第十三話 リボンを返しに

 眠れぬ夜が明け、宙子の瞼ははれ上がっていた。顔を合わせたマキは宙子の顔を見るなり、ぎょっと目をむく。


「どうされたのですか、その首は」


 宙子は化粧台の鏡で見ると、昨晩リボンで絞められた跡が青黒く変色していた。


「どうりで痒いと思ったわ。虫に刺されたみたい」


 宙子の苦しい言い訳にマキは一瞬案じる顔つきをしたが、すぐに違うことを訊く。


「昨晩は、何事もありませんでしたか?」


「大丈夫よ、忠臣さんが突然帰宅されたから。何もなかったわ」


 マキは宙子の台詞を嘘とわかって、信じることにしたようで、黙々と宙子の朝の支度を始めた。首のあざは見苦しいので、絹の襟巻を巻いてごまかしたが、服装とのちぐはぐさは否めない。


 食堂で顔を合わせた忠臣の目も、寝不足で濁っていた。宙子がつけた頬の赤みはきれいに消えているが、昨夜あったことをなかったことにはできない。


「昨日の赤いリボンを渡していただきたいのです。少し考えることがありまして」


 だしぬけに発した宙子の言葉に、忠臣の顔に緊張が走る。


「書斎にありますから、いっしょに来てください」


 二人で二階に上がり書斎の扉を閉めると、忠臣は机の引き出しからリボンを取り出した。


「いったいどうされるのですか?」


「持ち主に返すのです」


「持ち主ということは、生霊の本体ということですよ。そんな危険なことさせられません」


 宙子は忠臣の制止を無視し、目線をさ迷わせた。


「小黒はどこにいますか?」


「私の中で眠っています。昨晩、力を使いすぎたようだ。しばらくは出てこられないでしょうね」


 さ迷わせていた視線は、忠臣の琥珀色の瞳にそそがれる。


「小黒は言いました。生霊の本体もただじゃすまないと。きっと本体は弱っているということですよね」


「あなたに向けた呪いを小黒が結界をつくり、弾き飛ばした。返ってきた呪いは本体を苦しめ、最悪命を落とすこともある」


 宙子は受け取ったリボンを、手のひらで強く握りしめた。


「では、急がないといけません。小黒が言うように、わたしに癒しの力があるのなら、苦しんでいる体を治せるはずです」


「そんな。あなたを呪った相手ですよ。そこまでする必要はない」


「いいえ、わたしにも責任があります」


 忠臣は意味がわからないだろうが、こっくりさんという危険な遊びに宙子が参加したから今回のことが起こった。


 宙子を狙っていた玄生があのこっくりさんを利用したのだろう。巻き込んだのは宙子だ。


 忠臣はすっと右手を伸ばし、うつむく宙子の首に巻かれた襟巻に触れようとした。その手が触れる前に宙子の体はびくりと硬直して、一歩さがり距離を取る。


「この方の、お家を教えていただけますか? 本日伺います」


 宙子は忠臣に、名前が書き留められた紙を差し出した。




 昼食を食べ終わった頃に、家令の田辺が洋館を訊ねてきた。


「若殿さまに、馬車で宙子さまをご案内するように申し付けられました」


「ありがとうございます。もう準備はできています」


 宙子は田辺と共に馬車に乗り込み、赤坂へ向かった。目的の屋敷の馬車回しで車はとまり、田辺が宙子の訪問を告げに玄関へ入って行く。


 嵯峨野家の屋敷より小さな数寄屋造りの邸宅は、暗い影が落ちたように静まり返っていた。田辺はほどなくして、神妙な顔つきで戻ってきた。


「どうもご令嬢の具合が悪く、面会はできないとのこと。どうされます?」


 宙子は田辺が言い終わると同時に、馬車から飛び降り玄関へ駆けだした。田辺が慌てて後ろからついてくる。


「ご無礼いたします。何卒お見舞いをさせていただけないでしょうか。お渡ししたいものがあるのです」


 玄関に入り許しもなくいきなり屋敷に上がろうとする宙子を、使用人が止めにかかる。それを無視して宙子が上がり込むと、奥から女中頭らしい貫禄のある女性が出てきた。


「嵯峨野家の若奥さま。お嬢さまがお会いするそうです」


 女中頭はそう言うと奥へ宙子を案内する。宙子は田辺を玄関で待たせ、令嬢の部屋へ急いだ。


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