に何とも言えない嫌な気分になる。まだわかりやすく陰口を言われる方がましだ。


 適当に合わせて、終わらせてしまおう。舞踏室からは、軽快なピアノの音色が聞こえてくる。さっさと嫌なことは終わらせて、ダンスを踊り気分を切り替えたいと宙子は思った。


「今度は、早紀子さんの番よ」


 郁子はおどおどとしている早紀子に、順番をふった。


「えっと、じゃあ、意中の男性がいる人はいますか?」


 早紀子の質問に、蓋はぴくりとも動かない。宙子はこんな見え透いた遊びがどうして流行るのか、不思議に思う。


 良心的な人が蓋に手をおけば、動くはずないではないか。宙子の番が回ってきて、どうでもいい質問をこっくりさんに、投げかけた。


「次回の練習会は、来週にありますか?」


 練習会が来週あるのは、すでに決まっていた。これで動かないのなら、この神さまはたいしたことはない。


 宙子がそう思っていたら、蓋がかたかたと音を鳴らしながらゆっくり回り始めた。また郁子が動かしているのだろうと、左隣の手を見てもまったく力が入っていない。では、右かと思い見てみてもやはり動かしていない。


 これってどういうこと? やはり、わたしたち以外に蓋を動かす存在がいるってことなの。


 宙子が信じられない心持ちで蓋を見ていると、急に回転はとまった。とまったとたん、低くかすれた聞きづらい声が耳元で聞こえた。


「殺したいほど、憎い相手がいた」


 なんとも物騒な質問に宙子の心の臓が胸のうちで跳ねると、蓋は先ほどの回転とは比べようもない速さで回り始めた。


 三人の手の下で蓋が勝手に回転しているのだ。宙子の手はほとんど蓋の上に浮いていた。あまりの異様な光景に、とうとう早紀子が悲鳴を上げ蓋から手をひっこめた。


 それにつられ残る二人も手を離したのだが、蓋はまだ回転している。郁子と早紀子の顔はわなわなと震え、泣き出さんばかりにおびえ切っている。


「もう、神さまったら、手加減してくださらないと。困りますわね」


 宙子はわざと明るい声を出し、回転する蓋をがっと両手で鷲掴みにする。宙子の手の中で、ようやく蓋は動きをとめた。


「ああ、とまってよかったですわ。最期に質問された方は誰ですか? あんなこと言われては、余計怖くなるじゃないですか」


 どんなに宙子のことをよく思っていなくても、最後の質問はやりすぎだ。


 押し黙った郁子が瞼をぴくぴくさせながら、宙子を見る。


「宙子さまがおっしゃったのでは、ないのですか?」


「いえ、わたしじゃないですよ。じゃあ、早紀子さまかしら」


 もう残る人物は早紀子しかいない。しかし、早紀子はブルブルと犬のように首を振った。


 この部屋には三人しかいない。二人のうちどちらかが、嘘をついているとしか考えられない。でも、恐怖に震える二人を見ると、演技をしているようにも見えなかった。


「じゃあ、いったい誰?」


 宙子の押し殺した声に、誰も答えてはくれなかった。


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