第21話 シェリエ=ミュート

 慰霊碑が見守る前で、翔とヴァイスが対峙する。

 睨みあいに飽きたように、まず口を開いたのはヴァイスだった。


「はじめまして。日高君。私はヴァイス=ヒルクライム。君達と同じ魔法使いで、今は国の研究員をしている」

「そしてマギス島駐在でもあるんですよね。聞いています」


 簡単な自己紹介を終えたヴァイスに、翔は硬い声で応じた。

 その硬質な声が漏らした、聞いている、という言葉にヴァイスの眉が僅かに跳ねた。しかしヴァイスは誰に、と尋ねることはしない。

 ただ確認するように、ヴァイスの背後を取ろうとゆっくりと歩く少女に声をかけた。


「フォルゲイン家の娘か」

「アイナ=フォルゲインよ」


 嘲るような声音にも臆すことなく、アイナは堂々と応じた。

 歩みを止めて、髪をかきあげる。糸のように細い金髪が、陽光を受けて輝いた。


「貴方のロクでもない計画は聞いているわ。ここで引きなさい。そんな計画は、漏れたところで失敗よ」

「若いな」


 アイナの忠告を、ヴァイスは嘲笑で切って捨てた。


「計画などというものは大なり小なり漏れるものだ。大切なのは状況だ。漏れたところで、止めるだけの力を動かすことを封じるだけの話だ」


 その口調は、見どころはあるがまだ理解の浅い学生を窘めるかのようだった。

 それを聞いて、翔は確信する。

 アイナが言ったことは間違いではない。このヴァイスという男は、日高翔という存在を、人間とも魔法使いとも見ていない。

 ただの実験動物だと思っている。

 それを肯定するように、ヴァイスは笑みを浮かべた。


「万が一情報が漏れていなかったら、言葉で籠絡することも考えていたが……」


 そこでちらり、と離れた場所に立つ少女を見る。

 黒髪に黒いトンガリ帽子を乗せ、真っ黒なローブに身を包んだ少女は、焦点の合わない瞳を三人に向けたまま、動こうとしない。

 ヴァイスは興味をなくしたように――あるいは満足したように――視線を逸らし、再び翔に語りかける。


「力づくになるが、たまにはいいだろう」

「お断りします」


 翔は体内に魔力を集中しながら、そう答えた。

 一方ヴァイスはそれに気づきながら、持っていた鞄から魔動機を取り出し、両肩につけていく。魔動機から赤い光が漏れる。

 ヒィィ、と音を立てて、内部の『魔力加速装置』が回転していく。

 通常の魔動機では、このように大きな音が漏れることはない。

 小さな『魔力加速装置』を大量に組み込むことの危険性を――通常ではありえないほどの出力を与えてあるその魔動機の危険性を――翔はアイナから教えてもらった知識から察知した。

 音は耳鳴りに似たものへと変わり、そして消失した。同時に、赤い光が膨れ上がる。

 瞬間、翔の中で高速で魔力が練り上げられ、指向性を持って展開する。

 赤い光が物理的な力を持つ衝撃波となって襲いかかるよりも、圧倒的に速い。

 当然のように赤い光は白い光に飲み込まれ、翔に届くことはない。

 しかしヴァイスはそれを見ても動揺するどころか逆に嬉しそうな表情を浮かべた。


「素晴らしい。やはり君の力は、抜きん出ている」


 そう言って、一旦肩の力を抜く。翔も鋭敏になっている感覚で察知して、わずかに息を吐く。

 次の瞬間、翔の膝ががくん、と崩れた。

 抜く間も見せないローキックが、翔が危険を察知するよりも速く、翔の身体に届いていた。


「うあっ!」


 痛みに呻く翔に、容赦なく前蹴りが叩きこまれた。どれだけ魔力があろうとも、所詮は一五歳の少年に過ぎない翔が、軍隊経験のあるヴァイスの蹴りに耐えられるはずもなかった。

 堪えることすら出来ずに、地面にうつ伏せに倒れる。


「ふん。それでもやはり、発動に時間がかかるのは他の魔法と同じようなものだな」


 翔の頭を足で踏みつけ、ヴァイスはつまらなさそうに口にした。


「さて……どうするか。意識を絶つのが一番手っ取り早いか」


 言いながら、ヴァイスの足に力が込められていく。


「その足を……どけなさい!」


 言葉とともに小さな黒い光の弾が、ヴァイスへと放たれた。しかしそれは、首を振るだけの動作で避けられる。

 翔が視界の端に捉えたのは、大きな筒状の魔動機を構えた幼馴染の姿。

 眉を吊り上げ、怒れる黒い魔女。


「だ、めだ……」


 逃げて、と声を絞り出そうとするが、痛みと足の重みで声が出せない。


「直接的な魔法では、脅威にもならんな」


 しかしヴァイスは口にした感想とは裏腹に、赤い光を右肩へと集めていく。

 アイナは顔を青ざめさせながらも、筒に黒い光を集める。しかしその大きさは、密度は、明らかに小さい。



 絶望と暴力に支配されようとする空間で、弱きを助け、強気をくじく、黒装束の白き魔女はまだ動かない。



 赤と黒、それぞれの色に染め上げられた魔法が、放たれた。




 シェリエ=ミュートは壊れてしまったわけではない。

 ただ、何をすべきかが分からなくなってしまっていた。

 自分の中に流れるミュート家の血。それは、新大陸に渡った本物の魔法使いの血。

 祖先がどうして新大陸に渡ったかは、話には聞いている。

 国家に守られない、虐げられる者たちを守るため。救いを差し伸べる、白き魔法使いとなるために、ミュート家の祖先はアメリカへと渡ったのだ。

 シェリエ自身、それを素晴らしいと思う。そして自分もそうありたい、そのためにこそ、自らの魔法の力はあると信じてきた。

 それなのに――

 それなのに、ミュート家もまた、政府に飼われているのだと思い知らされた。

 護るべき者を守りたい。その理想を持ち、力を持つのに、翔を護ることが許されない。

 翔を護ってしまうと、家族が危険にさらされるから。

 護りたいものすべてを護れると思っていたのに。そのために学んでいるのに、現実には何もできない。

 電話に出るなり弱音を吐いた自分に、アイナはそれでも大切なことを教えてくれた。

 だからこの場所にいる。日高翔を連れていかせないために。

 それでも、ただ立っているだけ。

 何もできない。

 いや、行動出来ないわけではない。

 ただ、決断が下せない。

 翔が攻撃されても、殴られても、蹴られても。

 それどころか、顔を踏みつけられているのに――何もできない。


 ――わたしって、何もできない小娘なんだ。


 そう認めてしまいたかった。認めれば、何もかもが楽になる。

 半ば以上受け入れて、シェリエは状況を他人事のように眺め続ける。

 赤い光が再び膨れ上がるのを、一瞬後に黒い光があっさりと飲み込まれるのをスローモーションがかかったように、ゆっくりと見つめる。

 そして、見送ろうとする。

 見送ろうとしたはずなのに――身体は、動いていた。

 意識はしていない。していないはずなのに、身体は動く。声もなく箒の先端から白い光を放ち、圧倒的な速度と密度で、赤い光を吹き散らす。


 意識が支配するはずの魔法が、意識の外で発動した。


 それは翔の、自らを護る魔法のように。

 シェリエ=ミュートという魔法使いの根源にある、他者を護るという誓いの具現。

 判断すらできないほど心は打ちひしがれ、身体は動かなくとも。

 シェリエ=ミュートの在り様は、どこまでも白い魔女。


「貴様……!」


 シェリエの行動に怒りの声を出すヴァイスを、シェリエは驚いたように見つめ――

 強く、笑った。


「わかっているのか? 邪魔をすれば、ミュート家は凄絶な報復を受けることになる」


 ヴァイスの言葉が、再びシェリエの心を抉る。

 それでも、シェリエ=ミュートはもう揺るがない。


「それはきっと、なんとかなる。なんとかする」


 強気に、不敵に、素敵に、笑ってみせる。


「奇跡を起こすのが、魔法使い。わたしたちは、その一番先にいる」


 シェリエはヴァイスに向かって箒を向けた。白い光が、集まっていく。


「ミュート家を、なめるんじゃないわよ!」


 完全に吹っ切れたシェリエの言葉に、ヴァイスは忌々しそうに舌打ちで答える。


「面倒だが、同じことだ」


 対抗するように、ヴァイスの左肩の魔動機に、赤い光が収束していく。




 小さな乗客を詰め込んだ飛行機は、不意にがくん、とその身体を揺らした。

 中では悲鳴が交錯したが、一分もすると態勢を立て直した。

 乗客たちはこのハプニングすら話題に変えて、空の旅を再び満喫し始める。

 眼下にはミクロネシアの島々が広がり、何事もなかったかのように機体は北上を続ける。

 大小様々な島の中、大きめの岩礁にしか見えない、しかし確かにある楽園がレーダーに写り始めた。

 音速を超える速度で飛ぶ飛行機は、魔法使いの島を気づかずに針路上に乗せる。

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