第十四話 いいつたえ

「話は戦国の世までさかのぼるのです。嵯峨野家はもともと龍崎りゅうざき家という大名に仕える家系でした。それがなぜ大名になれたかというと、龍崎家をのっとったというわけです。当時龍崎家の当主であった高昌たかまさが若くして亡くなった。高昌の嫡男はまだ子供で弟も出家している状況でした。高昌の妹を正室にしていた嵯峨野晴信さがのはるのぶさまが龍崎家の実権を握ったのです」


「その晴信さまが、嵯峨野家の御先祖さまなのですね」


「そうです。鷹藤藩たかとうはん初代藩主、晴信公です」


 ここで古賀は、声を一段落とす。


「実は、高昌は晴信公に毒殺されたのです。飼い主の恨みをはらすべく高昌の愛猫が化け猫となって、晴信を食い殺そうとした。しかし高昌の妹が晴信をかばい食い殺された。化け猫は嵯峨野家の家臣によって成敗されたのですが、末代まで祟ってやると言い残したとか」


「あの、龍崎家はその後どうなったのですか?」


「幼い子供がその後どうなったかわかりません。嵯峨野家は逆臣の家系と言われていますけど、下剋上の乱世ではよくあることだったと思いますよ。それにちゃんと、国元では龍崎高昌をお祀りしている神社もありますし、怨霊になるなんてことはありません。この話が本当なら、とっくに嵯峨野家は潰れていますよ」


 押し黙っている宙子を気づかったのか、古賀はことさら明るい声で言った。


「では大殿さまがおっしゃっていた化け猫というのは、いったい……」


「ああそれは……」


「あの教えてください。大殿さまの言葉が耳にこびりついて離れないのです」


 宙子は、化け猫に恐れおののく若奥さまを演じる。


「あの……。怖がらないでいただきたいのですが、忠臣さまが留学中に姉上さまと妹君が相次いで亡くなられて。そのご遺体に獣の食ったような跡があったのです」


 妹ばかりか姉も亡くなったなんて。あの優しい人は自分の留守中とはいえ続けざまに姉妹を亡くして、異国の地でさぞ悲嘆にくれただろう。


 おまけに、普通の亡くなり方ではなかったとは……。


 忠臣は傍から見たら何の憂いも感じさせない完璧な貴公子だが、家の中では祖父と対立し姉妹を亡くした悲しみを抱えている。忠臣も自分と同じように、表と裏の顔を使い分けているのかもしれない。


 宙子が忠臣の内なる感情を想像していると、古賀は話を続けた。


「たぶん、野犬が屋敷に忍び込んで食ったに違いないのです。それなのに一部のものたちは、化け猫の仕業じゃないかと、口さがなく騒いでいるだけですので。大殿さまもそれをご存じで、宙子さまを脅かそうとお思いになったのでは」


「野犬ですか……」


「そうですよ、野犬に決まってるじゃないですか。この西洋化が進む時代に、あやかしの類が出るわけないですよ」


 古賀はからりと笑って見せたが、宙子はつられて笑う気分になれなかった。出るわけがないと言われても、宙子の前に化け猫が実際に現れたのだ。


 あの時小黒は、宙子を食わずに抱きにきたと言った。小黒の妖艶な姿はまさに化け猫のようだったが、人を食うほどの邪悪さは感じなかったのだが。


 宙子の感じたことはまやかしで、小黒は本当に人を食うのだろうか……。

 古賀が帰ってゆくと、宙子は支度部屋の床に座り込み板の目をじっと見ていた。




 その夜、宙子は忠臣がいつ帰ってきたのかわからなかった。小梅やマキには長屋に帰るように促し、宙子は寝室で待っていたのだがとうとう寝入ってしまった。


 翌朝起きて支度を終えて階下へ降りると、食卓の上に『女学雑誌』と書かれた薄い本がおかれていた。なんだろうと思って手を伸ばすと、忠臣が食堂に入ってきた。


「おはようございます。昨晩はお出迎えせずに、申し訳ございません」


 お辞儀をする宙子に、忠臣は屈託のない笑顔を向けた。


「急な会食はよくあることですので」


 忠臣は今日も優雅な所作で宙子の椅子を引いた。


「ありがとう存じます」


 宙子は礼を言い座ると、気になっていた本へ目線が動いた。


「ああ、それは昨日宙子さんにと思い、古賀に頼んで買ってきてもらったのですよ。女性の関心を引くような記事が多く載っているそうです」


 昨日宙子が古賀にもらした『することがない』の台詞が、忠臣の耳に入ったのだろう。ここは、愚痴をもらしたことを謝るべきなのか、忠臣の気遣いに感謝を言うべきか、宙子は迷う。


「以前習っていたお琴のお師匠さんに、こちらへ稽古に来てもらってはどうですか? それとも、別の習い事をしてもいいし」


「あの、そのようなお気遣いは……」


 忠臣の思いに、宙子は素直になれなかった。


「母屋ではあちらの規律がありますが、この家の中では、好きにふるまってください」


 昨日の奥で感じた宙子の窮屈さを、まるで忠臣はわかっているような口ぶりだった。


「若殿さまのお気遣い、うれしく思います」


 ようやく素直に宙子は礼を言ったのだが、忠臣は眉をひそめた。


「その若殿さまも、この家の中ではやめましょう。名前で呼んでください」


 忠臣の申し出に、宙子の視線は思わずマキへ向かっていた。若殿さまと呼ぶように、マキに言われたのだ。マキを見ても、相変わらず能面のように表情が動かない。


「あの、では忠臣さまで」


「いえ、さまも、いりません」


「忠臣さんでは、ダメですか?」


 『さん』づけで呼ぶことが、今の宙子の精一杯だった。忠臣もそのことはわかってくれたようで、にこりと笑う。


「さあ、食べましょうか」


 今日の献立は、和食だった。鯖の煮つけがあめ色に炊かれ、おいしそうである。宙子は身をほぐして口に運ぶと、鯖の香ばしい脂が口に広がり美味しいと感じた。


「鯖は今が旬ですから、美味しいですね」


 ちょうど忠臣も、鯖を口に入れていた。


「はい、よく脂が乗っています」


 二人は、同じものを食べ同じ感想を持ったのだった。鯖を口に入れ、微笑み合う夫婦に朝の柔らかな光がさしていた。


 あれほど慣れないと思ったイギリス式挨拶も、二回目の今日は少し慣れていた。忠臣が玄関に来ようとしたマキを制止したのも大きいかもしれない。


 忠臣のことを何も知らずに結婚したが、こうやって少しずつ近づいて行ったらいいのだ。宙子が新しい世界に慣れるのを、忠臣はちゃんと待ってくれる。宙子はそう思えるようになっていた。



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