第10話 灰と火種

 車はアイナの自宅がある住宅地を通り過ぎ、島の北端へと走っていく。

 波止場の灯りは落ちていて、この島を絶海の孤島と思わせるほどの暗闇が広がっている。

 もっとも、昼でもこの波止場は現在使われていない。

 マギス島はその目的から、外界とのつながりをそれほど必要としていないからだ。そもそも、一般人にこの島は見えない。

 かつて翔が錯覚したように、島の八ケ所に設置された魔動機が、島をただの岩礁に見せるべく、不休で動いているからだ。

 各国からの要人が訪れる時だけ、島は現実にその姿を現す。

 あるいは、魔法使いだけが、知覚することができる。

 それでも、波止場には中型の船が一隻、停泊している。万が一のために整備もきちんとされている。

 つまりはこの波止場は、理想と現実の境目であり、妥協点であった。

 翔とアイナはそちらにわずかだけ視線をやってから、再び正面のライトが照らす方向へと顔を戻す。

 お互いが、お互いの仕草に気づき、先にアイナが口を開いた。


「あの波止場ほど、中途半端なものはないわね」

「まあね」


 翔も消極的に同意する。しかし、アイナが続けたのは否定の文句ではなかった。


「それでも、備えるのは悪いことじゃないわ。使えるものは、使うべきね」

「確かに。魔法使いとはいえ、乗り物なしで、この島から出るのは難しいからね」


 翔はそう答えながらも、実際はそれよりも悪いと思っている。

 魔法使い達は、この島から、魔法の力だけでは出られない。

 それが、真実だからだ。

 現代に至り凋落した魔法使い達は、このマギス島で学び、かつての栄光を取り戻すべく努力を重ねている。

 誰はばかることなく、魔動機によって魔法を使い、奇異の視線を浴びることもない、

 そういった意味では、ここは楽園だった。

 しかし、魔法は現在のところ、大きく経済に寄与しない。

従って、島の運営は世界各国からの援助で成り立っている。

そのために成人した魔法使い達は国の裏方になることを余儀なくされている。

そういった意味では、ここは、籠の中だった。

 しかし、その事実を、学生達はきちんと理解していない。

 自分には、無限の未来が広がっていると信じている。


「まさにここは、砂の楽園ね」


 そんなはずはない、とアイナは正しく理解している。

 もちろん、翔も。

 それは、実用に耐えうる長時間飛行を可能にする魔動機が開発されていないことからも、わかる。

 ――マギス島の魔法使い達は、籠の中から飛び立てない。

 魔法使い達は、絶滅を危惧され、保護されるだけの存在。あるいは、何か利益を産むかもしれないという、保険をかけられた存在。

 世界の中で、魔法使い達の地位はその程度なのに――

 それでも誰もが信じ、若き魔法使いは島へ集う。



 ――魔法は、甦ると。




「ねえ」

「何?」


 信じる一人が、信じる資格のない一人に問いかけた。


「もし、魔法が使えたら、何がしたい?」


 何度か聞かれた覚えのあるその質問に、翔は今までと同じ、一つの答えを返す。

 魔法を凌駕したはずの科学の飛行機は、落ちてしまった。

 だからこそ、魔法に託してみたい、願いがある。


「空を、飛んでみたいな」


 自分の力で、どこまでも。行ける所まで。

 そうすれば、何かが変わる気がするから。眠れる魔法使いはそう言って視線を逸らした。

 僅かの沈黙を挟んで、アイナが口を開いた。


「ねえ、翔」

「なに?」


 翔が瞳をアイナへと向ける。

 アイナは翔と視線を合わさない。ただ前を見て、車を操りながら言う。


「飛べるわよ。自分の力を信じれば」


 車は、再び西へと進む。島の西にある高台には、シェリエ=ミュートの住む家がある。


「だって、わたしたちは――」

「だって、僕たちは――」

『魔法使いなんだから』


 二人の声が、狭い車内でステレオとなって響いた。

 ふ、と二人が笑みを交わし合う。


「よくできました。わかってるじゃない」

「頭では、わかってるんだよ。いつだって」


 微笑むアイナに、翔も笑みを返す。

 それでも少女は、幼馴染の少年の内心には気づかない。

 ちりちり、ちりちりと音を立てて、何かが少年の胸にくすぶっていることに。

 あるいは、わかっているのかもしれない。

 しかし、それは少女の予想よりも遥かに速く、大きく、降り積もる。

 足りないものは、火種だけであるほどに。




 夜でも光が途絶えることはない、一軒の屋敷。

 その中の一室、一人で使うには広すぎる執務室で、男は書類を机に広げていた。

 年齢は二〇代の半ばほど。すらりとした長身に、スッキリと整えられた髪が、鼻筋の通った端正な顔立ちと見事に調和して、一種の芸術的な美しさを引き出している。

 しかし、チタンゴールドのフレームの下にある瞳は、人形的な冷たい印象を受ける。

 一言で表すならば、冷たい美男子といったところか。

 年月だけが引き出すことのできる光沢を纏ったデスクは、男が身を預けている大きめのデスクチェアと相まって、その部屋の主の威厳を十分に引き出している。

 天井から光を放つのも、蛍光灯ではなく、年代物のシャンデリア。

 男が眼を通しているページの右肩には男の母国語で、『部外秘』と書いてあった。ただしそれは本来の朱色ではなく、コピーでできた黒色である。

 大した時間もたてずに、男はさして厚みのない書類を読み終えると、デスクの脇に放り投げた。

 そのまま、小さく呟く。


「燃えろ」


 その言葉に合わせるように、書類の頭側に置かれていた小さな魔動機から、小さな炎が書類に移り、ゆっくりと紙を灰へと変えていく。


「アメリカも、少年に気づいたか」


 誰もいない部屋で、男は一人呟く。


「少し、急がなくてはならないな」


 男が背中側に体重をかけても、重厚なチェアはしっかりと男の身体を受け止める。


「あるいは、二人目を作る方が早いかもしれないな」


 男の言葉は、男以外の誰にも届くことはない。

 その声に情は籠もらず、ただ響くのみ。


「わが国にも、本物が必要だ」


 男は眼を閉じ、考える。


「本物の、魔法使いが」


 自らの欲するものを得るために、どうするべきかを――

 一人、広い執務室で、意識を沈めていく。




 車は島の西端へは向かわず、南へと曲がる。月の位置はすでに、かなり高い。


「良い子は寝る時間ね」


 そう言ったアイナは車のスピードを上げ、一路翔の家へと向かう。

 リビングの電気はすでに消えていたが、カテリナの自室の電気は点いている。


「ありがとう、アイナ」


 車から降りて、お礼を言う翔に、アイナはウインクで答え、再びエンジンをかける。


「また明日ね、お休み」

「お休み」


 翔が返すと、車はあっという間に走り去った。

 それをしばし見送って、翔もカテリナの邪魔をしないように、できるだけ静かに鍵を開け、自室へと戻る。

 家を出る直前に感じた感情の波は、今はすっかりと落ち着いている。

 それでも、そこに至った思考を忘れたというわけではない。

 自分がこれからなすべきこと。

 日高翔があるべき姿。

 ベッドに横になりながら、それらを思う。

 瞼の裏には、白いものが点々と舞い、形を作ろうとして崩れ、落ちていった。

 落ちたものは消えるでもなく、積もり、粉雪のように黒一色の景色をわずかに白く色づけていく。

 その風景とも呼べない風景が、次第にぼやけていく。

 僕は――だ。

 声に出ていたかどうか、それはもう翔自身にもはっきりとわからなかった。

 ただ、口の中にあった血の味は、もうすっかり消えていた。

 それに安心して、睡魔に心を委ねる。

 翔はそのままゆっくりと、眠りについた。



 降り積もるそれは、形を作ろうとしては失敗し、下に積もる。

 黒い世界は次第に白さを増す。

 ちりちり、ちりちりと音を立てるそれは――



 ――――解放の時を、待っている。

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