第17話 蠢動

 翌日、放課後。

 前日興奮と喜びで中々寝付けなかった翔は、身体に疲労を覚えつつもアイナとシェリエに早速それを披露した。


「凄いじゃない! おめでとう!」

「ありがとう

 素直に自分のことのように喜んでくれるシェリエに笑顔でお礼を言うと、何故か少女の動きが一瞬止まった。わずかに顔が赤くなっているが、翔は興奮してくれているせいだろうと見事にスルーした。

 一方のアイナは、おめでとう、と言ったきり、沈黙している。顎に手を当てて、何かを考えるようにしていた。

 いつもの翔ならば、そこで少女の様子に気づいたのだろう。アイナが何を考えているかに、想いを巡らせたはずだ。

 しかし、翔は自分の進歩に浮かれていた。

 結局、アイナの表情は晴れず、誰に語ることもなく、その日三人は夕方まで喋り続けた。




 男は執務室で――広いが自分以外は誰もいない部屋で――パソコンの画面を見つめていた。画面に表示されているのは、いくつものウインドウ。その中には男よりも年かさの男女がそれぞれ一人ずつ写っている。


「それでは、よろしいですね」


 男がマイクを通して発した言葉に、反応する者はいない。

 沈痛な表情を浮かべる者もいれば、薄ら笑いを浮かべる者もいる。

 それでも、誰も言葉を発しない。

 ただ沈黙を肯定の意思表示とするだけであった。

 男は満足気に笑みを浮かべ、顔の前で指を組んだ。


「では、始めましょう。具体的な方法について」


 声をかけはするが、やはり誰も答えない。

 テレビ会議の場は、男が完全に支配していた。


「では、僭越ながら私から」


 そう言ってから、全員にデータを送信する。その中にあるのは、綿密に立てられた計画。

 しばらく全員が眼を通す時間をとってから、男が再び口を開いた。


「いかがですか?

 今度は、全員が沈黙したわけではなかった。


「プランBはいいだろう。少なくとも犠牲は出ない。それに、一度始めれば止めようもない。だが、プランAの方は察知した人間が邪魔をする可能性がある。どうする?」


 男は笑みを浮かべて頷いた。その可能性はもちろん考えている。


「あの島で部外者を入れるのは中々に骨が折れます。しかし荒事のプロを五人も入れれば、カタがつくでしょう」

「魔法使いたちは魔動機がないと大したことはできない、という判断だな」

「はい」

「しかしミュート家の娘はどうする?」


 その名前が出た時、男は画面越しにも伝わってくる緊張を感じた。

 ミュート家。

 アメリカが誇る、恐らくはこの地球でただ一つの、魔動機に縛られない魔法使いの家系。

 まだ若いとはいえ、シェリエ=ミュートだけは甘く見てはいけない。

 彼女は、格闘技は素人だろうが、その魔法は十分にプロに対抗できる。

 だから、もちろん手は打った。


「大丈夫です。彼女はこちら側です」


 男が口にした言葉に、ビデオ会議であるにも関わらず、場がどよめいた。

 男に質問していた人物が、絞り出すように疑問を口にする。


「ヴァイス=ヒルクライム。お前は……」


 ヴァイス、と呼ばれた男は、薄く笑みを浮かべ、頷く。途切れた男の言葉を引き継いでいく。


「アメリカとは、取引が成立しています」


 そして、聞かれてもいないのにその内容を説明する。まるで、聞かせることで相手をより屈服させるために。


「日高翔を実験した結果を、彼らとは共有します」


 この場に参加している人間は皆、今更人一人の死でどうにかなるような人間ではない。

 それでも、一人の若者を、文字通りモルモットとして扱うことには抵抗があった。

 ましてや、それを平然と口にし、実行に移す人間に、薄ら寒さを感じずにはいられなかった。


「ヴァイス、お前はどうしてそこまでできる? お前も同じ、魔法使いだろう?」


 それは、ヴァイスにとっては今更の質問だった。答えは決まっている。


「私も魔法使いだから、ですよ」


 ヴァイスは思う。魔法使いだからこそ、魔法使いの可能性を広げたいのだ。特に、魔法後進国のこの国で。

 ――多少の犠牲を払ったとしても。

 その犠牲は無駄にならないのだから。

 それはどこまでも傲慢な考えだったが、それを咎める人間はいない。


「さて、それでは細かな部分を詰めていきましょうか」


 ヴァイスが淡々とした口調で再び切り出し、後は事務的なやり取りが続いていく。

 そしてほどなく、再びの沈黙がすべてを肯定した。

 



 ヴァネッサ=フォルゲインは上司から会議の結果を聞くとすぐに動いた。相手はヴァイスで間違いない。

 非公式だが、そのプランについて黙認するよう要請が来ている。

 確かに、祖国ドイツには何の影響もない。ドイツは魔力レベルこそ高くないが、魔動機の技術では世界をリードしているし、中世から続く名家がいくつもある。

 今更大きなリスクに手を貸す必要もなければ、有り得る可能性を潰しに動く必要もない。

 ただ眺めていればいい。

 ヴァネッサ自身、その決定は正しいと思う。

 自分が判断する立場であっても、同じ決定をしただろう。


「今回は、事情が違うわ」


 ハイヒールが地面を叩く音が早くなる。それでも、アップにした金髪は少しも動かない。


「愛しい妹の愛しい人。それに手を出す愚かさを、脳髄まで叩きこんであげるわよ、ヴァイス」


 バタン、と音を立てて自室の扉を閉める。鍵をかけてから、ヴァネッサは秘話回線を接続した。


「お久しぶりです。そちらも聞かれているでしょうけど……」


 顎と肩で受話器を固定し、電話口の相手が出た瞬間に喋りだす。その間にも、両手は忙しく動き、必要と思われる物を小さなキャリーバッグに放り込んでいく。


「ええ、恐らく相手はプロでしょう。あの子たちに火の粉が飛ばないように……」


 そこでヴァネッサは一旦言葉を切った。そして、獰猛な笑みを浮かべる。


「戦える魔法使いというものを、見せてあげましょうよ。カテリナさん」


 魔女は、黒い森を出て南の楽園へと動く。

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