第19話 血に意味なんてない
「で、どういうつもり?」
「その言葉はそのまま返すよ」
後輩から怪物認定されているとも知らず、2年生二人は互いの意図を確認していた。
「女性の心を開きたいのなら、まずは男性が歩みよるべきじゃないかしら」
「レディーファーストを心掛けているものでね」
普段ならすぐに受け入れるであろう大玲の言葉にも、フランクは頷かない。それどころか、茶目っ気を添えて言い返した。
「ふうん?」
まるで以前の密談の時のような、フランクがまとう空気の違いを確かめるように、大玲はわずかに眼を細めた。
その視線にたじろぐこともなく、フランクも視線を逸らさない。
二人の視線が正面からぶつかった。
しかし、それはほんの数度の瞬きの間でしかない。大玲が譲るように一度瞳を閉じた。
「案外頑固ね」
「男は芯が通っていた方がいいと言うだろう? いや、これはレディもかな」
「減らず口は変わらないわね」
大玲は呆れたように言うと、一歩歩みを進めた。
「仕方ないわねえ」
はあ、と溜息をつきながらまた一歩。
「わたしの狙いは……」
そう言いながら、言葉の緩慢さとは裏腹な速度で、右腕をフランクの首に向けて伸ばす。
しかし、フランクはその動きを予想していたのか、わずかに後ろに下がることで回避した。
「……教えておきたかったのよ。彼らに、世の中は彼らが思っている以上に、隠し事にあふれている、ってね」
突然の凶行などなかったかのように、言葉を続ける大玲。その態度に苦笑して、フランクも口を開いた。
「なるほど。それだけじゃないだろうけれど、納得はするよ」
「全部言わなければわからないような鈍い男には用がないわよ?」
「なるほど、違いないね」
大玲の嫌味にクスリ、と微笑んで今度はフランクが歩みを進めた。大玲は動かない。
さらにフランクが一歩踏み込んだ次の一瞬、空気を切り裂いた拳を、大玲は首を動かすだけでかわす。
「乱暴ねえ。キャラが崩壊しているわよ」
「取り繕う意味ももうないからね」
軽く揶揄しただけの言葉に、思いがけず強い言葉が返ってきて、大玲は驚きを隠すことに失敗した。
「あら? 素直ね」
「明日の夜にはどうせ動きがあるんだろう? なら僕は今晩中に失礼しようと思ってね」
さらに返されたフランクの言葉は、大玲にとって聞き逃せないものだった。
「邪魔する気かしら?」
「まさか。僕は今日のやり取りでほぼ確信を得た。論文にも追加しないといけないから、ちょっと付き合っている時間がないんだよ」
「へえ」
急に真面目な学生ぶったことを言われても、信じるわけもない。
平坦な声で、大玲は追及する。
「参考までに、何を追記するのか、教えてもらえない?」
「ああ、簡単だよ」
隙があればすぐさま飛び掛かれるよう、わずかに腰を落とす大玲に対して、フランクはこともなげに答える。
「『血』なんてものには、何の意味もない。魔法使いの素養は、遺伝しえない」
こともなげに、特大の爆弾を投げつける。自分の家が誇る血筋を、踏みにじる。
「フランク、あなた……」
絶句する大玲に、フランクはむしろ綺麗に微笑んだ。
「大玲嬢。君だってわかっているだろう?」
「……少なくとも、簡単に口にしていいことではないことは、理解しているわよ」
「そうだね」
じゃあ、論文をまとめるから、と部屋へと向かうフランクの背中に、大玲は声をかける。
「あなた、消されるわよ」
大玲の警告に、フランクは答えなかった。その歩みも、止まることはなかった。
無言で去っていくフランクの後ろ姿から視線を外して、大玲は自身も部屋へと戻った。昨晩アイナとシェリエと一緒に泊まった部屋ではなく、別荘にも用意してある自分の私室である。客室との違いと言えば、広さと、調度品と、そして、防音性であった。
スマートフォンを手に取り、残っている履歴にかけ直すと、ワンコールで相手が応答した。
「状況は?」
名乗るでもなく、大玲に何かを言わせるでもなく、男の声が電話口から響いた。
自身の父親ながら、その余裕のなさに苛つくのは毎度のことではあった。
大玲は部屋が防音になっていることはわかっていたが、それでもイヤホンを使い、声のトーンも幾分落とす。
「何のでしょう?」
「問答をする気はない」
大玲が焦らすように尋ねると、声が大きくなった。一体何をそれほど焦っているというのか。
相手に聞こえるように大きく溜息をついて、答える。
「普通ですよ。仲良くやっています」
「警戒は?」
「されていません」
大玲の返答にようやく満足したらしく、安堵の声が漏れ聞こえた。
「では予定通りに」
「構いませんが、何を急いでいるので?」
結論を出した父に、情報を得ようと疑問を投げかけると、少し余裕がでてきたのか、大成(ダーチェン)は素直に答えてくる。
「ターゲットに、日本政府が気づいたようだ」
なるほど、と大玲は心中で納得した。
それが事実であれば、計画は大幅に狂う可能性がある。小心者の父はさぞや焦ったのであろう。
であれば、計画通りに行くことは喜ばしい。
だが--、と大玲は否定の言葉を思い浮かべる。
果たして、そう上手くいくのであろうか。
確かに、英国の守護騎士の眼は潜り抜けるだろう。だが、少年少女たちは、守られるだけの存在ではないと、わかっているのだろうか。
「ご武運をお祈りします」
「協力する気は?」
「今後のことも考えて静観、ということで」
父に欠片も敬意を払わないまま、大玲は通話を終えた。
最後に聞こえた舌打ちは、いつものように無視した。
そのまま、ベッドに倒れこむように横になる。
見上げる天井は、白一色。寝室は間接照明で灯りをとっているため、電灯もない。
視界一面を白で埋めながら、魔女は考える。
(現実に抗うのではなく、飲み込まれた老害ども。目に見えている現実が全てと勘違いしている、権力者ども)
敵の姿を、空間に思い浮かべながら。
(いずれはどちらも排除する。そのためにも、彼らの力は欲しい。少なくとも、連中に対する抑止力にはなってもらいたい)
新たにできた友人たちを、駒に見立てながら。
そんな自身の醜悪さに絶望しながら。自分が、ずぶずぶと何か黒いものに沈んでいくのを感じる。
(こうして、わたしたちは、悪い魔女になっていくのかもしれないわね)
自らが堕ちていくことを感じながらも、そのまま心を任せていく。前よりも一層深く、暗く冷たい水の底へと沈むように。
彼女を取り巻く世界が、人間の欲望と醜さが、魔女を怪物へと育てていく。
それは、いつの時代も変わらない。魔法使いたちの絶望と、力を求める原動力の一つであった。
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