第十二話 一振りの刀

 そうこうしていると昼時になり、小梅の用意した昼食をとり、二人と一匹は母屋の大殿さまの元を訪れた。


 先ぶれで訪問は知らせていたが、対面した大殿さまはひどく不機嫌そうに脇息によりかかり、そっぽを向いている。


「やっと、宙子が戻ってきたというのに、おまえもついてくるとはどういう了見だ」


 大殿さまは、実の孫である忠臣に最初からケンカ腰である。


「宙子さんと随分仲良くなられたようで、夫の私としてはうれしい限りですね。でも、宙子さんはあなたの世話に嫁いできたわけではありませんので」


 忠臣も顔に笑顔を張り付かせているが、これでは売り言葉に買い言葉である。


「おい、じじいを怒らすなよ。刀貸してもらわないと困るんだけど」


 母屋に猫を連れて行くのは御法度なので、小黒は宙子の着物の袂に隠れている。かなり膨らんで怪しいが、廊下に控えているので大殿さまにはわからないだろう。


「しばらく留守にいたし、ご迷惑をおかけいたしました。母の容態もよくなりましたので、本日帰宅した次第です」


 宙子が深々と頭をさげると、大殿さまは顔中の皺をより深くして破顔する。


「そうか、母御の加減がよくなり重畳」


 大殿さまはそう言うと、隣におかれた火鉢をずいっと前方に滑らせる。


「そんな廊下の寒いところではなく、宙子だけ中に入って火鉢にあたりなさい。滅多に顔を見せにもこん、薄情な孫はそこで震えておれ」


 なるほど、忠臣の忙しさにかまけた不義理が気にくわないようだ。


「そうはおっしゃいますが、私も何かと忙しいのですよ。今日も神戸から帰京したばかりですし。それに、華江と姉上の死去に際し、肉親の情よりも学問を優先せよとおっしゃったのは、どなたでしたかね」


「うるさい! おまえ、あの時のことをまだ根に持っておるのか」


 大殿さまが顔を真っ赤にして怒鳴ると、忠臣は口角をへの字にさげ横を向く。まるで、子供の喧嘩だ。


 ますますこじれそうな二人の応酬に、宙子は助け舟を出す。


「あの突然ですけれども、嵯峨野家には由緒正しい刀を所蔵されていると聞きまして、宙子のわがままなのですが、その刀を見せて頂くことはできませんでしょうか」


 なんとも苦しい言い訳であるが、とにかく晴信公の刀を見せてもらわなければ、話が進まない。


「おお、宙子は刀剣に興味があるか。よしよし、見せてやろう」


 宙子の鶴の一声で、大殿さまの機嫌はなおったのだが。これからどのようにしてその刀を借りるかは考えていなかった。


 しばらく待ってから、女中が大きな桐箱を捧げ持ってきた。


「これは、晴信公の主君であった龍崎高昌公から拝領した一振り。我が家の家宝だ」


 桐箱にかけられた紐をほどき、大殿さまは刀を取り出す。刀身を収める鞘になんの飾りも施されておらず、漆黒の輝きを放っていた。


「おじじさま、この刀は龍崎から拝領したものだったのですか。しかしなぜ、それを家宝になど……」


 忠臣は、その刀が逆臣の証明のように感じたのだろう。晴信は主君高昌を毒殺したのだから。


「さあな、わしにもわからん。しかし、この刀は長い年月変わることなく受け継がれてきた。由緒はどうであれ、家宝を子孫に残してゆくのがわしの務めじゃ。わしの次はそなたが、守り伝えよ」


「承知いたしました」


 忠臣は大殿さまの台詞に、素直にこうべを垂れる。


「しかし、この家には私の代で断ち切りたいものがございます」


 そう口上を述べる忠臣に、大殿さまは息をのむ。


「それは、化け猫のことを言うておるのか」


「そうです。忌まわしい過去の因縁にけりをつけるには、その刀が必要なのです」


 宙子の袂の中で小黒が、「おっ、うまいこと言った!」と合の手を入れる。


「この刀で、華江と弥生の仇が討てるのだな」


「はい、かならず討ち果たす所存でございます」


 冷たい廊下に平伏する忠臣の姿は、一分の迷いもなく辺りを払うほどに美しい。洋装姿であっても、武士の気迫が感じられた。


「わかった。この刀そなたに託す。そのかわり、ことをなしたあかつきには、宙子に酌をさせ一献傾けたい」


 大殿さまの台詞に、忠臣はがばりを頭を上げる。


「宙子さんに、酌などさせられません」


「忠臣さん、わたしはかまいませんから……」


 余計なことを言うな、と言いたいのを我慢して宙子は慌てて止めに入る。


「ばかもん! そなたもいっしょにという意味じゃ」


 意固地な祖父の回りくどい言い回しに、忠臣は破顔して承諾をしたのだった。


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