第9話 アイナ=フォルゲイン
家を出ると、アイナが車にもたれて立っていた。肩までの金髪が月明かりに煌めき、白い肌と合わさって幻想的な美しさを少女に与えていた。
しかし、見慣れている翔は特に感想を口にも態度にも表わさない。
「どうしたの? 突然?」
「ま、いわゆるご機嫌伺い?」
要件を率直に尋ねる翔に対し、アイナも率直に答える。
翔は苦笑を浮かべて、応じた。
「悪くないよ」
「良くもない、でしょう?」
即座に切り返えされ、翔は言葉を詰まらせた。
「シェリエは来てないわよ。昨日あんまり寝てないし、今頃は家でのんびりでしょ」
アイナはそう言うと、車のドアを開けた。
「夜のドライブ、付き合わない?」
アイナはそれだけ言うと、翔の返事も待たずに滑るように運転席に入り、エンジンをかけた。
夜の静寂を、たくましいエンジン音が破る。
「わかったよ」
翔がおとなしく助手席に座ったのを確認して、アイナはアクセルを踏んだ。
朝とは違い、ゆったりとした速度で車が走り出す。
島の西部にある翔の家からしばらく東へ走り、ハイビームのライトが明かりの落ちたマジックスクールを照らし、視界にかろうじて入った頃、不意にアイナが口を開いた。
「翔」
「ん?」
「ごめんね」
ぽつり、と零された言葉は、何についての謝罪か。
それを正しく理解して、翔は柔らかい笑みを、アイナへと向ける。
「気にしてないよ」
優しい嘘を吐きながら、笑みを――
車はそれなりに年季の入ったエンジン音を響かせ、マジックスクールを横目に通り過ぎる。
アイナの姉、ヴァネッサ=フォルゲインがここマギス島で乗っていたこの車は、年式こそ古いが安定した走りを途切れさせることがない。
世界のベストセラーたる所以である。
「相変わらず良く走るね」
「それがこの車の取り柄でしょ」
気分を変えようと無難な感想を口にした翔に視線を向けつつも、アイナは危なげないハンドル捌きで道なりに進んでいく。
「これくらい、魔動機も長持ちすればいいんだけどね」
アイナの呟きには翔も同感だった。
魔動機は手さぐりで開発が進められてきたため、ほとんどの魔動機は耐久性まで考慮する余裕がなかったためだ。
この車のように数年、あるいは十数年の単位で仕様に耐えうる魔動機はない。
「でもアイナの目標は、長期使用じゃないよね?」
「まあね。でもまあ、長期使用に耐えうるにこしたことはないわ」
いかにもアイナらしい物言いだった。
ドイツから来た、マジックスクールに入学する前からの唯一の友人である少女は、魔動機に対して妥協をしない。
それはフォルゲイン家の血がなす業か、あるいは何か別のものか。
目標を純粋に、当然のように追うところはシェリエとそっくりだが、二人には決定的な違いがある、と翔は考えている。
シェリエは優れた才能を当然のように受け止め、それを使いこなし、進む。
しかし、アイナは。
アイナ=フォルゲインは。
かつて祖父がそうしたように、何度も失敗を繰り返しながら、一つ一つの欠片を掴み取っていく。
天才ではない。それでも、目標に対する貪欲さで、進む。
果たして、自分はどちらのタイプなのだろうか?
才能を使いこなせず、貪欲に不格好に進む気概もない。
まったく情けない。
そして、不意に思った。情けないままでいいのか、と。
それでも翔はただ静かにシートに身体を預ける。
心の中で吹き荒ぶ寒風に舞い上がったそれは、今はひらひらと落ちていくのみ。
しかし、ちりちりと翔の中に積もり、それは解放の時を待っている。
車は島の中央を走る道を東の端まで出ると、T字路を左へ、つまりは北へと進路を取った。
南の道沿いには、日航機事故の墜落現場がある。そこを通らないようにしたのは、アイナなりの気遣いだろう。
事故現場は、島の誰もが知っている。慰霊碑も建てられている。
しかし、当の本人である翔が足繁く――ほぼ毎日――通っていることを知っているのは、保護者であるカテリナと、アイナだけである。
アイナと翔は五年来の付き合いであり、幼馴染と言ってもいいだろう。事実、二人ともそう認識している。
島のほとんどを学校関係者と学生が占めるこの島で、翔の幼馴染はアイナ一人であるためだ。
偶然にも夏休みを利用して、姉のところへ遊びに来ていたアイナは、事故の話を聞いて、現場へ花を供えに行った。
事故を悼む気持ちはもちろんあった。しかし、それに加えて、多少大人びた気分でいたのは間違いない。
多感で、成長期にある一〇歳の少女であれば、ごく当然であり、責められるいわれなどどこにもない。
それでも、アイナは自分が軽い気持ちでいたことを、今でも後悔している。
花も持たず、涙も流さず。
ただそこに佇んでいた、少年の姿を忘れたことは、一度もない。
「ありがとう」
少女の持つ花を見て、そう言った少年の姿を忘れることなど、できるはずもない。
それほど深く考えずに花を供えようとした、自分の軽挙に寒気がした。本当の傷に、土足で踏み込んだ気がした。
だから、幼心にアイナ=フォルゲインは誓った。
少年と、友達になろうと。
その傷を、少しでも癒せる存在になろうと。
だって、彼と自分は同じ――
魔法使いなんだから、と。
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