第四話 ジンジャークッキー
「バター、お砂糖、玉子、生姜、小麦粉、シナモン。材料はこれでよろしいですか?」
宙子は柿色の紬の着物にたすき掛けの姿で、台所の作業台に並べた品物を見下ろしている。隣に立つ忠臣は、着流しの袂を抑え生姜をつまむと匂いをかいだ。
「はい、これでジンジャークッキーができますよ。ジンジャークッキーはクリスマスの定番の菓子です」
「クリスマス?」
宙子は知らない言葉を繰り返す。
「キリスト教の教祖の誕生を、お祝いする日なのですよ」
「ああ、花祭りのようなものですか」
お釈迦様の誕生日は四月八日である。気候のよい花が盛りに咲く季節だが、キリスト教の教祖は随分寒い季節にお生まれになったものだ。
宙子は鹿鳴館でバザーのことを聞いた夜に、早速忠臣に相談すると、あっさり了承をもらえた。そして、クッキーをつくってはどうかと提案されたのだった。
クッキーもいろいろ種類があるらしく、冬ならばジンジャークッキーがいいと言われた。そうは言われても、作り方がわからないので、アリスに教えてもらおうと思ったら、忠臣が教えると言い出したのだ。
とんでもないと宙子が断ると、イギリスで作ったことがあると言う。武家の当主が料理をするなんてもってのほかだが、お菓子をつくるとは……。
宙子も驚いたが、控えていたマキはさらに驚きを隠さず、忠臣にそんなことはさせられないと訴えた。しかし忠臣も譲らず、けっきょくはマキと小梅がいないところでということに落ち着いた。
忠臣の休日に午後の時間、小梅とマキは洋館をわざと留守にする間クッキーをつくることとなった。そういう回りくどいことをして、ようやく忠臣にジンジャークッキーの作り方を教えてもらうことになったわけだ。
忠臣の教える通り、宙子はバターを練り砂糖や卵黄、おろした生姜を加えていく。そこに小麦粉とシナモンを砕いたものを混ぜる。
バターは出入りの牛乳屋に頼んだが、シナモンはなかなか手に入らずけっきょくはアリスに分けてもらった。
「こんな感じで、いいのですか?」
クッキーなるものを作ったことも食べたこともない宙子は、不安でいちいち忠臣に確かめてから作業を進める。忠臣は手を出さず、教えてもらうだけにしてもらった。とてもじゃないが、いっしょに作るということはできない。
「はい、いいですよ。でも、なんだか懐かしいな。イギリスにいた頃は、よくベスとクッキーを作っていたのですよ」
粉を木べらで混ぜていた宙子は、ベスという名前に引っかかる。ベスとは女性の名前のはず。
「あの、ベスとはどなたですか?」
宙子は手を動かしつつ、あくまでも平静を装って訊いた。
「スミス夫妻の娘です。私は彼女と仲がよくて、一緒に遊んだりピクニックに行ったり……」
楽しそうに話す忠臣に、宙子が相槌を打てず無言で聞いていると、手が止まっていることに忠臣は気がついた。
「どうしました。何か怒っています?」
その声が、気のせいか弾んでいる。宙子は握っていた木べらをおき、手で粉をまとめ始めた。まとめる手に力が入りすぎたのか、ベタベタとへばりつく。
「そのように、仲がよろしい女性がいらっしゃったのですね。知りませんでした。さぞ、日本に帰ってこられる時は、お別れがつらかったことでしょう」
宙子の口から嫌味がつらつらと吐き出されると、後ろに立っていた忠臣は、おもむろに背後から腕を回し不機嫌な宙子を抱きしめた。
「あっ、お着物に粉がつきます。やめてください」
忠臣の着物の
「やきもちですか? うれしいですね」
耳元でささやかれ、振り払いたくても宙子の手は汚れていた。振り払えないとわかって、わざといたずらをしているのがわかり、ますます宙子は意固地になっていく。
「違います、邪魔をしないでください」
腕を束縛された状態で、無理やりボールの中の粉をまとめるがうまくいかない。
「手にくっつく時は、粉を少しだけ足したらいい」
忠臣は腕をほどき、ボールの中に粉を足した。
「あ、ありがとうございます」
不貞腐れて礼を言うと、今度は背後から顎をつままれキスをされた。こんなことをしていたら、いっこうにクッキーは出来上がらない。
「ベスは、子供ですよ。私が帰国する時、十歳でした」
耳元でクスクス笑いながら言われては、もう抵抗する気はうせ、背後の忠臣によりかかる。甘い空気に抗わずに、身をゆだねた。
「まとまりましたけど、次はどうしたらいいのですか?」
「濡れた手ぬぐいをかぶせて、一時間おきます」
忠臣は後ろから力の入らない宙子をかかえ流しに移動すると、そのまま背後から柄杓で宙子の手に水をかけ綺麗に手を洗ってやる。宙子はなすがままだ。
「では一時間、居間で待っていましょうか」
そう言うと、忠臣は宙子を抱きかかえ居間へ向かった。
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