第18話 道具、実験動物、魔法使い

「ふざけないで!」


 夜も更けた頃、室内にシェリエの怒声が響いた。だが、眼前の政府とのパイプ役を務める男は反応しない。サングラスの奥に隠された表情はわからない。

 それがさらにシェリエを苛立たせる。


「わたしを何だと思っているの! 道具じゃないのよ!」

「もちろん、存じております」


 あくまでも丁寧に、男は頷く。そして、そのまま続ける。


「しかしながら、これは政府の決定です。シェリエ様には、ご理解ができますかと」


 シェリエの表情が凍りついた。冷や水を浴びせられたかのように、言葉を切った。

 少しの間が空き、シェリエはゆっくりと口を開いた。


「……何を理解しろと?」


 男の唇が少し歪んだ。シェリエの眉が不快気にひそめられる。

 それは、嘲笑だった。


「従わない場合、ミュート家には報復が行くことでしょう」


 ぎりっ、と音がした。シェリエの表情は何かを堪えるように強張っている。

 男はそれに満足したように頷いて、では、と声を残して去っていく。

 一人残された家で、アメリカ政府の援助で成り立っている家で、シェリエは一人、項垂れた。


「翔……わたしは、あなたの敵になるの?」


『日高翔を拘束する。シェリエ=ミュートは協力するように』


 男が伝えてきた指令を、思い出す。

 逆らうことは論外だ。男の言った通り、ミュート家は報復を受けるだろう。最悪、秘密裏に葬られることだってあるかもしれない。

 名前を呼んで、少年の顔を思い浮かべる。優しく整った容貌に、押しの弱そうな印象を受けるが、しっかりとした芯が入っていることを、シェリエは知っている。

 ――この半年で、知った。

 その噂を耳にしてから、ずっと見ていたから。友人として過ごす間も、ずっと。

 そして先日、ようやく確信できた。日高翔こそ、自分と並んで高め合える存在だと。

 それでも、それでも――

 彼と争いたいわけでは、まったくないのに。


「わたしは……どうすれば」


 頬に一滴、水滴が流れた時に、着信音が鳴った。無視しようかとも思ったが、画面に表示された名前を見て、シェリエはすがるように通話ボタンを押した。

 



 丸い球状の『炉』を作業台の上に置き、ピンセットで慎重に内部に素材を入れていく。通常の『炉』よりも遥かに大きなそれは、内部構造もより複雑になっていた。

 見る者が見ればわかるが、魔法の発動と、それ以上に発動した魔法を長時間維持できるような構造になっている。

 素材同士をつなぐコードも厳選され、フォルゲイン家の名に恥じない技術の結晶、との評価を受けることは間違いなかった。

 だが同時に、これは実用に耐えられない、と断じられることもまた、間違いない。

 『炉』がより魔力を必要とする構造として作成されているにも関わらず、魔動機本体に取り付けられた『魔力加速装置』は以前から増えていない。

 この魔動機は、現代の魔法使いには発動すらできない。ただ魔力を注入するだけの徒労に終わる。

 本物の魔法使いにしか扱うことのできない魔動機。

 しかし、本物の魔法使いは世界にほとんどいない。いたとしても、魔動機を必要としない。

 ――世界中で誰からも必要とされない魔動機。

 それでもアイナは、額に汗を浮かべ、懸命に組み上げていく。

 すべては、ただ一人のために。


「良く頑張っている。ついに殻も破った。もう、飛べるよ」


 傷を乗り越えようとする彼のために。


「あなたが飛んでるところを、見てみたい」


 呟いて、炉をゆっくりと魔動機内部に固定する。

 仕上げに蓋をして、ランドセルのような形に戻してから、アイナはサイレントにしておいた携帯電話を手に取った。

 姉から聞かされた計画を、潰すために。

 一人の少女を、味方につけようと。

 もっとも、アイナには少女は既に、彼の味方だという確信があった。



 しかし、それは、少女の言葉によって裏切られる。


「ごめん、アイナ、今わたし、どうしたらいいかわかんない」

 

 アイナには、何が起きたのかほぼ想像できた。

 それでも、少女を責められなかった。

 

 ――シェリエは、子供のように泣いていた。




 その日の夕食は、カレーだった。

 イギリスでポピュラーなインド式ではなく、日本式のとろみをつけたカレー。

 正直、日本人が食べて口に合うかといえば、ほとんどの人が市販のルーを使った方が美味いと答えるだろう。

 それでも二人にとっては特別なものだった。

これはカテリナと翔が他人で、けれど同居人であった頃に、カテリナが懸命に作ったものだから。

ここから、二人は家族になったのだから。

その思い出から、あるいはかける手間暇から、普段はまず食卓にのぼらないそれを、カテリナは朝から用意していた。じっくりと玉ねぎを中心にして野菜を炒め、ルーを作る。そこにスパイス、ブイヨンを加えてじっくりと煮込む。隠し味にインスタントコーヒーを入れて、さらに煮込む。ふきこぼれないように、アクを取りながら。

忙しいカテリナには負担のはずだが、なぜか急に今日、作り始めたのだ。

翔は理由を聞かなかった。きっと、自分が魔法を使えるようになり始めたことへのお祝いだと素直に受け取った。


「ねえ、翔」

「なに?」

「あなたはもう一歩を踏み出した。だから後は、きっと歩けるわよ」


 その言葉で、翔は自分の予想が正しいと確信した。気恥ずかしさを覚えながらも、笑顔で返事をする。


「もちろん、そのつもりだよ」


 カテリナも優しい笑みで頷いた。


「頑張りなさい」


 二人はゆったりとした空気に包まれて、家族の食事を楽しんだ。


 

 そして翌朝、カテリナは姿を消した。




 その日、マギス島の南にある大陸から、一機の飛行機が飛び立った。

 それなりに大きな機体だが、チャーター便である。

 乗客は一〇代前半の子供が大半。それと数人の児童保護施設の職員達。

機内では職員の注意を無視して、子供達が思い思いに騒いでいる。

空が青い。景色が綺麗。ご飯まだ?

そんな明るく、罪のない笑い声が響きあうそこは、間違いなく世界で一番幸せな場所の一つだった。

『親のいない子供たちに海外旅行のプレゼント』

 オーストラリアではそんな見出しが各新聞を飾った。もちろん、一面ではない。あくまでも隅の方に、小さく小さく。

 その記事に、そして飛行機の存在に、注意を払った人間はほとんどいなかった。

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