血と杖

プロローグ

 魔法を使う者を、魔法使いと呼ぶ。ごく当たり前のことだ。

 では――魔法とは何か?

 こちらは人によってその定義は変わる。大雑把な共通項と言えば、普通の人の力では成し得ないことを実現する、でいいだろう。

 人と違うことができる。それを実現するものが魔法。なるほど、細かい反論はあるかもしれないが、概ね反対のない、優等生的な解釈だ。

 問題は、魔法は限られた人間にしか使えないことだ。そのために魔法使いは社会で浮いてしまい、時に崇拝の対象となり、時に恐れの対象となり、そして時に――あるいは常に――迫害の対象となる。

 中世の魔女狩りは、恐れが迫害という行動に走らせた典型的なものと言える。

 理解できないものを恐れる気持ちが、魔法使いを迫害の対象とした。その目的は、社会からの排除である。

 ではなぜ、現代に至るまで魔法使いは絶滅していないのか?時代とともに力は弱くなり、数も少ない。本当に世間のすべてが排除に動いたのであれば、とっくに成し遂げられているはずだ。

 答えは簡単だ。魔法使いを保護する者もまた、常に存在してきたからだ。

 この保護者たちは別に人権意識から魔法使いを保護してきたわけではない。そもそも魔法使いは人間とすら思われていなかった時期が長い。

 人類として社会で生きていけるようになったのは比較的最近のことである。

 では、保護者達はなぜ保護してきたのか?

 それは、魔法使いを有用と捉えたからに他ならない。普通では成し得ないことをなせるというのは、いつの時代も魅力的であった。

 普通で満足できない者たち――すなわち、権力者たちにとっては。

 しかし、技術の発展。機械の発達とともに、その魅力は減っていった。

 空を飛ぶ。寿命を延ばす。美しくなる。身体能力を上げる。

 そのどれもが、過去魔法使いにしかできないことだった。しかし、今は人の技術で実現できる。あるいは、長い歴史の中でその平均値を底上げしてきた。

 魔法使いの価値は落ちている。これが魔法使い達自身の認識である。

 だからこそ彼らは魔動機に活路を見出し、なんとかできることを質量ともに増やそうと努力している。

 その努力の一つの集大成が、マギス島のマジックスクールである。

 そこだけは、外部の干渉を受けない。魔法使い達自身が魔法使いを育てている。

 だが、そこに通う生徒たちは別だ。

 彼らはそのほとんどが国または個人から支援を受けて通っている。

 現代の魔法使いの力は落ちている。それは間違いない。

 それでも、彼らを保護するパトロンは存在する。

 それはなぜか? 結局パトロン達は魔法の力を求めているのである。迫害するよりも、現代の技術でもなお達成できない、有益な成果を得る方がはるかに建設的であると考えている。

 その要望の中で最も多いものは、今も昔も変わらない。

 『不老不死』と『死者蘇生』である。

 

 だからこそ、マジックスクールでもその可能性を探求せざるを得ない。

 その実現は、魔法使いの立場を飛躍的に向上させるであろうし――


 ――それは確かに、魔法使いの永遠のテーマでもあるのだから。

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