現代社会の魔法使いは生きづらい

武村真/キール

プロローグ

 その日、日高翔(ひだかしょう)は母親と妹と同じ飛行機に乗っていた。乗り慣れた彼にとって座席で眠ることは苦痛でも何でもなく、狭いエコノミークラスの席でごく自然に眠り、眼を覚ました。時刻は日本時間で朝の七時。既に何人かの乗客は、空から眺める朝日を楽しんでいる。

彼は隣でまだ眠る家族達を起こさないように、先客に倣って慎重に窓のブラインドを上げた。

 暗闇に慣れた目には眩しすぎる光が差し込み、翔は自然と眼を細めた。

 視界に映るのは朝日が照らす、抜けるような青空と、雲の隙間からわずかに覗く、輝く青い海。

 翔の乗っている飛行機は、日本―オーストラリア航路。パイロットである父親が操縦している飛行機は危なげなく、一定の速度で進んでいる。

 むしろ当然としか評価されない事実。だが彼にとってはその事が妙に誇らしく、翔は窓に映る自分の表情を極上のそれへと変えた。

 しばらく、景色を眺める。眼下には小さな島が広がってくる。ミクロネシア、と呼ばれる群島が集まる地域だ。

 小さな島や岩礁が集まるこの地域を抜け、機体はオーストラリア、シドニーへと向かっている。

 しかし――

 眼下の海が、島々が次第に大きくなっているのは気のせいだろうか?

 まだ一〇歳である翔にはそれがどういうことなのか、判断はつかなかった。ただ、漠然とした不安だけが胸に湧き上がる。

 やがて乗客が次々に起き始め、母と妹も起きてくる。


「おはよう、翔」

「おはよう、お母さん、瑠璃(るり)」


 母とまだ幼い妹に朝の挨拶を返したとき、その言葉が飛び込んできた。


――エンジンが止まっているぞ!


 ざわり、と翔は自分の背中が粟立つのを感じた。片方のエンジンが止まった程度なら、何とか飛行は続けられるはずだ。父親から聞きかじった知識で、そう判断しようとする。

 だが、翔の期待を込めた理屈づけは根底から否定される。


『ご搭乗の皆様に申し上げます。こちらは機長の――』


 聞き慣れた父親の声がスピーカーから響く。最寄りの空港へと緊急着陸することが知らされた。

 周囲からは不満と怒りの声が上がる。翔もパニックになっていた。

 父親の操縦する飛行機が故障するなんて、信じられなかった。

 母親が安心させるように手を握ってくれた。翔はそれを強く握り返す。

 翔には知る由もなかったが、ミクロネシアの島々に、巨大な飛行機が着陸できる設備の整った空港は、ない。強引に他の機体を押しのけて着陸するか、あるいは軍用空港を使うしかない。しかし、そのどちらの方法を取るにも、時間が必要となる。

 結果、機体は懸命に飛行を――取り立てて意味のない飛行を――続け、不意に限界が訪れる。

 翔の身体をまず襲ったのは、爆発音だった。

 同時に機体が激しく揺れ、身体が上下左右に揺さぶられる。

 視界がぐるぐると回り、翔は何も考えられなくなる。

 急速に機体が海へと、そしてその上に浮かぶ岩山へと近づき――


 ぶつかる寸前、光に包まれるような感覚を覚え――


 日高翔の世界は、白一色に染まった。



 世に平成最後の大事故と呼ばれる日航機事故。

 死者九七名。行方不明者一八五名。生存者は、0名であった。

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