第8話 姉と弟と幼馴染

 時を遡ること五年前。カテリナ=マクスウェルは将来有望な若手教師としてマジックスクールで教鞭を振るっていた。

 時代の魔法使いを育てる仕事にやりがいを感じていたし、その道を選んだときに持っていた情熱は消えることなく胸の中にある、と胸を張って言える。

 それでも、多少倦んでいたことも事実だった。

 魔法使いの暗黒時代は抜ける兆しもなく、カテリナ自身も、時代を変えるほどの魔法使いの卵には出会っていない。

 もちろん、自分にもそれほどの力はない。英国の魔法使い、カテリナ=マクスウェルは万事に優秀な魔法使いであったが――天才ではなかった。

 鬱々としたものを抱えながら過ごす毎日。その日常を粉砕したのは、一つの痛ましい事故だった。




 その日、朝から島は慌しかった。北半球からの飛行機から、救難信号が出ていたためだ。

 大掛かりな魔動機で隠蔽されているこの島は、外からは岩山にしか見えない。しかし、飛行機を見捨てることが許されるのか。

 そもそも、助けることはできるのか。

 議論だけが沸騰し、時間は過ぎていった。

 結局、カテリナにできたのはすべてが終わった後。事故現場の消火に当たることだけだった。

 奇跡を起こす魔法使いの末裔が、最も集まっているこの島で。

 世界で一番、奇跡にあふれている島で。

 奇跡は、起きなかった。起こすことができなかった。


(何を……何を、やっているの! わたしは!)


 燃え盛る炎を、車で運んできた大型の魔動機と消防車で消火に当たる。紅蓮の炎に包まれていた機体が煙とともにその無残な姿を晒していく。

 仲間の絶望に彩られた怒声が響く。走り回るカテリナも、届かなかった現実だけを知る。

 その中。まるで、黒い森のような絶望の中――

 歓喜の声が聞こえた。


「ねえ! この子生きているわ!」


 その言葉にカテリナの身体が、魂が反応した。地面を縫うように、手持ちの魔動機で高速移動をかける。

 そこにいたのは、一人の少年だった。燃え尽きた機内で一人、椅子に座っている。

 白い光が、彼を護り、包み込んでいる。


「魔法、ね。それも極上の魔力がなしえる技よ」


 奇跡の溢れる、しかし零れ落ちてしまった島で、たった一粒、残った奇跡。

 誰もが期待する。この少年こそ、暗黒を振り払う魔法使いなのではないかと。

 だが、この東洋の少年をどう扱えばいいか、誰も即断できなかった。


「どうする?」


 誰かが口にした疑問に、沈黙が答える中――


「わたしが、面倒をみます」


 カテリナは一人、力強く請け負った。

 身体を支配していた倦怠感は、いつの間にか吹き飛んでいた。

(この悲惨な結末が、奇跡の欠片なら……)

 気分が高揚するのを感じる。だが、それも当然と思えた。

(教えて、君がここに在る意味を。君が進む未来を、わたしに見せて)

 この出会いは、今まで生きてきた三十年の中で、間違いなく最大のものになるだろうから。

 ――その日から、カテリナは少年の姉となった。




 カテリナの料理の腕はイギリス料理の噂を忘れさせるほど確かなものである。

 朝のうちに特製のソースに漬け込まれていたもも肉の塊は、今は丁寧に切り分けられたローストビーフとして食卓に登っている。南国のマギス島らしく、アップルソースではなく、マンゴーソースがかけられたそれは、翔の好物であった。


「美味しい?」


 成長期の少年らしく、小柄な外見ながら旺盛な食欲を見せる翔に、頬杖をつきながらカテリナが微笑みかけた。


「美味しいよ」


 そう答えた翔の口元にはごく自然な笑みが浮かんでいる。先ほど部屋で見せた激情は、今はそのかけらも表に出ていない。

 口数は少なく、しかし不快なものではない。むしろ安らぎが、リビングを満たしている。

 そこには、血がつながっていない他人同士でも、確かに家族の団欒があった。


「ごちそうさま」

「いいわよ。洗っておくわ」


 食器を片手に立ち上がろうとする翔に声をかけ、カテリナが先に立ち上がる。


「ありがとう。でも、どうして?」


 まず礼を言ってから、翔は理由を尋ねた。カテリナと翔は普段、家事を分担している。洗い物は翔の役割のはずだった。

 カテリナが優しい笑みを翔に向け、理由を明らかにする。


「デートの誘いが来てるわよ」


 カテリナの右手にはいつの間にか翔のスマートフォンが握られていた。


「ちょちょちょちょっ!」


 慌てて翔が奪い返しに両手でカテリナの腕をつかむ。カテリナは特に気にした様子もなくあっさりと携帯を手放すと、にんまりとした笑みへと表情を変えた。


「もてるわねー」

「人のスマホを勝手に見ないで、って何回も言ってるじゃん!」


 不満を口にしながらも、翔はスマホを動かして、素早く着信元をチェックする。


「なんだ、アイナか」

「幼馴染からデートのお誘い、でしょ? そんな言い方しないの」

「そんなのじゃないよ」


 小さく音を立てて携帯を閉じながら、翔はリビングの隅に吊るしてあった薄手のシャツを部屋着の上から羽織った。そのまま、玄関へと向かう。


「ちょっと、出かけてくるね」

「はいはい、ごゆっくり」


 背中にかかったカテリナの言葉に片手を上げて答えて、翔は簡素なメッセージの内容を思い出す。


『今表にいるから、ちょっと出てこない?』


 日高翔という人間は、自分を心配して誘ってくれているであろう少女の誘いを断るようには、出来ていなかった。

 自分でも気づかないまま、笑みを浮かべる練習をする。

 そうして、先ほど部屋で僅かに解放した鬱々とした感情が、また小さく、翔の胸に積もっていく。

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