第7話 光を灯すために

 空に向かって涙をこらえるシェリエを見て、アイナはこの場所を教えたことを僅かに後悔した。ここは、翔にとって大切な場所。そして、傷をさらけ出す場所と知っていて、それでもシェリエに尋ねられたという理由で教えたのはなぜだろうか? 

自問し、即座に自答する。

 決まっている。彼女が鍵だからだ。

 マジックスクールに入学して半年、一度もトップの座を譲らない天才少女、シェリエ=ミュート。魔法使いならば知らない者のいない、アメリカの名門ミュート家。

 その中でも類稀な才能を持つという彼女なら、翔を刺激することができるかもしれない。

 刺激し、翔の閉じてしまった扉を開けるための鍵になるかもしれない。

 そう考えたからだ。

 けれど、その判断は裏目に出た。シェリエは一足飛びに翔に嫉妬し、そして追いつめてしまった。

 翔はいつもの哀しげな笑みを浮かべ、そして激昂し、去っていった。


(やっぱり、知りあって半年では無理かもね)


 アイナは冷徹に判断を下す。次の作戦を考えなければならない。

 ふと、そこで気づいた。

 ――翔が、激昂した?

 いつも諦念をまとわりつかせ、どこか冷めた視線で物事を見ている、翔が?


(刺激、という意味では成功ってことかしら)


 アイナは知らず、笑みを浮かべた。

 ――わたしには翔とした大切な約束がある。


(そのためには、使えるものは何でも使っていかないとね)


 アメリカの天才とは別種の天才。ドイツの魔女は、一人考える。

 翔を、大切な少年を、目覚めさせる。この青い空へと解き放つ。

 そのたった一つの目的を胸に。

 自分が鍵ではないということを思い、チクリと刺さった棘はそのままに、魔女は魔女に声をかける。


「バカね」


 シェリエが振り返った。揺れる瞳は涙の雫で満ちているが、溢れてはいない。


「でも、悪くはなかった。翔は怒ったけど。多分、必要なことよ」


 シュヴァルツヴァルトは黒い森。闇より深く、夜より暗く。

 そこからやってきた欧州の黒い魔女は光を灯すために、進む。


「これでわかったでしょう? 彼の抱える危うさが」


 耳に心地のいい言葉を選び、もう一人の天才をそこへ引きずりこむ。


「わたしは、何とか翔を、助けたい」


 すべては、彼との約束、そのために。


「シェリエも、協力して」


 シェリエはその言葉にしっかりと頷いた。




 翔は珍しく、イライラした気分を抱えたまま、部屋へと戻った。

 それは久しぶりの感覚だった。頭の中が何かにかき回されるように熱い。

 身体を薄く覆っていた氷のようなものが、溶けていく気がする。


(僕だって、わかっている)


 グラグラと煮え立つ激しい感情。それをもてあますように、翔は叫ぶ。


「僕は! 魔法使いだ!」


 それは、シェリエに促された言葉。しかし、彼女の前では言えるはずもない言葉。

 制御できない魔法に意味はない。誰でもそう言うだろうし、翔自身もそう思う。

 それでも、彼女は言ったのだ。

 学べばいいじゃない、と。

 翔にはその姿勢が眩しすぎた。明るい太陽のように、直視できない存在。

 シェリエ=ミュートはそういう少女なのだ。出会ったときから、変わらず。恐らくはこれからもずっと。


「珍しく、男の子の顔をしているわね」


 自分の中の熱さに飲まれそうになったところで、声がかかった。


「カテリナ姉さん」


 振り返り、部屋への闖入者の名前を呼ぶ。

 そこにいたのは、五年前からずっと、翔の面倒を見てくれている、姉のような存在、カテリナだった。


「若者はそれぐらいギラギラした眼をしているほうが、格好いいわよ」


 パチリ、とウインクするカテリナは、学校の研究室よりも更に柔らかい表情となっている。

 翔はバツが悪くなり、頭を掻いて、再びいつもの衣をまとう。


「何? 姉さん」

「ご飯まで時間があるから、今日の結果をおさらいしようと思ってね」


 カテリナは翔のその様子に一層笑みを深くして、部屋の中へと足を進めてきた。

 優しく、そして楽しげなカテリナの言葉に、しかし翔は表情を引き締めた。


「どうだった?」

「まあ、概ねいつもと変わりはないわね」


 部屋の奥にあるデスクの椅子に腰を下ろし、カテリナは手元のボードを覗きながら答える。


「魔力量はいつもと同じ、膨大と言っていいわ。魔動機の使用形跡はなし。まあ当然だけど。破邪の力の発動から防御魔法の発動まではちょっと有り得ない速さね」


 カテリナが告げた計測結果は確かに、いつもと変わらないものだった。

 翔は魔力を自分で制御して、指向性を与えることができない。

 ――ただし、自分の身を守る魔法だけは、不世出の力と制御を発揮する。

 それは、眠れる才能の証なのか、あるいは、ただの防衛本能のなせる業か。

 恐らくは後者だろうと思い、少年は苦く笑う。その苦味にもすっかり慣れてしまい、すぐに消してしまうが。


「いつもと変わりはなく、進歩もなしってことだね」

「率直に言うと、そういうことね」


 カテリナはフォローもせずに頷いた。そして、そのまま続ける。


「期末の試験、このままじゃちょっと通せないわね」


 わかりきった事実を突き付けられて、翔は唇を噛んだ。期末の試験に落ちるということは、マジックスクールを落第することに他ならない。

 落第してはこの島にはいられない。そして日本に帰る意味はもうない。

 それはつまり、世界のどこにも居場所がなくなるということだ。

 島の人々の期待に答える意味でも、自分が生きている理由を知る意味でも、それは避けたかった。

 けれど心が意志に追いつかない。追いついて、こなかった。

 ここにいたい。この島にいたい。

 そのために必要なこともわかっている。

 成すだけの才能があることも分かっている。

 ――けれど、それでもできない。出来る気がまったくしない。

 それでも――なんとかしなくては。

 埋没しそうになる意識は、口の中に生まれた痛みによって引き戻された。

感じた血の味をそのまま、飲み込む。

 感情が吹きすさぶ翔の内心とは裏腹に、カテリナは笑みを崩さない。


「本当は特訓しなければ、と思っていたけれど、大丈夫そうね」

「え?」

「期待しているわよ、男の子」


 意味がわからず問い返した翔に応えず、カテリナは入って来た時と同じく、唐突に出ていった。

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