エピローグ

 学生達にとっては悪夢とも半年の結果を試す一大イベントともいえる、期末テスト。

 マジックスクールの廊下に張り出された上位者一覧には、当然あるべき二人の名前がなかった。

 一人は当代の天才、シェリエ=ミュート。中間試験では堂々のトップを飾った、アメリカの白き魔女。

 そしてもう一人は、日高翔。魔法使いなら誰もが知る奇跡の中心人物として、周囲の期待を一身に背負う、若き本物の魔法使い。

 二人はしかし、テスト期間を病院のベッドで過ごした。

 原因は二人と同じ、魔法の過剰使用である。

 それでも幸運であったほうだろう。最悪、二人の脳が焼き切れる可能性もあったと、医師は言う。


「だからって、納得いかないわ!」


 シェリエは入院していたという事実が誤情報ではないかと思えるほどに、威勢良く不満を口にした。


「どうしてわたし達が追試なのよ!」

「もちろん、試験を欠席したからよ」

「不可抗力です! 試験免除を要求します!」

「却下します」


 教壇に座り二人を監督するカテリナは、シェリエを一瞥すると、あっさりと抗議をはねのけて自らは書類の束に視線を戻した。




 翔は騒ぐシェリエを横目に、黙々と答案を埋めていった。

 しばらくしてシェリエが諦めて、頭を抱えながら問題と格闘するのを横目に、翔はペンを置いた。


「終わりました」

「はっ?」


 その言葉にシェリエが驚愕の声を上げる。


「翔、早すぎない? ずるくない?」

「ずるくないし。シェリエは無駄口が多すぎ」

「ぐっ……!」


 恨めしげな視線と言葉を送ってくるシェリエにあっさりと返すと、少女は言葉を失った。

 その隙に、視線でカテリナに問いかける。


「いいわ。日高翔、退室を認めます」

「ありがとうございます」


 姉と弟ではなく、教師と生徒としての言葉を交わし、翔が席を立つ。

 がらり、とドアを開けたその時、背中に声がかかった。


「まず間違いないからもう言っておくわ。おめでとう、翔。あなたは島に残れる。これからもよろしくね」


 姉の声に振り返り、弟は素直に答える。


「ありがとう」


 翔の表情は、晴れやかなものだった。


「う、うらぎりものー!」


 シェリエの言葉は無視して、翔はドアを閉めた。




 校舎を出て、いつも変わらない常夏の日差しに照らされる。校門までほんの数分歩くだけなのに、汗ばんでくる。

 この暑さは、いつも変わらない。

 校門の脇に、ドイツ製の黒い車が停まっていた。


「お疲れ様」

「お疲れ様」


 運転席からかかった言葉に、翔は同じ言葉を返した。


「乗ってくでしょ?」

「ありがと」


 翔は頷いて、助手席へと乗り込む。運転席のアイナが笑みを向けてきた。


「どうだった?」


 言いながらも、車はゆっくりと発進する。


「まあまあ、かな」


 翔が答えると、アイナは苦笑を浮かべた。


「翔のまあまあは謙遜たっぷりだからね。シェリエは?」

「頭抱えてた」


 あははは、とアイナの笑い声が車内に響いた。

 そして不意にそれは途切れる。


「姉さんからメールがきたわ」

「なんて?」


 アイナの言葉に、翔もスイッチが入ったように真剣な表情を浮かべた。

 アイナも笑みを消し、答える。


「まだまだ事後処理の真っ最中。とりあえずヴァイス=ヒルクライムは拘留中」


 翔は頷く。そして、黙ったままアイナの言葉を待つ。


「そして、起きてしまった事実のもみ消しはもう不可能」


 またしても翔は頷いた。それが示す意味は――


「翔も、いつか日本に行かなくてはならないわ」

「だろうね」


 頷いた。それは病院のベッドの上で散々考えて、わかっていたことだった。

 あれだけの騒ぎを起こせば、日本政府だって気づく。

 死んだはずの自国民が、魔法使いとして生きていると。


「それでも、僕のいるべき場所はもうこの島なんだけどね」


 わずかに背もたれを倒して、体重を預ける。

 翔の乾いた気持ちを察してか、アイナは更に続ける。


「ねえ、翔」

「なに?」

「これから色々なことが変わっていくわ。もう魔法使いたちは隠れていられない。隔離される必要もない。世の中に、本当の意味で溶けて混ざり合っていく」


 アイナがゆっくり紡ぐ言葉が妙に心地よく、翔は瞳を閉じた。


「けれど、それは嘆くことかしら?」


 疑問の形をした、疑問でない言葉に、翔は首を横に振った。


「いや、きっとそれこそが、あるべき姿なんだよ」

「どうして?」


 アイナが再び、今度ははっきりとした疑問を向けてくる。


「昔からずっと、魔法は人の世界にあったし――」


 言葉をきり、バックミラーを見る。

 いつの間にか、黒いトンガリ帽子に黒いマントを纏った少女が、箒に乗って追いかけて来ていた。

 アイナも気づき、二人で笑みを交わし合う。


「魔法も機械も、人の力だから」


 例えばこの車も、箒で空を飛ぶ力も。

 どちらも等しく、同じ力。


「魔動機も、よ」


 アイナに穏やかに付け加えられ、翔は自らの考えをわずかに訂正する。

 ――二つの人の力。

 それを合わせた物を、魔動機と呼ぶ。

 魔法と機械と魔動機と、それらが混ざり合う世界は、どんな世界になるだろうか。



 優しい奇跡で溢れていればいい。



 誰かのために、そのうちのひとかけらを自分が起こせたら、もっといい。



 日高翔はそんなことを想い、再び眼を開ける。


「こらー! 置いてくなー!」


 背後から響いた声に答えるように加速した車に、わずかに驚き、翔は明るい笑い声を上げた。




 常夏の島、マギス島。

 世界から隠された、世界で唯一の魔法使いたちの楽園。

 次代を担う少年少女の笑い声が響くその島が、世界地図に載るのは、ほんの数ヵ月後のことである。

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