第16話 白と黒と、まだ何色でもない、魔法使い
そうして、試験が迫ってきたある日の夜。
自室で試験勉強をしていたアイナの携帯が、鳴った。
着信ディスプレイは非通知の表示。無視しようかとも思ったが、アイナは携帯をスライドさせて、応答した。
「もしもし」
「アイナ。久しぶりね」
「姉さん?」
電話の相手は、アイナにとって意外な人物だった。五歳年上の姉、ヴァネッサ。彼女とアイナは決して不仲ではないが、ヴァネッサは政府機関に勤めているために多忙であり、こうして電話をしてくることなどほとんどなかった。
「そんなに驚かなくても。元気にしてた?」
「元気よ。ご心配なく」
社会人の癖なのか、まず当たり障りのないことを口にするヴァネッサに、アイナは苦笑を浮かべながら返した。
「それで、愛しの王子様は元気?」
「明らかに過剰表現だけど、まあいいわ。元気よ。相変わらずだけど、ちょっと最近は違うかな」
あからさまにおかしなことを口走る姉をけん制してから、その彼について口にする。
アイナ自身が気づかないくらい、その声はわずかに弾んでいた。
「いい方向へ転がっているのね」
それを敏感に察した姉の言葉で、アイナは自分が浮かれていたことに気づいた。気を引き締めて何か言おうとすると、ヴァネッサの声が変わっていた。姉から、魔女のそれへと。
「それはいいことよ、アイナ。でも、気づかれないようにしなさい」
その声質に合わせて、アイナの声も少し低くなる。すう、と眼が細められ、黒い森の魔女としての表情が僅かに浮かぶ。
「どういうこと、姉さん?」
「現在、二つのプロジェクトが進行しているわ。一つは日高翔を拉致、その魔力を解析するための実験を行う」
それはおぞましい言葉だった。姉が言うのでなければ、電話口でなければ、有無をいわさずに殴りかかっていたくらいには。
「そんなバカなことが許されるはずないでしょう!」
怒鳴り散らすアイナに、しかしヴァネッサは冷静に指摘する。
「日高翔は天涯孤独の身。日本では戸籍上も死亡扱いとなっているわ。何の問題もない」
「……本気で言ってるの? そんな非人道的なことが……」
アイナの顔色は怒りを通り越して、青くなっていた。
ヴァネッサは一旦話題を変えて、アイナの甘さを指摘する。
「アイナ、覚えておきなさい。わたし達魔法使いは人間じゃないの。今は保護されているけれど、保護されているということはつまり、必要ならば実験されるモノだということよ」
絶句するアイナを気遣う様子も見せず、ヴァネッサの声が携帯から漏れ続ける。
「話が逸れたわね。もう一つのプロジェクトはもっと酷いものよ――」
そのまましばらく、アイナは無言で姉の言葉を聞いていた。
この世のものとは思えない、身勝手な話が続く。
ヴァネッサの説明を聞き終えて、アイナは暗く呟いた。
「――本当に、わたし達はまるでモルモットね」
ヴァネッサも硬質な声で同意する。
「そういうこと」
「それで、姉さんはわたしにそれを伝えてどうしろと?」
アイナは、答えのわかっていることを、疑問にした。
「プロジェクトについて、進行しているのは我が国ではない。我が国は、不干渉の立場をとっている」
わざとらしく、事務的な口調で言ってくるヴァネッサに、アイナは小さな笑い声を返した。
「よくわかったわ」
その言葉に満足したのか、ヴァネッサはあえて具体的に言ってくる。
「例えば、親友を思う若い見習い魔法使いがプロジェクトを頓挫させても、不干渉である」
「ありがとう、教えてくれて」
アイナは心から礼を言った。
本当にありがたい。今ならまだ、手は打てる。徹底的に、潰してみせる。
ヴァネッサが、凛として力強い声をかけてくる。
「政治的なことは私がする。アイナは、思う存分やりなさい」
「わかっている。彼の傷を広げることは、何人たりとも許さない」
アイナも頷く。あの国が何を考えていようが、知ったことではなかった。そんな実験から得られる成果など、アイナ達にとってゴミほどの意味もない。
なぜなら自分達は、フォルゲイン家は、人を犠牲にせずに産み出された、魔動機の始祖であり――
「頼んだわよ、我が妹」
「言われるまでもないわよ。わたし達は、黒い森からやってきた」
「そう、お伽噺で語り継がれる」
アイナとヴァネッサが交互に口にするそれは、フォルゲイン家の源流。
決して表には出さないが、一族が誇りを持って唱える文句。
『悪い魔法使いなのだから。権力には屈しない』
二人が唱和した言葉には、圧倒的な意志が込められていた。
シェリエは一人、空き地に立っていた。毎日毎日、飽きることなく。
ただ、眼を閉じ、意識を集中する。
それだけで白い光が少女を包み、黒い装束を、帽子を、長い髪を、より一層引き立てていく。
「エルス・エト・ファビラム、エルス・エト・ファビラム……」
口から漏れるのは、ミュート家に伝わる、特殊な呪文。
その言葉が魔力をより練磨していくキーとなる。
「邪神よ! 沈黙せよ!」
白い光が箒の先端から、一条の電光となって走った。浅い角度で、地面に突き刺さる。
ドオン! と音が遅れて響き、光が刺さった地面には小さな穴が開いていた。
シェリエ=ミュートが最も得意とする、電光の魔法。
不得手な破邪の魔法ではなく、この魔法ならばあるいは、翔の防御魔法をつらぬけたかもしれない。
知らず、そんなことを考えたシェリエは慌てて首を振った。
人を傷つけるような魔法は、人に向けてはいけない。そんなことをすれば、魔法使いはさらに世界で孤立することになる。
父や母のその言葉はもっともだと、シェリエ自身も思う。
けれどそれでも、とも思う。
ミュート家は人々を虐げるモノから護るために、その力を振るってきた。
その力を、使わないことが正しいわけではない。
この自分が持てる最高の力、電光の魔法。
それを使う時は来るのだろうか。来るとすれば、何に向けるのだろうか。
向ける先を間違えてはいけない。
自分がなりたいのは悪い魔女じゃなく、例えばシンデレラを舞踏会へと連れ出した、名もなき魔女のように。
黒い衣装に身を包んでも、白い心を持つ魔女に――
「なるのよ」
口に出した声は小さく。しかし想いは強く。
「翔。あなたも、きっと……」
奇しくもそれは、黒い森の魔女と同じほどに――強く。
翔はカテリナに付き合ってもらい、特訓を続けていた。
「意識をフラットにしなさい! 風を肌で感じるように、探すのではなく、全身で感じなさい!」
その言葉に従って、翔は自分の意識を内側へと向けながら、広げていく。
初めは深く、沈み込むように。それから薄く、広げていく。
意識が拡散し、あるのかないのかわからなくなっていく。
その代わりに、白、としか表現できない物が翔の中から浮かび上がる。
それらはとん、と水滴のように翔の意識を一度叩き、それから波紋のように体外にまで広がる。
消えかけていた意識が再び形を取っていく。
ゆっくりと瞳を開いて、翔という存在が再び現実へと舞い戻る。
「捉えたわね」
カテリナの言葉に反応し、翔が視線をそちらに向ける。
全身にうっすらと、白い光を纏わせながら。
「まだまだ先は長いけど、とりあえずはおめでとう」
そこまで言われて初めて翔は、自分の身体を見回した。そして、自分の身体を覆う光に気づいた。
「これは……」
両手を顔にかざすようにして、その光を確かめる。それは、シェリエが見せたもの、そして翔が危難に際してだけ見せる光だった。
翔が言葉を失っていると、カテリナが優しく微笑んだ。
「言っておくけれど、ただ展開するだけで眼に見える量の魔力が出るなんて、現代では有り得ないのよ?」
それは、翔の魔力の強大さを表す賛辞だった。そのまま、カテリナは続ける。
「すべてはまだまだこれから。魔力を引き出すスピードとか、細かな制御とか。あとは指向性の設定とか。課題は山積みよ」
「わかってるよ」
翔は苦笑しながら頷いた。それでも、列挙される課題が嫌ではなかった。
「それでも、おめでとう。若き魔法使いさん」
締めくくるように言った、カテリナに対して――
「ありがとう」
翔は心からの感謝で答えた。
その表情は、この南国に相応しい、晴れやかなものだった。
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