第11話 発火
翌朝。授業の準備やその他もろもろのために先に出たカテリナが用意した朝食を食べ終えた翔は、キッチンで簡単な弁当を作り、洗い物をしてから家を出た。
時間は、いつも通り。ちょうどアイナの車が音を立てて、玄関に横付けされたのも、いつも通りだった。
「おはよう、翔。昨日はよく眠れた?」
「おかげさまで。アイナは……って」
朝の挨拶を返そうとした翔はそこで言葉を切った。
アイナの眼の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。それを見つけたからだった。
「何をしてたの?」
「まあ、作業とか色々」
悪びれずに答えるアイナに、翔は苦笑した。
「相変わらずだね。おとといあれだけ手伝ったのに、まだ足りないの?」
「足りないわよ。完成するまではね」
なんならまた手伝って、というアイナの誘いを、考えておく、と翔は軽くかわした。
現在アイナが寸暇を惜しんで製作しているのは、オリジナルの魔動機だ。
翔も図面を見せてもらったが、正直書いてあるものの半分も読めなかった。学生レベルで理解できるようなものではない。
翔が入学して半年を経た今も落第生の烙印を押されずに済んでいるのは、魔法技術以外のすべての教科においてトップクラスであるからだが、所詮は学園の中での話でしかない。
アイナやシェリエといると、それを自覚せずにはいられなかった。
それは翔だけではない、他の大多数の生徒も同じなのかもしれないが。
「さて、今日は後一人乗るわよ」
言われて翔は、アイナの車がスピードを落としていることに気づいた。
ブレーキの反動を感じさせない滑らかさで車を路肩に寄せて停めると、すぐに一人の少女が乗り込んできた。
学園が誇る天才魔法使い、シェリエ=ミュートだった。
後部座席に座るシェリエというのは、翔にとっても新鮮な絵だったために、思わず振り返ると、視線が少女の瞳とぶつかった。
にも関わらず、二人の間に落ちたのは沈黙という名の幕だった。
若干気まずい空気が車内に広がる。
翔は内心で咳払いをして、意を決したように口を開いた。
かさ、と何かがこすれるような音が聞こえた気がしたが、無視した。
「おはよう、シェリエ」
瞬間、黒髪の少女の表情がぱあっ、と輝いた。
「おはよう! 翔!」
途端に少女はいつものように、快活な挨拶を返す。そしてそのまま、翔が疑問に思っていたことを口にする。
「わたしも機械の良さを体験してみよう、と思ったの。だからしばらくアイナの車で一緒に行くわね」
「いやいや、いくらなんでも車の良さを体験したことないとか、ありえないし」
翔がパタパタと手を振って、あっさりとシェリエの理由を却下した。
魔法使いの名門、ミュート家であっても母国アメリカでは、科学と機械の恩恵を十二分に受けていることを、翔はごく常識的な知識として知っていた。
うぐっ、とシェリエが言葉に詰まったところで、アイナが助け船を出す。
「この島では、初めてのはずよ」
「ああ、なるほど。それなら、大いに意味があるね」
「でしょう」
本来であればハイスクールの学生であるはずだが、とてもそうは思えない頭の回転の早さで、二人で理解する翔とアイナ。
その様子をシェリエは感謝半分、嫉妬半分で見つめる。
しかしだからといって、どういう意味があるのかわからない、とも言えない。
一人悶々とした少女は、その結果、
「凄い顔してるけど、お腹でも痛いの?」
翔からそんな疑問を投げかけられることとなった。
その日の午前中は、魔道技術の授業だった。
相変わらずシェリエは魔動機を使わずに他の誰よりも優れた力を見せ、アイナは無難にこなしていく。
誰もが興味はあるものの、それを表現できずに、惰性に近い状態で、黙々と授業を受けていく。
ただ一人、いつもと違ったのは、日高翔だった。
普段はカテリナと特別授業を受けることが多い翔は、魔法技術の授業を受けること自体はもちろん初めてではないが、それでも珍しい。
当然のように好奇の視線が集中する。
常人なら竦み上がってもおかしくないほどの視線をものともせず、黙々と自らの作業をこなす、いやこなそうとする少年を見つめながら、シェリエはぽつり、と呟く。
「翔って案外強心臓の持ち主なのかしらね」
「視線が集中するのに、慣れているだけよ」
いつの間にか隣に並んでいたアイナが答えた。
「慣れている……って?」
「彼はずっと、この島で、異質な物を見る視線にさらされてきたから」
「それって……!」
ひどい、と言おうとしたところで、アイナがシェリエの唇に人差し指を当てた。
「くだらない同情は、昨日の二の舞だけど?」
そう言われては、シェリエには黙る以外の選択肢がない。どうにか口を塞ぎ、二人は再び翔を見る。
翔は一言たりと、文句も弱音も漏らさず、黙々と魔動機に魔力を注入しようと手をかざし、そして――失敗する。
何回も、何十回も。それは確かに、異様な光景だった。
魔力の注入が上手くいかないこともある。
魔力が不十分なこともある。
それでも、ここまで何度も失敗することはない。
特に今はまだスクールの一年目。それも半年しか経っていない。いわば、基礎の段階なのだから。
致命的な才能の差は――シェリエのような例外はともかく――まだ出ようもない。
だから、素直な学生達は小さく声をかわす。
「だせー」
「なんだあれ? ありえないだろ」
「彼、本当に魔法使い?」
「黄色いサルの魔法使いなんて、いるわけないんだよ」
それらは小さくはあっても、決して聞こえないように注意が払われていたわけではなかった。シェリエの耳には届いたし、当然翔にも届いているだろう。
得もしれない怒りを感じ、シェリエが怒鳴ろうとした時、再びアイナに止められた。
「やめときなさい」
そう言った彼女は、表情こそいつもと変わらなかったが、拳は固く握りしめられていた。
爪が食いこみ、一滴の赤い珠が地面に落ちる。
「……」
シェリエはそれを見て、あえて何も言わず翔に視線を戻した。
周囲の声は、耳に入っていた。
それでも、それは気になるような内容ではなかった。
気になるのは、ただ二人の視線。二人の天才の視線だけ。
タイプも違う。考えも違う。けれども間違いなく、同世代の魔法使いの中ではトップクラスの二人。
その二人が自分に注目していることがどうにも嫌で、そして少しだけ誇らしい。
基礎魔法理論の授業で学んだことを頭の中で繰り返しながら、作業に当たる。
この魔動機の仕組みはわかる。
魔力の注入方法も、発動の方法も理解している自信がある。
誰もが皆、魔力そのものの大きさを認めている。
それでも――
魔力は外に展開しない。魔動機に注がれない。
今までと何も変化がないまま、教師が授業の終わりを告げた。
生徒達が指示を受けて、魔動機を片づけていく。それでも、翔はその場を動かなかった。
教師は何かを察したのか、特に注意せず、
「ちゃんと片付けておけよ」
それだけを言って、踵を返した。
生徒達も特に翔には、声をかけない。
「なにあれ?」
「カッコつけてんだろ?」
「そうじゃねえよ、自分が惨めで、動けないのさ」
あはははは、と明るい笑い声を上げながら、校庭から校舎へと歩いていく。
シェリエとアイナは、二人で視線を交わしてから、そっとしておこうという結論に達し、最後に歩き始めた。
二人が翔を迂回するように、校庭を横切って別の出口に向かおうとすると――
「くっそおおおおおお!」
少年の絶叫が、響いた。
悲しく、強く、まるで慟哭のようなその絶叫に、二人が振り返る。
そして、ボン、と音を立てて魔動機が破裂するのを、二人は見た。
二人が有り得ない事実に言葉を失い、立ちすくむ。
当然のように怪我ひとつない翔が、じっとただ佇んでいるのを見て、二人は慌てて校庭から飛び出した。
翔に声が聞こえない、と確信できる場所まで離れて、ようやくシェリエが口を開く。
「アイナ、今のは……?」
「魔動機の許容限界を超えた……」
魔動機に詳しいはずのアイナの口から、自分と同じ答えが出たことに、シェリエは思わず叫んだ。
「有り得ない! 有り得ないわよ!」
アイナが事実よ、とだけ返したことが、より一層シェリエを刺激する。
「いくら小さな魔動機だって、破裂することなんて、有り得ないわよ! わたしにだって、できっこない!」
「常識ではね」
「!」
アイナが平坦に返し、シェリエは完全に言葉を失った。
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