第28話 魔法
シェリエのカウントが高らかに空に響いた。
どこか福音にも似た響きを持つその声を、翔は一瞬味わい、すぐにまた力を込める。
ここからは、わずかのミスも許されない。
実際、背中に翼を生やしながら、機体を押さえることは、並大抵の難しさではなかった。同じことを二回やれと言われても、翔本人に出来る気がしない。
ただ、今は出来る。出来ている。
その事実こそが、最も大切だ。
「九!」
上手く着陸するためには、ある程度の速度が必要となる。
そのため、翔は全力で押さえていた力をわずかに緩めた。
途端に圧倒的な質量が翔の腕にのしかかる。
ずしり、とした重量が激しい衝撃となって襲ってくる。
「うあああっ!」
「八!」
翔の苦悶の声をかき消すように、シェリエのカウントが聞こえた。
それに力をもらい、翔は再び機体の重さをバランスよく受け止める。
機体の腹から、ゆっくりと車輪が姿を表した。
「七!」
いける、何とかなる。そう翔は確信した。恐らくは機体を操る機長もそう思っているだろう。
しかし、有り得ない状況では有り得ない偶然が起きる。
不意の乱気流が、機体と翔を襲った。機長も翔も、驚くべき集中力ですぐに立て直すが、この極限状態ではその空白の一瞬が、致命的なロスとなる。
「六!」
「おおおおおおっ!」
翔が雄叫びをあげて、力を込める。加速しかかった機体が再び速度を落とすが、ビキッ、と嫌な音が翔の耳に届いた。
「うあっ!」
同時に、翔の右腕に力が入らなくなっていた。無理に力を込めたせいか、魔力は足りていても身体が耐えきれなかったらしい。
「五!」
それでも翔は右手を下げない。痛みを無視するかのように、変わらず両手で機体を支える。
「四!」
ぎしぎしと、支えている機体同様に、身体中が軋むのを感じる。
それでも、残すは後たったの三カウント。
「これくらいの痛み、耐えてみせる! 僕は――」
翔は呻きを上げる代わりに叫んだ。
「僕はっ!」
「三!」
最後の三秒に入り、翔の声が一際大きく空に響く。
今ここにある絶望も、過去から続く後悔も、すべてを吹き飛ばすほどに、大きく、強く。
翔は名乗りを上げる。
「僕は! 魔法使いだ!」
その叫びに、一瞬空すらも静まったような気がした。
しかしそれはもちろん、気のせいでしかない。シェリエのカウントは、変わらず続く。
「二!」
それを無視して、翔は思いを叫び続ける。
「今度は失敗しない! 絶対に――」
「一!」
最後のカウントに重ねるように、魔法使いとして、そして日高翔としての、心からの誓いを。
「絶対に、みんな護ってみせる!」
呼応するように、翔の背中の翼が一際強く輝き、大きく羽ばたいた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!」
ふわり、と軽く、機首が浮いたと同時――
「0(ランディング)!」
シェリエの最後のカウントが重なって――
飛行機は、見事に着陸を決めた。
何事もなかったかのように、車輪が地面を捉え、機体は滑走路を滑っていく。
軽傷者数名。死者、行方不明者0名。
後の世に新たな教科書の一ページとして語り継がれる、『現代の奇跡』と呼ばれる出来事であった。
喜びに沸き返る地上を見下ろして――
翔とシェリエは空に浮かんだまま、二人でハイタッチをかわした。
パアン、と小気味いい音は、風と地上の歓声にかき消され、二人以外の耳には届かなかった。
――届かなかったはずだが――
「お疲れ!」
真下からアイナの声がちょうど聞こえてきて、三人は笑みを交わした。
空と地上、それぞれに笑顔という名の大輪の花が咲く。
それらの花を咲かせたものを、人は憧れを持って呼ぶ。
それは太古の昔から、遥かなる未来まで。
変わらぬ名前で、こう呼ばれる。
『魔法』と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます