第十三話 叔母の信

 刀を手にして宙子と忠臣は、奥の杉の板戸の前まできていた。


「小黒、この刀で化け猫を退治できるのだな」


 忠臣が鞘に収まった刀を前に掲げ、小黒に問う。


「ああ、懐かしい。間違いなく晴信の刀だ。これを使っておまえら二人が力を合せればあいつを切れる」


「小黒、どうしても宙子さんを連れて行かないといけないのか? 危険な目に合わせたくないのだが」


 忠臣は宙子を見遣り、眉をひそめる。


「本当は宙子ひとりで、できるんだよ。実際に使い魔を払ったんだからな。でもこの刀は重いから、介添えのおまえがいるってわけ」


 忠臣は納得しかねる風で首をひねっているが、小黒が言うのだから間違いないだろう。宙子は、忠臣が止めてもついていくつもりだ。


「わたし使い魔を払う時、心の中で青山のすべての血脈に願い奉る、とご先祖さまにお願いしたのです。それがよかったのですかね」


「まあそれもあるが、青山の血だけじゃないな」


 小黒のもったいぶった言い方が気になったが、とにかく今は奥に踏み込むしかない。従者もつけず、奥へ行く先ぶれも出していない不意打ちの訪問に奥は静まり返っていた。


「なんだか、妙に静かだな」


 一歩奥に入ると、忠臣が異変を口にする。そろそろ学校から正臣が下校してくる時刻だった。


「まだ正臣さんは帰っておられないようですね。それに今は、義母上さまがいらっしゃらないので、静かなのではないでしょうか」


「えっ、義母上がいない? どこに行っているのですか」


「大磯の別荘にひと月前から。申し訳ございません。病を得てのことなので、忠臣さんには内緒にしてくれと言われまして」


「そうですか……。義母上は奥にいなかったのか」


 忠臣は頭の中でその事実を反芻しているようだった。奥へ進み由良の居間が近づいてくると、小黒が宙子の腕の中から飛び降りた。


「やばい気配はないけど。妙にくさいぞ、ここ」


 あたりに人の気配がまったくない。庭のもみじはすっかり葉を落とし、静けさと相まっていっそう物悲しい雰囲気に奥は包まれている。


「叔母上のところに行ってみましょう。それと、女中頭に話も聞きたい。あの稔侍仏はいったいどこから出てきたのか、確認していなかった」


 姉の弥生の死後行方知れずになっていた稔侍仏は、この奥から見つかったそうだ。しかし忠臣は、田辺から出どころを聞いていなかった。


 由良の居間を通り過ぎようとしたその時、角を曲がって叔母の信が姿を現した。小黒はさっと、宙子の後ろに姿を隠す。


 宙子は今日も地味な色目の縞の着物を着た信を見て、体を固くした。信に『はよう出て行け』と言われたことを思い出したのだ。


「叔母上ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしたか。少々お痩せになったように見えますが」


 忠臣が声をかけても、信は黙ったままやつれた顔を庭に向けていた。


「何やら人が少ないように、見受けられるのですが。正臣もまだ帰宅していないようですし」


 忠臣がしゃべらぬ叔母に、根気よく話しかける。


「そなたたち、この奥に何をしに来た」


 信は重い口をようやく開いたが、本当のことは言えない。


「ながらく行方のわからなかった稔侍仏が、先日見つかったのですがいったいどこから出てきたのか知りたいのです。あれは姉上が大事にされていたものですから」


 忠臣はあくまでも穏やかに話しているが、その手に握られている刀は物騒極まりない。信も刀が気になるのか、ガタガタと震え出した。


「あれは……、あれは……。わたくしが持っていたのだ。もうあれが出て行ったから大丈夫だと、女中頭にわたくしが持っていたことを伏せよと命じて渡したら……」


 信はふらふらと忠臣へ歩み寄り、その洋装の襟元を握りしめて懇願する。


「稔侍仏を持っているのなら、返してくれ。あれが、帰ってきたのだ。今度こそ、わたくしの番だ。返してくれ!」


 宙子は懐に入れていた稔侍仏を取り出し、信に握らせた。すると信はすがるように稔侍仏を胸に抱き、ハラハラと涙を流し始める。


「おい、この叔母。何か知ってるぞ。問いただせ!」


 宙子の後ろから、小黒の声が飛ぶ。


「叔母上、落ち着いてください。あれとは、何ですか。化け猫のことですか」


 化け猫と耳にした途端、信の涙はピタリと止まった。


「そなた、どこまで知っている。ここに化け猫がいると、存じておるのか」


「やはり、ここに化け猫が潜んでいたのですね。叔母上は何をご存じなのですか。教えてください。私たちは、化け猫を退治しに参ったのです」


「退治? あれは、退治できるのか。あの化け物を」


「退治できます。今こそ嵯峨野家を呪い続けてきた化け猫を討ち果たす時です」


 忠臣の決然とした台詞を聞き、信はその場に崩れ落ちた。宙子があわてて駆け寄る。


「叔母さま、あの時わたしに、早く出て行けとおっしゃったのは、この奥が危険だとおっしゃりたかったのですね」


 宙子は信に罵倒されたと思っていたが、そうではなかったのだ。


「あのもみじの下を掘ってみよ」


 信はいくつもあるもみじの木の中から、幹の太い大きな一本を指し示した。


「なるほど、臭いはたしかに庭からしてくるな」


 小黒もそう言うので、掘るしかない。


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