第5話 そして、物語は始まる

 平和な昼休みが終わり、魔動機の授業が始まる。魔法技術ほど人気ではないが、生徒達の態度は真剣そのものだ。今日の講義は座学だが、眠る者は一人もいない。

 そもそも、魔法を行使するために補助道具を使うことは昔から行われていた。

 それは儀式であり、調合した薬であり、樹齢千年を超えるトネリコの木であったりした。

 ただ、そういったいわゆる魔力が宿るとされるものは、時代と共にその数を減らし、消えていった。

 薬は麻薬と断じられ、樹木は切り倒されていく。原理すら解明されない補助道具は、魔法使い達が危機的状況に気づいた時には既に、ほとんどが失われていた。

 加えて、魔法使いの力そのものの衰退。

 どちらも、彼ら自身の慢心が生んだものでしかなかった。

 自らの天賦の力に溺れ、時代へとつなぐ努力を徹底的に怠った。

 それこそが、現代の魔法の衰退の原因。

 そして、魔法使い達の、拭いきれない罪。

 自分達の未来は何もせずとも永遠という、誤った妄想が生んだ罪。

 罪の名を、傲慢という。




 一七世紀半ば。極東の島国、日本が記載され、世界地図はほぼ完成した。黄金の国、と称えられた伝説の島、日本。その島は魔法使い達が作っていたもう一つの世界地図には存在していなかった。

 伝説では箒にまたがり、あるいは鳥を操り、いや、鳥そのものに姿を変えて、世界の果てまで至ることができたはずの魔法使い達の地図には、その島はなかった。

 それは、すべての魔法使いが認識した瞬間だった。

 魔法が、機械に敗北したことを認識した瞬間――魔法使い達の時代は、終わりを告げた。

 奇しくもそれは、魔女狩りの終わりをももたらした。

 そこから始まった、命の危険は減っても、誇りをすり減らす暗黒時代の最中、一人の天才が現れた。

 彼の名はヨハン=フォルゲイン。

 彼は機械を良く学び、一九世紀終わりから祖国で隆盛した自動車の開発に携わった。二度の世界大戦を越え、ドイツが世界に誇る大衆車の開発にも中核メンバーとして参加した。

 それだけであれば、彼はただの人だった。技術職人だったと言ってもいい。魔法を捨てて、機械が支配する世界に消えていった、ただの人間。

 だが、彼はそれだけではなかった。

 二一世紀の今日に至っても、彼の名が魔道技術の教科書の最初のページに載っているのが、その証明に他ならない。

 彼は技師として得た知識を、魔法に応用すべく尽力した。基礎理論もない時代に、片っ端から材料を探り、実地に学ぶことで目的へと近づいていく。

 泥に塗れ、ただ一人地べたを這いずる。

 望めば、穏やかで豊かな暮らしを手に入れられたのに。

 得られる小さな幸せのすべてを捨てて、彼は一つのものを魔法使いの世界にもたらした。

 効果は限定される。魔力の注入に時間がかかる。だから発動も遅い。そもそも、それ自体が大きい。

 しかし、魔法の可能性を再び広げるただ一つのもの。

 ――魔動機。




『我々は罪を犯した。皆も知っての通り、傲慢という名の罪だ。だからこそ、我々は学ばなくてはならない。謙虚に、頭を垂れて。機械を魔法の力として取り込むのだ』


 魔動機の教本は、常にこの一文から始まる。そして同じく彼の一文で、初めのページは終わる。


『我々に無限の可能性を与えてくれるこの機械を、『魔動機』と名付ける』



 

 偉大なるヨハン=フォルゲイン。彼の家庭は決して幸せなものではなかったことを、アイナは知っている。そして、彼女の祖父がそれを酷く気に病んでいたことも。

 教師に言われるままに、アイナは黙々と小型の魔動機を組み立てる。ミスのしようもないほど、簡単なものだ。だが、周囲はまだもたついている。ごくわずかな例外を除いて、誰もが魔動機なしでは魔法を満足に使えないのに、その仕組みを理解しようとする者は少ない。金を積めば魔動機職人から買うことができるということもあるだろう。だが、そもそも魔動機の有難みをわかっている魔法使いが少なすぎる、とアイナは思う。

 それが証拠に、魔動機はエンジンにも似た『炉(コア)』をその中に持っているために組み立てには危険が伴うにも関わらず、ぎこちない手つきのものが多すぎる。

 しばらくたって、教師が完成した者に挙手で報告させた。

 上がった手は、アイナの他には数人だけだった。

 その数人には、いつもの通り、日高翔が含まれている。

 魔法技術以外はすべての教科で優秀な成績の彼は、周囲からたった一つの欠点のために蔑まされている。

 魔法を使えないという欠点のために。

 だが、その魔力はシェリエに勝るとも劣らないことを知っているアイナは、ただただ興味深げに考える。


(魔法以外の地盤がほぼ完璧な彼が、魔法を手にしたら……一体どうなるのかしらね?)


 アイナの視線を受けても、少年の眼鏡の奥にある瞳は、黒板を見つめたまま、動かない。




 そのまま、しばらく時間が経ち、魔動機の組み立て結果を試すためにそれぞれが魔力を注入した時に、それは起こった。

 翔の隣の生徒が組み立てた魔動機が小さな爆発を起こし、――紅蓮の炎が周囲を包みこんだのだ。


「消え去りなさい!」


 シェリエが即座に魔法を放ち、消火に当たる。教師も魔動機を使って鎮火する。

 被害こそ広がらなかったものの、悲鳴と怒号が交錯し、怪我人が応急処置を受ける教室の中、至近距離で爆発に巻き込まれた少年は――

 周囲に白い光を纏い、煤一つつけることもなく、ただ座っていた。



 それは、アイナが確信した瞬間。

 シェリエが、驚愕に目を瞠った瞬間。

 そして、日高翔の時間が、再び動き始めた、瞬間だった。



 止まっていた時計が動き始め、少年と少女の物語が――

 本当の『魔法』が甦る物語が――

 今、始まろうとしていた。

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