第15話 熾火

 翌日、全身に疲労感を漂わせて出てきた翔に、アイナがギョッとした視線を向けてきた。


「どうしたの?」

「いや、ちょっと」


 翔は言葉少なに答え、誤魔化した。だが、アイナは大体のところを察したらしい。


「ようやく?」


 その言葉に、翔は苦笑した。苦笑ではあったが、その表情は晴れやかだった。


「そうだね。ようやく」


 そのまま、二人は無言になる。シェリエの家までは車でわずか五分ほど。喋らなくても、あっという間に着く距離でしかない。

 だから、翔は言葉を探した。

 隣でいつも通りハンドルを握る。かつて同じように自分を叱咤し、いつからかただ見守ってくれるようになった、優しい、そして唯一の幼馴染に。


「待たせてごめん」


 その瞬間、わずかに車体がぶれたが、アイナは手早くハンドルを切って車体を真っ直ぐに戻した。

 何事もなかったかのように、車は走り続ける。


「待ってないわよ。歩き始める、って信じてたからね」


 妙に大人びたセリフを口にしながら、アイナは微笑を浮かべた。

 それに翔も、同じ表情で答える。


「歩くんじゃないよ。飛びたいんだ――」

『空へ』


 翔の最後の言葉に被せて、アイナが同じことを口にした。

 二人は、声を上げて笑った。

 南国によく似合う明るさが、朝の光を受ける車内をさらに眩しいものへと変えていった。




 しかしその明るさも、負のオーラをまとわりつかせたシェリエが乗り込んできたことで相殺された。

 少女は後部座席に乗り込むなり、ぐったりとした様子で横になった。


「ど、どうしたの?」


 翔が思わず尋ねると、シェリエは半ば死んだような声を出した。


「それが、昨日レポートを提出したんだけど」

「ああ、月一で書くっていうやつ?」


 翔はすぐに思いつき、言葉にしたが、それでもおかしいと思った。

 月に一度のレポートで、シェリエがこれほど消耗していることは今までになかったからだ。

 その理由は、すぐにシェリエの口から明らかになる。


「何故か今回に限ってすぐに返事がメールできてさあ。延々と細かいことを聞かれたの。しまいには魔法の実践をテレビ電話の前でやらされたし」


 ぐったりしているのはどうもそんな単純なことらしい。

 翔は少し呆れて、返す。


「何か気になることでも書いたんじゃないの?」

「あるいは、しょうもないことを書いた可能性もあるわね」


 さらにアイナが混ぜっ返したが、シェリエはなんとでも言ってー、と投げやりに返すとそのまま背中を向けてしまった。

 よっぽど弱っているらしい。

 流石に可哀想になって、翔とアイナもそれ以上は突っ込まない。

 しばらくすると、穏やかな寝息が聞こえてきた。




 この日からの翔の決意のほどは、シェリエとアイナの眼から見ても明らかだった。どこか冷めた空気をまとわりつかせた少年はそこにはいない。

 つい先日、一人グラウンドで叫んだように、懸命に足掻く少年がいるだけだ。

 それでも、結果はすぐについてこない。翔はその日から何度も何度も魔法を失敗し、周囲の失笑を買った。


「今更何やっても無駄だって」

「早く退学になればいいのに」


 聞えよがしにそう言っていく者も、少なくなかった。

 それらはすべて、嫉妬がそうさせている。アイナはそう理解していたために、何も言わなかった。ただ、拳を握りしめる。

 しかしシェリエは今日こそ止まらず、素直に感情を爆発させる。


「もういっぺん言ってみなさいよ!」


 箒の先端を突き付けられると、皆が面白いように口を閉ざした。

 しかしもちろんその行為は、翔の手助けにはならない。

 少年は周囲の雑音を無視して、魔力を集中する作業に没頭していく。

 眼を閉じ、身体の内側に呼びかける。シェリエやアイナ、それにカテリナが助言してくれたその動作は、魔力を集めるための基礎の基礎。集中し、魔力を意識のすべてとしていく。

 翔は何度も試した。それでも、何も起こらない。

 ゆっくりと意識を沈め、魔力を浮かべようと、意識する。その時点で、失敗する。

 苛立ちが翔の心を覆う。

 怒りを爆発させるかのように、心中で叫ぶ。


 ――従え‼


 瞬間、白が意識を包んだ。

 かちり、と歯車が合わさり、衝撃で起きた火花が、それに火をつける。

 今はまだ小さな火種は、燻ぶり、再び奥へと沈んでいく。

 翔の中に積もったものに、紛れて消えるように。


 結局、その日も翔は魔法を使えることはなかった。

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