第七話 呪い

 翌朝、宙子が奥へ挨拶に伺うと由良のお付きであるお玉の姿が見えなかった。


「お玉は、少々お熱が出たみたいで部屋で寝ております」


 由良が心配そうな顔して、宙子に教えてくれた。


「まあそうですか。お大事にとお伝えください」


「まあ、ありがとう。お玉も喜びますわ。忠臣さまはどうですか? なんでも最近お忙しいようで、体調を崩しておられませんこと?」


 由良はおっとりと、義理の息子の忠臣の心配をしてくれる。


「ありがとうございます。毎日帰宅が遅くて、今日も遅いそうです。でも、元気にしております」


「そうよかった。朝晩冷え込んでまいりましたからね。宙子さんも気をつけて」


 冷え込むと聞いて、ふと昨日のスープを思い出した。


「よろしかったら、お玉さんにスープをお持ちしましょうか。牛肉の出汁ですので、滋養にもいいと思うのです」


 宙子はお玉を思って言ったのだが、お須江はそれよりも昨日のことが気になるようだった。


「お玉は肉が好かぬので、お気持ちだけ頂いておきます。それより、どうでした? 鹿鳴館の練習会は」


「西洋風の立派な建物なのでしょう」


 由良もうつくしい目を輝かせて聞いてきた。


「はい、それはもう優美で豪華な建物でした。中の内装も凝っていまして、天井からは大きなシャンデリアが下がっていて……」


 ここで、お須江に話の腰を折られた。


「待ってください。シャンデリアとはなんですか?」


「小さなランプがいくつもついた、ガラスの大きな照明と思ってください。きっと夜に灯されると、真昼のように明るいことでしょうね」


 宙子の説明に、二人はいっせいにため息をついた。


「まあ、本当に夢のようなところですのね」


 由良のうっとりした顔を見て、宙子は不憫に思う。夫を亡くした女性は未亡人と言い、昔なら出家する身で、すでにこの世を生きる人ではないのだ。


 由良は忠臣の父である先代当主を亡くしてから、余生を生きていることになる。公式な場には出ることもなく、奥で息子の正臣の成長を楽しみにひっそりと生きていく人だった。


 宙子の話す外の話が、由良の慰めになればいくらでも話してあげたい。嫁としてというよりも、同じ女に生まれた身として切実にそう思ったのだった。


「ほかには、なにか面白いお話はありまして?」


 鹿鳴館や舞踏練習会の話を聞き終えて、由良は宙子にもっと話をせがんだ。


 こっくりさんの話をしようかしら……。でも、あまり面白いとも言えないし。

 宙子が躊躇していると、お須江が面白い話があると言う。


「お勝手で聞いたのですけど、なんでも最近はこっくりさんという遊びが流行っているのですって」


 こっくりさんという言葉を聞き、宙子の肩がぴくりと上がる。お勝手という場所は、使用人はもちろん野菜売りや商家の奉公人なども、多く出入りするのでいろんな話が飛び交うのだろう。


「なあに、こっくりさんって。聞いたことがないわ」


 由良が興味を示した。


「すこし怖い話なんですが、なんでも、狐や狸なんかの獣の霊を降ろして占いのようなことをするそうですよ」


 獣の霊? 神さまではなかったの。


 郁子から聞いた話と違っている。神と狐狸こりの類では、あの遊びの意味がまったく違ってくる。


「恐ろしいことに、占いの途中で手を離してしまったら、呼び出した霊に呪われるとか」


「あら、怖いわ。そんなものが、流行っているなんて」


「みんな、怖いものみたさでやっているのでしょうね。でも、実際に、こっくりさんをした後に、泡を吹いて死んでしまった人もいるそうですよ」


「まあ、宙子さんどうしたの? お顔が真っ青よ。大丈夫? あなたもお熱が出たんじゃありませんこと」


 由良に言われて、はっと宙子は我に返る。額には玉のような汗をかき、こめかみに垂れていた。


「ごめんなさい。なんだか、体が火照ってきましたわ。今日はこの辺で失礼いたします」


 宙子の体は本当に発熱したかのように、ぶるぶると震え始めた。


 呪われるとか、嘘よね。わたしたち、終わってもちゃんと無事だったし。たしかに、手を離してしまったけれど……。


 呪われるなんて、ただの噂に過ぎない。そう思うけれど、あのどこからともなく聞こえてきた不気味な声や、人ならざる者の意志によって回転していたような蓋の動き。それらを思い出すと、一笑に付すことはできなかった。


「若奥さま、どうされました? 本当にご気分がすぐれないのではないですか」


 宙子の様子がおかしいことに気づき、マキがすかさず声をかける。


「いえ、大丈夫よ。でも今日は大人しくしておきます」


「そうなさいませ。昨日は、お出かけされてお疲れなのですよ」


 マキにねぎらわれ、多少の罪悪感をかかえ杉の板戸から出て行こうとすると、誰かの視線を背後に感じた。


 また、信がそこに立っているのではないかと振り向いても、薄暗い廊下には誰の影も存在しなかった。


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