第27話 奇跡をつなぐ
シェリエの眼前で、そのとんでもない魔法は展開していた。
翔の背中から生えた黄金色の翼は、飛行機の先端を両手で押さえる翔を支えるかのように、しっかりと羽ばたき、飛行機の速度を眼に見えて奪っていく。
「すごい……」
ただその一言しか出てこない。あれだけの質量を押さえこんでなお、翔は空中に浮かぶ力をも、同時に使っている。
何も問題はない。
後はそのまま、地上へ――
「あっ!」
そこまで考えて、不意にシェリエは叫びを上げた。
問題は、あった。
着陸という、問題が。
翔は機体の落下速度を押さえている。それでも、機体を持ちあげて地上に運べるわけではない。
この角度を保ったまま地上に到達すれば、間違いなく機体は大破する。
それでも、翔には機体の余分な速度を奪ってもらわないことにはどうしようもない。
ならば、自分に出来ることは何か。
シェリエは考え、すぐに答えを出す。
出来るかどうかの不安はある。それでも、やらなくてはならない。
「アミス・ハイ・イルネス、アミス・ハイ・イルネス……」
力ある言葉を選び、シェリエは掌に光を集める。
「意志よ! 伝達せよ!」
光はシェリエの掌から伸び、機体の前方、操縦席のあたりへと帯のように伸びてつながった。
「聞こえるでしょう。機長!」
張りあげられたシェリエの声は、光の帯を伝って機長へとしっかりと届いた。
「君は、何者だ? 一体、何が起こっている?」
返ってきた声は、以外にも冷静なものだった。しっかりとした経験が、パニックを起こすよりも事態の把握を優先しているのだろう。
まさしく、本物のプロ。
(いけそうね……!)
シェリエは小躍りしたい気分になりながら、再び口を開く。
「理屈はいいでしょう! 機関は動かなくても車輪は出せるわね!」
「もちろんだ。だが着陸には最後に機首を浮かせる必要がある。これはエンジンと連動している機能だ」
シェリエの言葉の意味を正確に捉え、力強い言葉が問題点とともに返ってくる。
だが、その問題ならばなんとかできる。
「構わないわ! それはこちらで何とかする! カウント一〇からいくわ!」
「わかった。マギス島着陸予定まであと五分ちょうどだ」
マギス島の名前が出たことに、シェリエは眉をひそめた。思わず問いかける。
「……あなた、魔法使い?」
「違う。だが何度かチャーターに雇われたことがある。地図にない島への機長として」
「……」
「名も知らない魔法使いの少女。君たちは隔離されていると思っているかもしれない。しかし何かを完全に隠すには、世界はもう狭すぎる」
「ははっ……!」
こんな状況で諭すようなことを口にする機長に、シェリエは思わず笑いを洩らした。
「本当、世界は狭いわね! 通信を終える!」
この土壇場で、機長が魔法の存在を知る一般人だなんて――
まったく、世界のなんという狭さか。
「いける! 絶対にもう大丈夫!」
叫びに大きな希望を乗せ、シェリエは一瞬飛行の魔法を解く。そして、ありったけの魔力を伝達の魔法に使い、マギス島管制室に向けて叫んだ。
「こちらはシェリエ=ミュート! 落下する機体を強制着陸させる! 島を隠す幻影の魔法をキャンセルしなさい!」
機内では絶叫が響いていた。
子供たちは泣き、叫び。
それをなだめるべき大人たちも、自らの役割を果たせずにいた。
ただし、そこには親の名を呼ぶ声はない。
この機体は親のいない、施設の子供たちに贈られたチャリティー飛行であり。
そしてそれ故に、ヴァイス=ヒルクライムに眼をつけられた機体だから。
落ちて新聞やネットで記事になることはあっても、心の底から涙を流すものはいない。
それでも――
「助けてー!」
「死にたくない!」
誰もが、生を渇望する。当たり前に続いてきた人生を嘆かず、ただ終わりを拒否する。
小さな子供たちの、祈りを叶えるように、機体の速度が落ちた。
「え?」
誰かが疑問の声を出したが、誰も答えない。口にすることで、今の状態が再び悲劇になってしまうことを恐れるように。
少しの間、奇妙に静かな時間が流れた。
そして、それはまた崩れる。
「島だ!」
誰かが叫んだその言葉に反応して、全員が窓から外を見た。
近づいてくる太平洋の、真っ青な海。
そこにある、大きな岩礁がうっすらと姿を消し――
霧の中から現れるように、一つの島が浮かび上がった。
そこにさらに、機長からの機内放送が流れる。
「機内の皆様にお知らせいたします。当機はこれより、マギス島に緊急着陸いたします。着陸の際、激しく揺れることが予想されますので、座席にしっかりとお座りの上、シートベルトをお締め下さい」
普段ならブーイングで迎えられるその機内放送は――
「やった!」
「助かるんだ!」
この日、爆発するほどの歓声で、迎えられた。
「いい、翔! わたしのカウントに合わせて、ゼロで機首を持ちあげてね!」
「難しいことを……平然と……言うねっ!」
シェリエの一方的な要求に、翔の歯を食いしばった声が返ってくる。
それでも、シェリエは譲らない。
「難しくてもやるの。止めるだけじゃ意味ないでしょ!」
「……それは、そうだね」
打って変って、翔の声は静かだった。
「やるよ。カウント、よろしく」
「任せて! 通信終わり!」
シェリエは弾むような声で答え、魔法を解除すると大きく息を吐いた。
滝のような汗は風に吹かれ火照った身体を冷やしていく。
その心地よさに身を任せたくなるが、そんな時間は、ない。
自らの魔力ももうあまりない。翔ほど無尽蔵ではないことは、わかっていた。
そもそも今からやろうとしていることは、魔法の歴史でも前例がほとんどない。魔力以前に自分の脳がその複雑な展開に意識を保てるか疑問ですらあった。
ないない尽くしで手詰まりだと言いたくなるが、シェリエは瞳を鋭くした。
「やるのよ。絶対に」
飛行機という機械の翼を操る、熟練の機長。
背中に魔法の翼を生やした本物の魔法使い、日高翔。
ともにたくさんの命を救うために、最善を尽くしている。
ならば、シェリエ=ミュートは――
――その二人をつなぐ、懸け橋となろう。
機械と魔法を合わせて、大きな奇跡を起こそう。
「意志よ! 三つを繋いで伝達せよ!」
シェリエの右手から伸びた帯は飛行機に、もう一つは翔に、それぞれつながる。
飛行しながらの二つの魔法。
つまり、三つの魔法の同時展開。
魔法が意志で指向性を持たせ操る以上、この行為は脳に多大な負担を強いる。
汗がとめどなく流れては落ちていく。
それでも、シェリエは叫んだ。まずは機械の翼を操る者に。
「準備はいい?」
「ああ。カウントをそちらに任せる」
それから、魔法の翼の持ち主に。
「行くわよ!」
「いつでも、どうぞっ!」
二人からの返事に満足して、シェリエは一度地上を見た。
見事にマギス島の滑走路が視界に入っていた。
(絶対に、やりとげる!)
そう決意し、高らかに二人に向かって叫ぶ。
「カウントを開始する!」
シェリエ=ミュートは自分の限界を超えて、なおも魔法を使い続ける。
力強く、雄々しく。悲劇をひっくり返す、奇跡を起こす力となるために――
「一〇!」
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