第十三話 化け猫
それから洋館に帰り、小梅がつくった昼食を食べた後はすることがなく、居間の長椅子に腰かけ、ぼーっと掃き出し窓から庭を眺めていた。
洋館の庭は御殿の回遊式庭園のように作りこまれてはおらず、雑木が生い茂る里山の雰囲気があった。
日当たりもよく、今はアオダモがちょうど紅葉している。
居間はもちろん西洋式で、暖炉があり二人掛けの長椅子と肘おきのついた椅子が三脚。その椅子に囲まれるように、背の低い洋卓がおかれていた。
壁には西洋画がかかり、飾り棚とどういう用途があるのかわからないつやのある大きな木の箱が窓際におかれていた。
その箱の大きさは飾り棚と同じぐらいで、変わっているのは木の箱の真ん中にさらに細長い箱が横にくっついているのだ。その箱の前に背もたれのない椅子がおいてあるので、座って何かをするのだろうとはわかる。けれど、宙子には何をするものか皆目わからなかった。
庭を眺めてばかりでは時間がたたず、台所に行ってマキに話しかける。
「あの、義母上さまは普段どのようなことをされているのですか?」
この家で宙子が手本とするのは、由良しかいない。
「大奥さまは手習いや、お花を生けたり、和歌を詠まれたりですね」
「それでは、奥方さまとしてのお仕事は?」
「もろもろの雑務や家の差配は、女中頭がしております。その家々によって奥方さまが切り盛りされているお家もございましょうけれど」
華族の奥方さまとは、優雅に過ごすことが仕事なのね……。さて、わたしは何をしよう。
居間にいるのも飽きて、衣裳部屋の整理でもしようと二階に上がった。すると、玄関の扉が叩かれた。
「失礼します。古賀でございます。忠臣さまの荷物を取りに参りました」
マキの足音が玄関に向かい、出迎えている。そのまま古賀は、階段をのぼってきた。宙子は衣裳部屋に入らず、古賀を迎えた。
「これは、宙子さま。ご機嫌よう」
「ご苦労さまでございます」
古賀は頭をさげて宙子ににこりと笑いかける。変わらず屈託のない幼さが漂っていた。
「先ほどマキさんにも言ったのですが、忠臣さまは今晩会食に出席される予定が入りましたので、帰りが遅くなられます。宙子さまには申し訳ないとおっしゃっていました」
宙子は古賀の台詞を聞き、どこかほっとしている自分に気づく。忠臣の前での食事は昨晩の無花果以外、食べた気がしないのだ。朝食の時もそうだったが、本郷で昼食をご馳走になった時も何を食べたか思い出せない。
夫に緊張を感じていてもそこは新妻らしく、少しうつむきしおらしい声を出した。
「そうですか。残念ですけれど、仕方がありませんね」
そんな宙子を気の毒に思ったのか、古賀は書斎に入らず宙子のご機嫌を伺う。
「新しい生活はどうですか? この洋館は設備が整えられていますので、暮らしやすいでしょう。居間の暖炉はセントラルヒーティングというものでして、各部屋へ余熱を送って冬は暖かいそうですよ」
舌を噛みそうな名前が出てきて、古賀が何を言っているのか半分もわからなかったが、宙子はにこりと微笑む。
「ええ、とても満足しております。でも、あまりすることがなくて」
無難に返したつもりが、つい本音が滲んでしまった。
「お子さまでもできれば、きっと目の回る忙しさですよ」
お子さまと言われ、宙子は内心後ろめたさを感じたが、古賀は気がつきもせず書斎に入って行った。
「机の上の書類と……。あった、これだな」
ブツブツと独り言を言う古賀を、宙子は書斎の入り口でじっと見ていた。古賀なら宙子の疑問に、答えてくれるかもしれない。
「あの、ちょっとよろしいかしら」
古賀は突然、宙子に話しかけられても愛想よく了承してくれた。
「つかぬことを伺いますが、この家には化け猫のお話があると聞いたのですが」
「ああ、歌舞伎の話ですか?」
「いえ、そうではなく……その……大殿さまがこの家には人を食う化け猫がいると」
宙子が遠慮気味に話すと。古賀は渋い表情になる。
「まったく、大殿さまもいらぬことをおっしゃる。気にされなくていいですよ」
古賀もマキと同じこと言う。しかし、ここで引きさがるわけにはいかない。マキよりも古賀の方が口の軽いのは確かだ。
「わたしはずいぶん、大殿さまに嫌われているみたいです。若殿さまが勝手に決めた嫁だと言われてしまいました」
古賀の同情を引こうとしたのだが、古賀は宙子に言わなくてもいいことまで口をすべらせた。
「大殿さまが決めていたご令嬢を断って、宙子さまをお連れになったことをまだ怒っておられるのですよ。ほかにも、宮内省ではなく外務省に出仕されたことも気に入らないみたいで。華族は皇室の藩屏だ。皇室をお守りせず外国に目を向けるとは何ごとか! っていつもおっしゃって……」
古賀はここまで言うとあわてて口をつぐみ、気まずい表情でちらりと宙子の顔色を伺った。
「あの、ご令嬢の件は忠臣さまが留学中に大殿さまが勝手にお決めになったことで、婚約はされていませんからね。宙子さまが気に病まれるような関係では、決してありませんので」
宙子は、古賀の話を聞いても別段心は揺れなかった。むしろ、さもあらんと思う。そして、ますます疑念が膨らむ。
大殿さまが決めていた令嬢よりも宙子を選んだ意味がますます気になり、結婚の理由は、化け猫以外ないのではないかとまで思えてきた。
「そのようなこと気にしませんわ。でもやはり化け猫のことが怖くて……」
宙子はすこし落ち込んだ様子で、再度化け猫の話を持ち出す。
古賀は余計なことを言った罪滅ぼしに、「あまり、いい話ではないのですけど」と前置きをして話し出した。
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